And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

僕には自分の声の雑音が聞こえる・・

2016-03-31 22:04:51 | 日記
創元SF文庫で読んだフィリップ・ディックの「虚空の眼」はたいした面白いとは思わなかったのだけど、何年か前やっと早川版が文庫になった「宇宙の眼」はなるほどとよさがわかった。訳で左右されるのは当たり前だがやはり題名も「宇宙の眼」でないと。ディックくらい映画になる作家もないがどういうわけか面白いこれは映画にならない。ハインラインの「夏への扉」とかブラウンの「発狂した宇宙」とか映画にしたら面白いと思うのだが。「盗まれた街」など何度も映画になるのはわかるけど、「火星年代記」なんか本のイメージをそのまま映像にできる監督いないものか。「透明人間」は戦前映画の暗いイメージ。あれを明るくしたら子ども向けのコメディになってしまうから映画化はもう無理。映画ができたときからジュール・ヴェルヌの映画化などあったからSFと映画は長い付き合い。西部劇や聖書ものなどのように今は作られなくなったジャンルがあるので映画との相性はいいということか。でも昔も今も女、子ども向けの娯楽映画がほとんど。キューブリックの「2001年」とタルコフスキーの「ソラリス」くらいか、大人のSF映画は。「2001年」を観た頃は21世紀には宇宙ステーションあるのではないかとずっと未来の話だと思っていたが。「1984年」もそう。オーウェルの1984年が来てしまったと思った。これは共産圏で半ば実現してるがうれしい話ではないだろう。日本でも独裁政治になればそうなる。どこの国でもどの時代でも権力が集中したらそうなるのに、そうなるまでわからない。ユダヤ人強制収容所の後始末をドイツ人にやらせたというが、指導者、将校たちはしなかっただろう。日本も名もない兵士たちは犬死にして何の報いもないが、玉砕させた将校たちは戦後何十年も平和な生活を送った。国会議員の息子たちは必ず最前線に配置されるという確約でもあるなら軍隊作ってもいいかもしれないが大抵は逆だ。さすがに戦争映画も減った。アメリカの戦争映画はドイツ敵が多いのはユダヤ資本の関係だといわれる。フランクリン・ルーズベルトを筆頭として日本人嫌いのほうが多そうだ。そんな国にあこがれるバカな兄ちゃん姉ちゃんはアメリカ行って黒人以下の扱いを受ける。アート・ブレイキーが初めて日本に来たとき人が押し寄せていたので、誰か有名人が同じ飛行機に乗ってるのかと思ったら自分たちへの歓迎だったと驚いた。アメリカの戦争映画ではおかしいと思うくらい黒人は出てこない。黒人は集められて最前線にやられるからか?スピルバーグやトム・ハンクスが製作総指揮した「ザ・パシフィック」でやっと本当の戦争を見つけたか?ずいぶん長くかかったけどいいさ。日本では愛は死にますかだから。いまだに。
献碑のとき ウィリアム・ジェームスには
青銅の黒人たちの息づかいが聞こえるほどだった


だけど秋の寂しさは怖くない、だって僕は四月と君を覚えているから

2016-03-28 22:43:38 | 日記
サンダーバード2号を作ろうとデアゴスティーニで取り出したが、意外と面白い。もちろんサンダーバード世代でないと買わないだろう。その前もDVD全巻買うとサンダーバード2号のミニチュアがもらえるというのでDVDは観なかったが、ひたすら買い続けたことがあった。解説読んでいたら観たくなり、箱にしまってあったDVDの1話を観た。原子力旅客機の事故という話なのだが、尾翼にコックピットがあったりと斬新なアイデア。しかも機長が左に座りとか子ども番組とは思えないこだわり。その救助で飛行機から飛行機へと乗り移ろうとするのは「エアポート75」で出てきた。これをパクった?大人相手に子ども番組のアイデア使ったのでは笑われるだけだと思うのだが。事実そのシーンは笑い話になった。最新鋭機の度重なる事故から飛行停止は世界最初のジェット旅客機コメットがベースになってると解説にあるが、それは「メーデー」で観て知ってるのでそんなことまで含ませて作ったことに驚き。ペネロープの声、確か黒柳徹子だったと思ったがと聞いたが当たり前だ、50年近く前の声だから若いの。原子力飛行機も実際に考えられたこともあったようだが、安全性からやめたよう。当たり前だ。そんなの墜落したらどうなる。最初の「大空港」は人間模様を描いた面白い映画だったが、続編は全く関係なくただのパニック映画になった。そんなの観るくらいなら「メーデー」観たほうが、飛行機にも詳しくなるし、原因探しで人間関係に当たることもあるのではるかに面白い。スター共演といえば「タワーリング・インフェルノ」でポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンの共演は驚かされたが、よく観ると共演シーンはそれほどないと後で知った。その頃にはアメリカン・ニューシネマも終わった。「ワイルド・バンチ」や「明日に向かって撃て」が最後の西部劇だったのではなかろうか。もしかしてそのあたりでアメリカ映画も終わったのでは。80年代以降で何かいいアメリカ映画ってあったか思い出せない。イタリアの巨匠も次々亡くなりイタリア映画も終わった。フランスはルネ・クレール以外の監督誰かいたのか?日本も黒澤明が「巨匠」となり70年代ゴミ映画を連発しても、賞賛される始末。音楽だけでなく映画も昔はよかったねになってしまう。サンダーバードの解説を読むと60年代後半はプラモデルの黄金期らしい。その頃プラモデル作った。70年代ロバート・レッドフォードの映画を観た。キース・ジャレットを聴いた。カラヤンを聴いた。「レット・イット・ビー」のシングルを買った。「コンドルは飛んでいく」のシングルを買った。それで今またサンダーバード2号作る。僕は四月を思い出す。

