And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

誰も寝てはならぬ

2015-09-26 09:04:42 | 日記
美術館行って楽しみなのが売店。もしかしたら絵を見るよりそちらがメインかもしれない。海外行ったときの話だが昼食も美術館で取ること多い。大都市には美術館はあり、しかも看板になる絵が展示されて、その絵を日本で見ようと思ったら何時間待ち?というのが普通に見られる。モナリザだけはルーブルでも人だかりだが、立ち止まらないでという状態ではない。写真も撮れるし。ルーブル、オルセーなどの有名美術館は当たり前に並ぶけれども、たとえばダブリンの現代美術館なんて、これが美術館で絵を見ることなんだと思えるくらい静か。ロンドンのナショナルギャラリーは名画の宝庫だけれども、無料だからなおさら人でごった返している。いつもレンブラントを探しに行ってなかなか行き着かない。ヨーロッパの美術館は割と写真OKが多いのだけれどナショナルギャラリーはだめなので写真がなく、その分思い出から消えてしまう。フランクフルトの美術館行ったとき、ここにレンブラントのサムソンがあったんだと驚いた。ゴッホのひまわりは一つ見れば充分だけど、レンブラントの自画像はみんな見てみたいと思う。マグリットは本物を見てがっかりした。あれは画集で見る画家だったんだ。実物が意外と小さかったと驚くのはよくあること。「夜警」が大きくて驚いたのは例外か。アメリカに行くことはないので、ジャクソン・ポロックやジャスパー・ジョーンズを見ることはないと思う。でもいい。美術館は食事をしに行くところなのだから。




マン・レイの石けん

2015-09-23 10:47:37 | 日記
エベレスト登頂は酸素ボンベ背負って登ること考えると当たり前なのだが、全く気にしていなかった。飛行機乗って雲の上まで上がると人工的に空気を作らないと息ができない。何かのトラブルがあってそれが止まると空気の吸えるところまで降りなければならない。その間を持たせるのが酸素マスクだと。だから10分くらいしか入っていないようだ。煙が充満して出すものではないらしい。今まで酸素マスク見たという人に会ったことない。できればそんな状態になりたくない。見たけど、その話できなかったになりたくないから。墜落検証番組を観ていると飛行機に詳しくなるというより、鉄道マニア的になってしまうのではと怖くなる。でも面白いのは亡くなった人には気の毒だか、原因を探る過程が推理小説を読んでるように引き込まれてしまう。揺れても飛行に何ら支障はありませんというが、危ないこともあるのだなと思う。そうだろう、墜ちた前例もありますとは言わない。飛行機は好きなほうだったが、たかが1時間であっても密室に他人と一緒というのが最近嫌になってきた。エレベーター嫌いなのと一緒。だからといって自家用ジェット買えないし。普通の航空機ならたとえファーストクラスであっても他人の咳や声など聞こえるの当たり前で個室にはなりようがない。ましてや普通の席だと肘がぶつかったりとかある。そういう面では列車のほうが個室を確保できるが、同じ金額以上払って何倍も時間のかかる列車には乗らないだろう。番組を観てから何か飛行機の知識を持つと乗ったときにポンポン叩いて軽い分すぐ壊れるんだとか確かめてしまい、ちょっとでも斜めになると真横になると立て直せないぞとか思い、風や雪などなんともないと思っていたのに、それで墜ちた事例を知ると頼むから無理しないでくれと思ったりする。ファーストクラスにでも乗ったらそんな雑念も忘れるんだろうな。



雨を見たかい

2015-09-18 23:09:54 | 日記
最初の魯迅選集に入っていたのに改訂版の時どういうわけか「魯迅案内」がなくなっていた。自分が買ったのはしばらくあとなので、いつから「魯迅案内」がなくなったのかわからない。見ると1巻ずつ出てたよう。選集が12巻で案内入れて13。改訂版は選集だけで13巻。だからやめたわけではあるまい。改訂版が出た当時はわからないが自分が買った頃は1冊に値段ついているがバラ売りはしてなかった。今は選集も古本探さなければならないが「魯迅案内」を探すのは苦労した。といってもネットで探せば見つからないことはない。古本屋回らないと探せない時代なら見つからなかっただろう。苦労というのはセットではいらない、それだけがほしいからだ。大抵はセットでそれなりの値段。今若い人で魯迅を読む人いるのだろうか。阿Q正伝だけが魯迅ではないのだが、それすらという気がする。魯迅はいつも低い目線。決して憎しみの眼ではない。ブルース・リーがブームになった頃、「燃えよドラゴン」より前の映画も上映された。「ドラゴン怒りの鉄拳」最後「明日に向かって撃て」のパクリだったけど面白かったなと当時は思ったが、バカな敵は日本人なんだ。魯迅は敵は本能寺にありではない。生まれるのが早すぎたと書く。混乱の戦争が始まろうとしている、そして誰にも止められない時に若者の血はもう見たくないと書く。国会のニュースを見て魯迅を思い出した。
激しい、激しい、激しい雨が降ろうとしている




