And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

昔の南ボストン水族館は今・・

2017-11-26 19:29:13 | 日記
チック・コリアの「Rhumba Flamenco」何年前だろう、たまたまホームページ限定発売というのを見つけて買った。未だにメーカー発売はないようだから自慢できる1枚だろうか。このように中身ではなく珍しいかどうかで価値が決まる場合が多い。だからメーカーも限定発売とかよくうつ。昔ジャズで幻の名盤があったが、相当数復刻された。アート・ペッパーの「モダン・アート」「リターン・オブ・アート・ペッパー」などは希少盤であるないに関わらずの名盤であるから、これが日本で出た時はファンは喜んだのあろう。「モダン・アート」の時はジャズを聴いていて復刻されたのを知って買った。もう手元にレコードなくてわからないが、確か最初の1曲目がマスターなくて盤起こしでなかったであろうか。スィングジャーナルのゴールドディスクがそうだったように70年代、幻の名盤は次々発掘された。その当時で何万で取引されていたレコードが2千円で買えるようになったのだから。マニアはオリジナルがというかもしれないが一般ファンは聴くことができればいいのだ。その頃はもちろんネットもなく丹念に古レコード店を回るしかなかった。ただ珍しいだけの復刻されたら誰も聴かないというのももちろん多数あった。今でもそのミュージシャンを全部集めようと思ったら何枚かはどうしても手に入らないものがある。昔は何とかと思ったが今では面倒で探す気にもならない。ただCDにでもなればいいなくらいで。ギル・エヴァンスは数が少ないのでブートも含めてほとんど持っているのではと思うが、その中でもCDにしてほしいのがいっぱいある。高橋アキのサティは昔全集が出ていたのは知っていたが、ベスト盤くらいしか買わなかったら、廃盤になってそのあと全く再発されなくなった。アキのサティ好きでコンサートも行ったくらいだったのにと思ってアマゾンで探し出し、最後の1枚苦労したけど8枚全部そろえた。そういうのは揃えたとたん廉価盤で出るとかよくあるが、今のところ出る様子もなし。高い値段で集めたわけではないけど、なんとなく安心する。
西脇順三郎全集、2度目と3度目ほぼ変わらない全集を持ってるだけで自分でもどうかと思うのだが、オークションで1回目しかもサイン入り状態も悪くないのが出たら欲しくなって落とした。どう考えてもほぼ同じな全集3つを読み分けるはずがない。その他に選集が2種類。コレクター以前、ただのオタク。鈴木道彦訳「失われた時を求めて」は読み始めて1巻終わらないうちに文庫が出て、当然文庫を読むから先に出た単行本はただの部屋の装飾。でも文庫で出なかったら「失われた時を求めて」をこんな何度も読んでいなかった。この訳があったから昔の共同訳ではちんぷんかんぷんだったのが、何となくわかるようになり買っておいて読んでなかった井上究一郎訳も読むようになった。

この考へる水も忘却には流れない・・

2017-11-23 10:57:29 | 日記
昨日初めて「犬神家の一族」を観た。あの頃観た角川映画は「白昼の死角」だけで相手にしていなかった。推理小説は好きだったけれど横溝正史も1冊も読まず、逆に「白昼の死角」は面白くて高木彬光を片っ端から読んだ。あれだけブームになったのだからそういう戦略にのって映画観た、本買ったという人は多かったのだろう。これも最近になってから観たのだが「人間の証明」などお粗末な映画で原作が泣いている。それに比べたら「犬神家の一族」は最後の謎解きで伸ばした感があるが、それ以外は引き込まれてあっという間に観終わってしまう。やはり監督の力か。それでも推理小説と同じで2度は観ない。「白昼の死角」もそうだけど、清張のような社会派は何度でも観ることができる。「点と線」など本でよくわからなかった電車のトリックが映画で観るとなるほどこの瞬間かとわかるのはただの犯人捜しと違うところ。
キャノンボールの「ナーディス」聴いて、絶対この曲はエヴァンスの曲だろうとまた思った。マイルスがわざわざスタジオに来て、さらっと曲書いて立ち去るなんてするか?曲想もマイルスが書けるメロディではない。マイルスの名前がついたのだからスタジオに来てアドバイスくらいしたのだろうけど、自分では演奏しないでエバンスは死の直前までレパートリーにしていた、その後になっても自分の録音の時はメンバーがメロディ出しても全部マイルスの曲になったのもそうだろうと想像させる。中山康樹の本によるとエヴァンスは背も高くがっちりした体だったらしい。レコードジャケットや演奏から勝手に細くて繊細なイメージを持っていたけどどういう人間だったかなど関係ないのと同じで、誰が作ったかなどこだわらないほうがいいのかもしれない。ビートルズが解散してすぐの時、ジョン・レノンがこれは俺の曲でこれはポールと全部ばらしたけれど、逆にビートルズでやっていたときは一人で作ったというのはほとんどないのではないだろうか。ちょっとしたアドバイスでも変わってくるし、どこまで口を出したら共作になるのかなどという定義もない。二人がいてジョージ・マーティンがいてどれかが欠けてもああいう奇跡は起こせなかった。そう思うと自分の曲だという愛着は本人以外関係ない。
高木彬光は好きで何冊も読んだが、本棚の奥に入っているかないか。面白かったのになんで角川は横溝正史や森村誠一のように何本も映画化しなかったのだろうか。清張もそうだけどもう読み返すことはない。前に懐かしくてヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」をわざわざ買って読み返したことがあった。何とか最後まで読んだけど、若いときにあれだけどきどきしながら読んだ自分が読んだ推理小説の中でも3本にはいるくらいのものだったのに時は過ぎ感性も過ぎていく。ふと思うに自分の周りは過去に感動したものばかり。だからこんなくだらないブログを書いている。