スチーム・ローラーに

2016-03-27 22:34:41 | 日記
ジャズは相変わらず新しいものは面白くなく、コリア、ジャレットも歳か新しいのが出る周期も長くなり、CD化されるのを待っているものは出ないし、そうなるとジャズについて考えることも少なくなり、お気に入りを聴いていればいいのだけれどもルービンシュタインやハイフェッツのコンプリートをまだ残しているから、そちらを聴いてしまう。レコード芸術の名曲名盤でストラビンスキーはいつもブーレーズが選ばれるのに今回はピリオド楽器による演奏が1位。いつもこの企画をバカにしながら読んでいるのに好きな曲だとまんまと引っかかって買ってしまった。バッハはリヒター、第9はフルヴェンなんてのはまっぴらだから、新しい演奏を推薦するのはいいことだと思うので、思ったより面白くなかったのは不満だが、まあいい。クラシックもカラヤン、バーンスタインのような個性を持った演奏家がいなくなって、同じような演奏なら当然買わない。今は編集でいくらでもできるので超絶のピアニストなんて売り方はできないだろうし、かといって普通に弾いていたのでは売れるわけがない。ホグウッドのモーツァルトあたりから火が付いた古楽器によるなんてのも、もうやり尽くした感がある。名のない指揮者、ピアニストはどうしたらいいのだろう。ジャズもクラシックも好きな盤は聴き飽きているし、滅多に聴かないのはやはりつまらないしとなると、数があっても聴きたいものがないになってしまう。買って10年以上になると思うエリック・ドルフィーのボックスを今日全部聴き終えた。買って1曲2曲は聴いたと思うが、特にボックスセットはそういうのが多い。ギル・エバンスのスイート・ベイジルのボックスのようにすり切れるかと思うくらい聴いたのは例外で、自慢ではないが買うだけ買ってほぼ聴いていない。そういうボックスはレコードの収録順ではなく、録音順に並べられている場合が多い。オーネット・コールマンのアトランティックのコンプリート、最初が「ロンリー・ウーマン」でなくなるわけだが、それで買ったからまあいいかで聴かないとか。ジャズの割とマニアックなファンは好きなミュージシャンは全部集めたいという欲望があるので、ボックスを買うと楽に集まる。全部持っているという満足感があればいい。聴くときは個別のCDを聴く。アニタ・オデイが好きで全盛期のヴァーブ録音は紙ジャケットCDで出たので全部買ったが、「コンプリート・ヴァーブ・レコーディング」というボックスセットが出たら買った。どちらが先だったか忘れたが、間違いなくボックスセットのほうは聴くことがなくなるわけだが、そんなことでもったいないなど思わない。それだもの、部屋がゴミ屋敷になるわ。

