なくて買い直したアース・ウインド・アンド・ファイアー、しまおうとしたら出てきた。人生そんなもの。セット物CD、大体は揃えたで終わってしまうのだけれど、ルービンシュタインはよかったと思い返し、初期録音のショパン、マズルカを聴いたらステレオ録音よりゆったり演奏しているのに驚いた。どの演奏家も歳取ると演奏がゆっくりになる。レコードで聴いていたときはルービンシュタインのショパンのどこがいいのだろうと思っていたけれど、今はルービンシュタインしか聴かない。クラシックは他にホロヴィッツ、グールド、ハイフェッツ、カラヤンなど続々紙ジャケットコンプリートボックスが出たが、ジャズではマイルスくらい。コンプリートはいくつか出ているが、録音順で詰め込んだ資料にしかならない箱物。マイルスにしたところでその前にバラで紙ジャケット出ているので、そちらで揃ってしまったけれどそれでも買ってしまう馬鹿な自分。ジャズではコンプリートどころか、なぜCDにならないというのが何枚もある。レコードから簡単に音楽ファイルに変換できるプレーヤー買ったもののそれも面倒で2,3やっただけでほこりかぶっている。文学でもそう、何で全集と聞くだけで買いたい衝動に駆られるのだろう。昔全集物を買ってもパラフィン紙が邪魔でいつも捨てていたのだが、あるとき大学教授の研究室でパラフィン紙のままにしてある本を見て、大学の先生のようなよく読む人でもつけたままにしておくんだと思って、それから捨てないようにした。自分は読まないからなおさらそのままにしたほうがいいに決まってる。全集についていた月報もわざわざ本から外して、どこかにやってしまった。今思うとそんなもの挟んでおけばいいのにと思う。レコードの帯も買ったらすぐ捨てた。ビートルズの帯などそれでいつ頃かとわかるので、どんな帯ついていたのか知りたいと思うことがあるし、今になって昔の帯が復刻された紙ジャケットは親しみが持てる。でも普通のプラスチックケースのCDの帯は捨てる。一番古いCDで値段が3800円というのがある。カモメのリターン・トゥ・フォーエバーで3500円。CDの出始め、何年かで材質がおかしくなって聴けなくなるという噂あったけれど30年以上も大丈夫。CDは出た当初から比べると格段と音がよくなってると思うが、この「リターン・トゥ・フォーエバー」は古いのが一番音がいい気がする。紙ジャケットやなんとか加工とか何種類か買ってみたけれど。ノイズを気にしながら神経質になって聴いていたキース・ジャレットのピアノソロもCDで安心して聴けるようになった。「サンベア・コンサート」など1コンサート、レコード2枚をひっくり返しながら聴いていたのがノイズに脅されることなくCD1枚で聴けるのだから。マリガンのパリコンサート、10年は聴いていないので今晩聴こうか。マリガンは10年聴いていなくてもすぐ出てくる。
クラシックの話ばかりでは面白くないけれど、昨日はこれまた滅多に聴かないシューベルトを聴いた。ずっと「グレイト」は苦痛な音楽だったけれどもインマゼールの演奏で最後まで聴けて、交響曲全部インマゼールで買ったことがある。でも曲によって出来不出来というよりこちらの好みの違いがあって「未完成」などつまらなく、昨日も聴いてみたのだけれどやはりつまらない。ピアノ曲も適当に集めてみたがほぼ聴かなくて、いいと思うのはポリーニの「さすらい人」とグルダ、ピリスの「即興曲」。70年代のポリーニはーレコーディング上はー輝いていた。ショパンの前奏曲、練習曲、ベートーヴェンの後期ソナタ、ブーレーズのピアノソナタ、バルトークのピアノ協奏曲。それ以降も評論家の評価は高いけど、がっかりというレビューは多い。がっかりというかつまらない。評論家の好きなアバド、アルバンベルクSQに通じるところがある。アシュケナージも当時はポリーニと対抗するくらい人気があったけれど、今は評論家は見向きもしない。スメタナSQもそう。何年も専門雑誌で賞を取らせながら、今はもう忘れてる。カール・ベーム、晩年巨匠と祭り上げて日本でブームを起こしたが、後になって王様服着てないことがわかった。コンサートで聴いたことなかったがこのジャップ野郎と叫んでも歓声の上がったロックコンサートと同じで、コンサートマスター任せでただ棒振ってるだけでも熱狂的な歓声があがったのだろう。ポリーニは80年代に聴きにいって、素人でもはっきりわかるミスタッチにずいぶんレコードと違うなと思った。逆にアシュケナージはレコードではわからないすごい音とびっくりした覚えがある。もうずっとコンサートも行ってないけれど、ギル・エヴァンス4回日本に来たうち3回聴けたのはよかった。スティングは自分のバンドを立ち上げてすぐくらいの時、コンサートで聴けたのがよかった。誰でも旬のときがある。一番いいときに聴かなければ。滅多に聴かないというより嫌いな作曲家のチャイコフスキーの中でも、比較的聴くのがピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」これは昔「史上最大のコンサート」というオールスターのカーネギーホールチャリティコンサートのレコードの中でスターン、ロストロポーヴィチ、ホロヴィッツというメンバーで演奏して、どういう曲だろうと興味を持っていてCDになってやっと聴いてから。ホロヴィッツは室内楽などずっと演奏していないし、当然何度かリハーサルした程度なのだろうから演奏がいいわけない。しかも1楽章だけ。全楽章聴いてみようと何枚か買った。百万ドルトリオは仲悪かったのにいい演奏。スークトリオは旧盤のほうがいい。例によって評論家の推薦するクレーメル、アルゲリッチは全くつまらない。ホロヴィッツのヒストリック・リターンはロックの再結成コンサートみたいなものだったのだろうけど、「史上最大のコンサート」は観てみたかったな。レコード会社皆違うから映像にはできなかったのだろうけど、音だけでも残せたことはよかった。