なぜぼくらは戦争に行くのか?

2017-11-18 12:40:10 | 日記
安部公房の「榎本武揚」読み終わる。普通の歴史小説にはならないだろうと思っていたけど、異色の小説。考えると歴史小説はすべてSFだろうなと思う。たとえつい最近あって当事者がいようと書くのは小説家。映像と違って客観的に写したりなどできない。それをぴたりと現代の人間関係に合わせるのが小説家で典型的なのが司馬遼太郎の「関ヶ原」そのまま現代のオフィスに通じてしまう。石田三成が島左近にいやな人間でも挨拶しなければならないときもあると諭されるがそんな話記録に残っているわけないだろうし、読むほうはいるいるそんな奴となる。歴史上の人物は判官贔屓があるから、非業の死を遂げたほうが人気ある。城山三郎の「落日燃ゆ」を読むと広田弘毅のファンになってしまい、東京裁判で娘に会釈する姿を見るとそれだけでいい人となる。三国志の劉備も中国を統一できなかったところに人気があるように思う。滅びの美学ならアメリカン・ニューシネマ。ハリウッドの唯一まともだった頃。悪役を主役にして最後死んでいく様を見せつけた「俺たちに明日はない」それを西部劇に置き換えてしかも銃の撃ち合いでなく青春映画にした「明日に向かって撃て」賞金を稼ぐために踊り続けて最後意味を失って恋人に殺させる「ひとりぼっちの青春」学生たちの座り込みの中警官が突入していくシーンが感動的な「いちご白書」その他「イージーライダー」「バニシングポイント」「真夜中のカーボーイ」(バカみたいな邦題)日本でいえば団塊の世代の青春時代。若者がたくさんいて、父親たちの戦争の呪縛から離れようとしていた時代。若者たちの期待だったロバート・ケネディは殺され、今のトランプみたいなニクソンが大統領になった時代。今と違うのは反戦の若者たちと保守を応援する若者たち。憲法が改正され友人たちが手や足なくなって戦場から帰ってきたときなぜ自分はなぜ保守にいれたのだろうと反省する。夜大きな音を出して走り回ってる奴らを軍隊に入れたら街は静かになるかもしれない。
映画観てから小説読もうと思いそのままになっていた川端康成の「山の音」を読み出す。名作らしいのだが今まで読んだことなかった。たぶん若いとき読んでもぴんとこなかっただろうから今読むのはちょうどいい。でも作家としての良さはどうもわからない。映画でいうと小津安二郎的な日本なのかな。安部公房も今まで読んでいないし当然だが文学史に出てくる作家を全部読んでいるわけではない。でも順番があってSF、推理小説などはティーンエージャーの頃とか、女々しいとか言われて太宰は読めなかったとか。自分たちの時代はまだフォークナー、ドストエフスキーの全集が出ていた。これから本はもっと少なくなり、ノーマン・メイラーの「裸者と死者」などまでSF文学になったりして。

