And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

キルケーのこの船

2018-03-17 22:48:35 | 日記
クラシック聴き初めに買ったワイセンベルク、カラヤンのチャイコフスキー、ラフマニノフ、最初はチャイコフスキーを聴くために買ったがラフマニノフを聴いてからラフマニノフばかり聴いてCDになってもチャイコフスキーを聴くことはほとんどなくなった。評判のいいリヒテル、アルゲリッチなども買ってみたが、曲が退屈で聴いていいなと思ったのは曲自体より演奏がすごいホロヴィッツ、セルくらい。今回ちょっとしたきっかけでワイセンベルクのボックスを買った。10枚でCD1枚の値段なのだから1、2枚ダブっていたって気にしない。そこで久しぶり、たぶん10年は聴いていなかったカラヤンとのチャイコフスキーを聴いて出だしこんなにゆっくりだったかと驚いた。
この間のSFの続き、アマゾンで「宇宙戦争」「トータルリコール」のリメイク版を1円DVDで買う。送料入れればレンタルのほうが安いのだろうけど、家出るのも面倒で。スピルバーグの「宇宙戦争」をけなす人いるがそれは違う。このクソ映画こそスピルバーグじゃないか。ゴミとわかってて観るのが正しい。自分と家族さえ助かれば人はどうなってもかまわないというのがアメリカ人。「トータルリコール」は退屈しないで観ることができた。でも1度観たら20年くらいは観なくていい映画だけれど。前作のように夢か現実かをぼかさないではっきり現実としたところがつまらなくなったが、こういう映画そんなことはどうでもいい。文庫で「宇宙戦争」買ってきて、本棚にあるのに何で買ったのだろうとおそるおそる比べたら訳者が変わっていたのと字が大きくなっていたのでほっとした。それで買ったことも忘れている。「1984年」ちょっと長いので一気に読んでしまってディックの短編読んでそれからだけど、その頃にはSFのことが興味なくなり別に移っているかもしれない。元々同じ本を読み返すのは時間がもったいないと思っているので「1984年」も途中でやめてしまう恐れもある。それで「宇宙戦争」「トータルリコール」観る時間惜しくないのかと我に帰る。
字の大きくなった「1984年」を読んで感じた。自分たちが学生の頃の文庫と50年代の文庫は旧仮名が直ったくらいで活字は変わっていないと思う。読者層が若いSFですら活字を大きくしているというのは、年寄り向けでなく若者向けにだろう。それでもごく一部の文学青年以外は本を読まない。紙で読んでいない人間が本や新聞を電子で読まない。本好きな人間が移るかといえば、自分の場合10ページの短編でも電子では読まない。マンガならタブレットのほうがいいかもしれないが40年以上読んだことがない。そういえばある野球選手が自分はマンガ大好きで家に何千冊も持っているとテレビで言ってた。自分なら言わないな。スポーツマンは馬鹿ですと自己申告してるようなもの。本持ってると人に言ったことない。なぜダブリン何度も行ったのと聞かれジョイスの説明するくらいならギネスが好きだくらい言っておいたほうがいい。