ザームエル:1911年8月26日。午後1時2分発。

2016-03-23 23:58:38 | 日記
カフカの「変身」は自分の意思で出版したものの1冊だが、そしてカフカの中で一番有名ではあるが自分はそんな好きではないし代表作だとも思わない。本人の意思に反して出版された長編のほうがずっと面白い。また日記、手紙もカフカ文学とされるくらい面白く読める。ドヴォルザークのゴミ箱を漁れば交響曲の一曲は出来るだろうとブラームスは言ったというが、カフカの長編、日記、手紙もカフカのゴミ箱の中のものだった。中には読まれることのなかった「父親への手紙」なども小説として含まれる。カフカは解決しないところがよい。長編はブロートが勝手に章を並べただけなので中途半端に終わっていく。短編にしても何か教訓があるわけではない。プライベートの檻に入ってるだけなのになぜプルースト、ジョイスと並び称されるのか。南米文学のように宙に浮いているわけではない。見るものは現実。どうしても行くことのできない「城」を読むとブニュエルの「皆殺しの天使」を思い出す。なぜか部屋から出ることができない。映画ではみんな出ようとするが、「城」のKははたして行こうとしているのだろうか。「審判」のヨーゼフ・Kは理由を突き止めようとしているのだろうか。「審判」には結末があるが、全く重要ではない。このカフカの闇と今のプラハの観光客でごった返した騒がしさ。ダブリンには「ユリシーズ」を見いだせるのに。「失われた時を求めて」を探しにわざわざイリエに行く必要はないが。ビートルズを聴くのにわざわざアビイロードの横断歩道を渡る必要はないが。リバプールへ行って、わざわざバスに乗ってストロベリーフィールズ跡へ行く必要もない。でも好きなら行ってみたい。アメリカが嫌いなのでパターソンにもグロスターにも行くことはないだろう。自分の写真にブルックリン橋は必要ない。ハート・クレインの「橋」を読んでも意味がよくわからないから。ウォレス・スティーブンスの「アイスクリームの皇帝」をあるアイスクリーム会社の社員が読んで、褒めてるのかけなしているのかわからないと言ったというが、別にクレインもブルックリン橋を讃えるために「橋」を書いたわけではあるまい。どちらかというとアメリカという国を讃えている。自分には全く縁のないアメリカを。そうチェコにはスメタナがいる。「わが祖国」その中でも「モルダウ」これを聴くとチェコ人でなくても誇らしげに思う。チェコに行ってモルダウはなかった。ヴルタヴァ川というのがあって、モルダウというのはドイツ語読みだと知らなかったのでモルダウ以外にも街を流れる大きな川があるのかと一瞬思ったが、さすがこれがモルダウだろうとはすぐ察した。





ご婦人たちよ、わたしたちはこれから地獄を通りすぎるのだ

2016-03-21 11:11:29 | 日記
ポール・サイモンの「アメリカの歌」はマタイ受難曲コラールのメロディを引用しているといわれるが、そんな似てるとは思わない。「ひとりごと」というアルバムが出たときすぐ買ったが、自分の期待したサイモンではなかった。今ならわかるがサイモンはサイモンとガーファンクルの続きをやる気などなかった。覚えているのがNHKFMで全曲かかったのに「僕のコダクローム」だけ抜けていたこと。当たり前か、商品名を連呼したら。今の人はコダック、コダクロームって何?だろうが。その期待外れの中で何度も聴いたのが「アメリカの歌」若い男女が希望の国アメリカを見つけるサイモンとガーファンクルの「アメリカ」の続きだろうか。ここには何度も思い誤り、死ぬのを想像する「僕」がいる。旧約聖書の「伝道の書」で「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」とある。「泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、」若いときはすべてがうまくいくと思う。歳を重ねるとすべてがうまくいかないと思う。両方間違いであって、すべての事には季節がある。大江健三郎は小説の中でブレイクの詩を引用していた。「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、学ばねばならず、忘れねばならず・・」労役と悲しむ、学ぶと忘れるは対だと読んだときに忘れなければならない事があるのはわかるが、労役と悲しむが対というのはわからなかった。学生時代が終わると人生の3分の2くらいは労役の中にあり、決して働くことを拒否するわけではないがそこにある不安は小林秀雄流にいうなら疾走する悲しさ。それを読んだのはもう何十年も前なので、その頃の若い感覚と今とでは違い当時の思いを正確に思い出すことはできないがその小説でブレイクを知った。もう本を読んで刺激や興味を持つことがなくなったのは本が面白くなくなったのか、感性が老化したのか。小説家もすべて傑作を書くわけではない。フォークナーなど傑作と呼ばれるものしか読んでないが、つまらないのも多くあるようだ。ドストエフスキーの五大長編と言われているが、はたして「罪と罰」と「未成年」が同列か?シェイクスピアは好みはあるが、どうしようもなくつまらないものはなかった。プルーストは死ぬまで「失われた時を求めて」を書き続けたが、後半つまらなくなったとかないどころか、それぞれのその後が興味深く描かれる。この間ミンガスを聴いたら、オーヤーと叫びながらベースを弾いていた。晩年足も動かなくなり56の若さで死ぬとは思っていなかっただろう。学生の頃見た父親のイメージは今の自分くらいの歳だ。その頃自分は若いという言葉を知らなかった。今子どもたちに若いという言葉を使う。いずれ自分もミンガスや父親と同じく消えていく。
ぼくらはメイフラワー号という船に乗って
月まで行きつける船に乗って
現代のもっともさだかならぬ時間に到達した