ヴィクトール・マルグリットの思い出

2017-11-12 21:37:40 | 日記
ホロヴィッツがリストのハンガリアン狂詩曲2番を1度しか録音に残していないのが驚きだ。しかもライブだけ。人気曲で見せ場満載なので、最初の引退前はコンサートでの要望はあったはず。ヒストリック・リターンの後は協奏曲も含めてこういう曲が少なくなったのはわかる。それでもリストは全く弾かなくなったわけではない。でもプログラムを見ると以前以上に好きな曲しか演奏しなくなった。ショパンも何とか1枚のアルバムにできる、ベートーヴェンも3大ソナタは録音したくらい。リヒテルもまとまった曲はバッハの平均律くらい。グールドはモーツァルトソナタは全部、ベートーヴェンやバッハはかなり録音残しているけれど、果たして音楽家は全部録音すべきか。カルロス・クライバーのように極端に少ないともっと聴きたいと思うが、もっと聴きたいくらいがいい。そんなこと考えながら、またホロヴィッツのセルとやったチャイコフスキーピアノ協奏曲を聴いて、凄まじい演奏にまた感心した。3楽章は明らかにセルのほうから煽ってスピード上げて、ホロヴィッツもついて行くどころか追い抜いてやろうというスピードで弾いて事実追い抜いてしまうというコンサートとしては失敗なのだが、聴くほうはこんな最高の演奏はない。ホロヴィッツは発売を止めたがレコードの頃からブートが出ていたのだから、本人たち以外は聴いた人なら誰もがすばらしさを知っていた。リヒテルの「熱情」3楽章でスピード上げすぎて、さすがのリヒテルでも指がついて行かなかった演奏もホロヴィッツと同じカーネギーホール。やはりこんな真剣な演奏はカーネギーホールでしか聴けないのだろうか。今ではそういう演奏があったとしても修正が入るだろうけど、この二つの演奏は修正するとつまらなくなる。ポリーニやクレーメルの完璧なCDを聴いてつまらないのと同じ。クラシックでこういうライブ盤はもう出ないだろう。こんな演奏できる音楽家がいないという意味で。
荒野の七人のリメイク版「マグニフィセント・セブン 」をどうせくだらないだろうがという確信を持って観たが期待通りのくだらなさ。今の時代によくこんな西部劇作れたものだ。黒人、アジア、インディアン、女までも一緒になって戦うというアメリカ版ウルトラ兄弟勢揃いのような映画。これならまだドリフターズのコントのほうが中身ある。でもこういう映画いくらでもあるのにけなしたところで何の意味もない。スピルバーグがどれだけ中身がなくと力説したところで観る無駄な時間を過ごしている自分が損なだけ。ウッディ・アレンはアマゾンがスポンサーとなってネット配信ドラマを作ってさすが面白かった。歳は取ってもやはり本人が出るとさらに面白い。今度の劇場映画もアマゾンがスポンサーらしい。悩み多き者よ、時代は変わっている。


ジョルジュ・デュマの過ち

2017-11-10 15:22:41 | 日記
パット・メセニーの「ラスト・トレイン・ホーム」はアニメで使われたらしく、それでベストアルバムでその題名がついて1曲目に入っていたのか。まあアニメにはもってこいの曲かもしれない。昔出たDVDにその曲も入っていて、ネットで安く出ていたので買ってみた。音楽だけなら何かしながら流していればいいけれど、映像は一応集中しなければならず、こんな音楽を聴いている自分が空しくなった。メセニーは4ビートのジャズもやったりして私はそれほどお馬鹿ではありませんという姿勢も見せるが、キースのケルンコンサートとは違う気がする。キースはあれ1枚だけだ。中身空っぽ音楽は。スィングジャーナルがなくなる前あたりだろうか、日本のレコード会社がエディ・ヒギンズという訳のわからんピアニストに日本好みのスタンダードをBGM風に演奏させて何枚もCD出したことあった。その前にケニー・ドリューにもそういうことをさせて成功したからだろう。エディ・ヒギンズはいい、どこでピアノ弾いていたかわからないようなピアニストなのだから。ケニー・ドリューは金のためとはいえ、たとえていうならロリンズに「夜霧よ今夜もありがとう」吹かせるとか、マイルスに「夜空のトランペット」吹かせるようなものだ。バブルの頃の日本制作ジャズといったらそんなのばかり。その中で唯一の業績といってもいいと思うがギル・エヴァンスのスイート・ベイジルは日本以外でCD化できなかっただろう。
バーのマスターに勧められて安部公房の「榎本武揚」を読んでみようと思い、こういう本は新品で買うのはもったいないのでアマゾンで中古本を注文。どうせ読み終われば積んだままになるのだから。そこそこきれいな本が届き面白そうなのでさらさらと読んでしまいそうだ。Apple Watchのバンドがサードパーティで安いと知ったのでそれもアマゾンで探すと1500円!純正の十分の一以下。何せ純正が高すぎる。悪くなさそうだし、1年ももてば充分元取れそうなのですぐ注文。でもきてみると当たり前だが純正と違ってかなり安っぽい。なんだかの銭失いかと思いつつも純正ならバンドだけで2万いくらとかとんでもない値段なのだからと無理矢理納得する。iPhoneは日本で普及率高いというが、こんな高価なもの他の国ではそうそうみんな選ばないだろう。あと中国か、買いそうなの。ロンドン、パリの高級店にも中国人は押し寄せ、ただでさえ尊敬されていない日本人も一緒にされてもっと評価を下げている。それを知らない日本の馬鹿女がパリに行ってブランドもの買ってきたと自慢する。これはニューヨークで流行ってると軽くフェイク流すだけで東京のショップは長蛇の列。大本営発表はいつの時代も廃れることはない。