主よ、私の試みはまもなく終わることでしょう

2015-09-17 23:54:08 | 日記
しばらくぶりにドストエフスキーの「未成年」を再開する。学生の時よくこんな面白くない小説読んだものだと思ったが、研究目的として読んだので良かったのかもしれない。トンチンカンなレポートを書いたのを今でも覚えていて恥ずかしくなる。「失われた時を求めて」をよく読んだねと言われることがあるが、これこそ読んだという人に感想を聞きたい。5大長編といわれ、面白い「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」と比較されるとなおさら面白くないになるのだろうが。若いときにロシア文学を読んでおいて良かったと思う。知識になったという意味ではなく今ならとても読めないから。まだチェーホフの短編なら読めるが、トルストイなど読めない。ヤナーチェクの弦楽四重奏1番の題に「クロイツェル・ソナタ」とついていて、てっきりベートーヴェンのソナタに関係しているのかと思ったら、トルストイの小説からとっていて、自分の不倫にかけているようだ。2番はもっとストレートに「ないしょの手紙」となっている。話それたがその「クロイツェル・ソナタ」は読みたいと思うが短くても順番回ってこないだろう。ソルジェニーツィンもソ連が崩壊した今だと読む気もしないし。ロシアつながりでいくとチャイコフスキーはモーツァルトと同じくらい嫌い。一度亡命して、またソ連に帰ったプロコフィエフなどその話だけでいい曲書けるわけないと相手にしなかった。ストラヴィンスキーの「春の祭典」は何十枚もレコード集めたがストラヴィンスキーはそれ1曲だけの作曲家としか思っていない。ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」ホルストの「惑星」のように。「戦艦ポチョムキン」は映画の教科書として観たが、教科書は面白くないと相場が決まってる。シェイクスピア映画は評価が高く、ソ連制作の「リア王」観てシェイクスピアを読むようになった。ロシア料理店行ってボルシチ食べたりした。そのすべてが20代学生の時。働いてからはそのすべてが遠くなった。そして今ドストエフスキーを読み返しているのは思考が20代に戻ったからなのだろうか。あの頃夢見たことで実現したことはジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」を持ってダブリンに行ったことくらいか。
だが僕はかたくなに 幼さを胸に抱き
ひとに隠し育てたい 優しい笑顔になりたくない
ああ 虚しく豊かな大人になりたくない
ー並木よー


美しのテムズよ、静かに流れよ、わが歌の尽くるまで

2015-09-14 13:20:55 | 日記
グールドはビートルズと同じで、形を変えいろいろ出てくる。それをまた買ってしまうものだから、ゴルトベルク変奏曲など何枚買わされたことか。今回もコンプリートボックスが出て、前のを持っているのに買ってしまった。カラヤンの60,70,80,EMI、ブーレーズと床にボックスが置いてあり今度はグールド。聴きもしないルービンシュタインのコンプリートも頼んでしまった。一生分を箱に収めているのだから、いくらコンパクトとはいえ、それなりの大きさになるのは当たり前。本も含めて捨ててしまって部屋がきれいになったら気持ちいいだろうなと思うが、そんなことできるわけがない。部屋を二倍に広げられたらと思うが、それもできるわけない。自分を落ち着かせるための音楽や本でいらつくのはパラドックスだ。取りあえずグールドを1枚ずつ聴いてみる。前のボックスはほとんど聴かなかった。こういうボックスもので10枚以上聴いたことないのではなかろうか。特にクラシック。グールドいくら好きだといっても3枚も続けて聴いたら他のものを聴きたくなる。それで箱を閉じると、当分順番が回ってこなくなるパターンだ。グールドはビートルズ、ビル・エヴァンスと同じでみんなが好き。自分がこれはいいと褒める必要がないところがつまらない。常にベストセラーだから、全部持っているといっても何の自慢にもならない。聴きいってしまうから本も読めない。ソニーのコンプリート物の解説書はCDと同じサイズでパラパラめくるだけでとてもじっくり見ようとは思わなかったが、今回はかなり大きく、写真もたくさん掲載してるので聴きながらめくっている。その分当然箱は大きくなり重くなる。自分が生まれた頃、若きピアニストとして注目をあびたグールド。最後のゴルトベルクで追いついて死を知った。その死からもう30年以上経って我々は何を聴く?