And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

Hier encore

2018-12-28 15:11:48 | 日記
吉川訳「失われた時を求めて」もとうとう「見いだされた時」に突入。早く読みたいけれど、その前に「死せる魂」を読んでしまわないと。面白くてどんどん進みそうなので、といっても2,3日では終わりそうにない。この歳になって面白いなというしかも名作といわれている小説に出会うと、若い頃にまだまだ本に出会う機会があったのではと思うが、人生そんなもので量は決まっている。出会いも決まっている。子供の頃に未完成のEP盤が家にあった。子供の頃だったのに指揮はジョージ・セルと覚えている。高校生頃からクラシックを聴くようになったが、シューベルト特に交響曲はレコードで買うことはなかった。セルの未完成聴きたいと思ったのはCDになってしばらく経ってから、そういえばと思い出した。前にインマゼールのグレイトがよくてインマゼールで全部そろえたが、それもグレイトくらいしか聴かず、今回アーノンクールで聴いてみようかと思った。絶対夢中になる音楽ではないので一通り聴いたらすぐやめると思うのだけど、今がその時期なのだろう。昔から交響曲は嫌いなのにハイドンを聴き通したりと趣味も変わってきている。もしかしたら大嫌いなブルックナー、マーラー、中嫌いなモーツァルト、チャイコフスキー、関心すらないR・シュトラウスもいつかいいなと思って聴く日が来るかもしれない。でもそんなにクラシックばかり聴くのもやだ。とジャズ聴きたいのあるかなと棚を見てもこれというのがない。テーマアレンジもなくただアドリブで勝負みたいなジャズは昔から関心がない。だけどパーカーは好きみたいな矛盾はあるけれど。キース、チックも終わりに近づき、あと誰の新譜を聴けばよいのだろう。ジャズもクラシックも新しいものはほぼ買うことなくなった。ジャズならCDになっていない古いものがいっぱいある。そういう復刻物に力入れてほしい。ビートルズも高い箱物が出るとつい買ってしまう。
「死せる魂」が終わったら高遠訳「失われた時を求めて」の6を読んでから吉川訳に突入。この二人の訳がいつから始まったか忘れてしまったが、10年くらいは「失われた時を求めて」を読み続けている。好きだから読んでるだけで別に自慢でもない。相当しばらくぶりに「スワンの恋」がディスク化になったようだ。昔映画館で観て、DVDになったときすぐ買ったが、いまいち雰囲気出ていなかったように思う。若いときにヴィスコンティのホモの相手したと噂されたアラン・ドロンがシャルリュス男爵とはちょっと皮肉だったが。それより「見出された時」の映画化のほうが全般的な小説のイメージを出していて面白かった。小説も新しいものを読んでいない。大江の新しい小説買ったのはもう何年前だったろう。
つい昨日まで僕は二十歳だった。時を無駄にしていた。それを止められるものと信じ、捕まえようとさらに追い越そうと-Hier encore-

エナメルを飲むアポリネール

2018-12-02 00:05:31 | 日記
しばらく書けなくて、どうしようと思ったが仕方ない。作家じゃないんだから締め切りがあるわけでなく、金もらってるわけでないから書かなくてもいいことだ。なぜ書く気になったかといえば、久しぶりにシューベルトを聴いていいなと思ったから。アーノンクールのベルリンフィルとの「グレイト」この曲というよりシューベルトはほとんど全部聴くことないので、「グレイト」もインマゼール以来ということはいい演奏なのだろう。他にも何枚か聴いたが、長いのでつまらない演奏だとすぐいやになる。ついでに安かったのでアーノンクールの旧録音も注文してしまった。もちろんこの手は中古しか買わないけれど。売ったときにも損した感が少しはぬぐわれるから。それと久しぶりプルースト以外の小説に手を出した。ゴーゴリの「死せる魂」。これも中古でよかったのだが、上巻だけが絶版になってるようで、それだけおかしな値段ついていたから大きな書店で検索したら揃っていたので、すぐ取り置きして購入。訳が古そうだけれど名訳だというので少し読み始めたら、なるほど面白い。ただ活字が小さく読みづらいけど面白ければ進むだろう。自分では意識していなかったが、ロシア文学好きなのかな。ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフ、パステルナーク、ブルガーコフ、ソルジェニーツィンこれだけ読んでいたら嫌いとは言えない。ストーリーも粘っこいのが多いので、昔読んだ小説でもなんとなく覚えているのはヌーヴォーロマンは好きで何冊も読んだのだけど、さっぱり覚えていないのと対照的。フランス人もフランス料理も大嫌いなのに仏文が好きというのも悔しいが、これも「失われた時を求めて」を何度も読み続けているのにサルトルの「嘔吐」が一番好きな小説といってるのに仏文嫌いともいえない。
先日フェルメール展行ってきて、なんで日本のおばさんたちはフェルメールが好きなんだろうと思った。海外の美術館行ったときも日本の団体客のおばさんたちがフェルメールどこと探し回ってるのを見て、たぶん絵を見たいのではなくフェルメールと名前の付いたものを見たいのだろうと思った。この間のフェルメール展もそういう人たちが押しかけ、グッズを買いあさるのを見ると嵐のコンサートと変わらないと思う。ムンクもやっていたのでついでに行くとここもまた大混乱。ムンクが人気あるのはなんとなくわかるので、それでも落ち着いた気分になった。そしてもう一つそれより興味のあるデュシャンもやっていたので行く。デュシャンは何度も見ているが、これは何度もやるものではないなと思う。便器は一度でよかったのだ。それをいまだ何度も出されると自分がチンパンジーに思えてくる。そこでびっくりしたのが写真撮ってる人がいる。教えてやろうと思って写真撮ってもいいのと聞くと一部以外は大丈夫ですといわれ、またびっくり。便器を写真撮っても便器は傷まないだろうけど、日本の美術館は全部だめかと思っていた。