吉川訳の「失われた時を求めて」もなかなか読む気がせず、チェーホフの短編も止まったまま。この間久々にメロス弦楽四重奏団のベートーヴェンを出して聴きメロスのモーツァルト弦楽五重奏を聴きたくなり注文したが、やはりブダペストだよなと。それでは評論家がいまだにバッハ無伴奏チェロはカザルスだとか第九はフルトヴェングラーだといってるのと同じじゃないか、人の感性は最初のもの若いときのものに左右されるのかと改めて思った。メロスも美しくていいのだけれど、モーツァルト嫌いの自分には美しいだけではだめ、ブダペストのようにごっつい演奏でなければ涙が追いついてしまう。ふとアース・ウインド・アンド・ファイアーを聴こうと思ってCD探したら、あるべきところにない。全くのお手上げ。家のどこかに必ずあるはずだけど、千円台で買えるならそんな労力使わない。G・エヴァンスもミンガスもグールドも絶対そんなことはない。二段目に隠れているCDは初めて見たという感動を覚えるものもたまにある。自分で買ったのだから初めてということはないのだけれど、時が経つほどにそれが何枚もあったりする。本はそれがない。読んでいなくても解説くらいは先に読むから、全く忘れるということはないのだろうか。それどころかまだ読んでいないと気にかかるものが何冊もある。魯迅選集も学生の時買って小説は読んだけれど、半分以上を占める評論はいくつかしか読んでいない。プルースト全集は「失われた時を求めて」が文庫になったとき読んだが、あとの評論、書簡は読んでいない。つまり全集自体は全く手をつけていないということ。カフカも小説だけは読んだ。ノーマン・メイラー全集は「裸者と裸者」だけ読んで終わった。「裸者と裸者」の映画もテレビから録画したのだけれどそのDVDが見当たらない。また放送など期待薄だし、当然市販DVDもない。それら読まなかったものは二度と読むことないだろう。これから短くなっていく人生で、こまめに書簡など読むわけがない。ゴッホ書簡集も学生の時買って少し読んだが、小林秀雄の「ゴッホの手紙」だけで十分と感じた。その「モオツァルト」を読んで、弦楽五重奏を聴いたのだがブダペストに惹かれたのは推薦盤にあがっていたのはもちろんあるだろうけど、あの緑のジャケット。そんな特別素晴らしい絵でもないのだけれど、やけに気に入ってしまってそれがあの曲のイメージになってしまった。自分が評論家ならそれは自分の愛聴盤として取っておいて、新しい演奏を推薦するけどなあ。でも同じモーツァルトのクラリネット五重奏曲でウラッハ以外を推薦できるかだ。
「LOST」観終わってから何か面白そうなドラマないかと探していたら「LOST」に出ていた俳優が出る「パーソン・オブ・インタレスト」というのを見つけて試しに1話観ると面白そうで、そのまま止まらなくなった。これはシーズン5までだけどあっという間にいきそう。あといくつか観たのだけれど、主役の男女が中心になってその二人の活躍でみたいな典型的なハリウッドクソドラマはすぐやめてしまう。そういうのに限って長く続く。何せ男も女もSEXのことしか考えていない。戦後ヨーロッパでは「自転車泥棒」など作られていた頃、アメリカでは「駅馬車」だ。悪いインディアンが善良なアメリカ人を襲う映画を。かといってヨーロッパが素晴らしいわけでもない。こいつらもSEXのことしか考えていないというのは旅行行ってわかるし、女は30過ぎたら完全デブのおばさん。中国人はどこにでもいてうるさい。やはり日本しかないのか。アメリカドラマがクソだというなら日本ドラマはどうなんだということは忘れよう。とブログを書く気になったのも「パーソン・オブ・インタレスト」が面白くてそのことを書こうかと思ったから。ついでに大嫌いなモーツァルトの中でもまだアーノンクールなら聴けて、しかも晩年の演奏は若い頃よりもっと尖った演奏で感心したのも思い出して聴きながら書いている。今まで聞かされてきたワルターやベームは何だったんだと思う。交響曲ならばホグウッドがオリジナルの形で録音して絶賛されたけれど、それからみな小編成の古楽器による演奏が当たり前になり、今ではホグウッドは評論家の間ではその頃にしてはよくやった程度の評価になっている。その代わりブリュッヘンのようなどこがいいのだかわからない演奏を褒めたりして。評論家の第一の推薦盤がネットのレビューでぼろくそなんてよくあることだけど、そういうのは販売との癒着を感じる。たまに出る音楽評論家の自宅は広い部屋に高価なオーディオ。儲かるんだな、嘘ばかり書いて。嘘ばかり書いて儲かるというのはネットも同じかもしれないけど。自分はずいぶん損させられたので親切心に書いておく。アルバンベルク四重奏団のCDは買うな。その点ジャズはわかりやすい。フリージャズ嫌いな人は評論家がどう褒めようとセシル・テイラーは買わない。「サムシンエルス」の「枯葉」聴いて心動かされないジャズファンはいない。エヴァンスの「ワルツフォーデビー」を聴いてぐっとこない人間は最初からジャズ聴く必要ない。上半身裸になって口をぽかんと開けたような奴らの音楽でも聴いていればよい。