And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ターンテーブルの夜

2015-11-30 20:00:55 | 日記
ウッディ・アレンは「アニーホール」で全世界的に有名になってから、フェリーニやベルイマンに傾倒していたことを隠さない映画を続けざまに出した。アレンも古い映画を観直していないのでほとんど忘れてしまったが、「アニーホール」で子ども時代に自分が行くのはベルイマン知っていたら誰でも「野いちご」と連想するし、映画館に行くシーンで確か上映してるのがベルイマンでなかっただろうか。「インテリア」は「鏡の中にある如く」、「サマーナイト」は「夏の夜は三たび微笑む」、「スターダスト・メモリー」はフェリーニの「81/2」、「ラジオ・デイズ」は「アマルコルド」とすぐ連想するものが出てくる。もちろんそれがまねにならずウッディ・アレンの世界にしてしまうから、なお評価を高くしたのだろう。ーフェリーニもいいとこDVDになっているのにどういうわけか「アマルコルド」の日本版は出ないー「私の中のもうひとりの私」も思い切りベルイマンだが、「ハンナとその姉妹」「セプテンバー」「アリス」などウッディ・アレン独自の映画の世界を作った。それ以降、上映されるごとに観に行ってそれなりに楽しめるのだがファンだったので最後まで付き合おうという気持ち。でも前にも書いたが「ミッドナイト・イン・パリ」みたいな映画をいきなり作るので油断できない。黒澤、フェリーニは晩年にゴミみたいな映画ばかり作ったし、溝口健二は若いときから傑作も作るがクズも混ざっていた。逆にヴィスコンティは晩年にピークを迎えた。ブニュエルも晩年面白い映画を作った。デビッド・リーンは初期と晩年では作風が違うが一貫していい映画を作ったのではと思う。ヒッチコックとビリー・ワイルダーは全部好き。新藤兼人は10本も観てないが観た映画は全部好き。デシーカもLD、DVDで手に入れられる物は全部持っているが、1本というとどうもピンとこない。それより俳優としてロッセリーニの映画に出た「ロベレ将軍」がよかった。小津安二郎は全部観てもう観ることないだろう。木下恵介はまだ半分くらい残っているが気が向いたら観ることあるかも。山中貞雄の3本はどれも面白かった。特に「人情紙風船」独特のペシミズム。前にも書いたがラストはアメリカンニューシネマだ。

私も告白する

2015-11-28 21:48:32 | 日記
CDボックス買うだけ買って聴いてなかったのでハイフェッツやルービンシュタインを聴いてる。カラヤンも60,70,80年代と3つのボックスがあり何枚かは聴いているのだがこれも聴いてみるかと近くにあった80年代。1枚目がR・シュトラウスの「アルプス交響曲」2枚目がブルックナーの交響曲。よりによって一番苦手というか嫌いな作曲家か、でも両方とも聴いたことないから手始めに「アルプス交響曲」を。こういう曲は雑誌めくるかパソコンでもいじってないと寝てしまうからブログを書き出す。やっと終わったのにブルックナーなんて聴けないから60年代を開けて1枚目はと出すとこれまたR・シュトラウスの「英雄の生涯」これは昔ベーム指揮で買ったので最初の30秒くらいは覚えているが、これもよく眠れる。仕方ない、かけておいて話題は映画にするか。ヒッチコックもテレビでよく観た。その頃は「鳥」や「サイコ」のイメージだった。LDが出てきて、自分の好きな映画を集められるようになると監督別にコンプリートはなかなか無理なのだけれど1枚ずつ買い出す。ヒッチコックも「ヒッチコックを読む」という本でチェックしながら集めていった。ヒッチコックの場合ごく初期の何本かを除いてほぼ全部集めることができた。買ったときにそれぞれ観ているのだが、全部集まってから最初から順番に観てみようと思った。どうしてもヒッチコックがわからなかったのが「ロープ」出演シーンがなぜか日本ではカットされてた「レベッカ」それ以外は昔映画館で観に行った時もそうだったのだが、まずヒッチコックを探すことから始まる。大した好きでない監督たとえば黒澤明なら、これは面白かったけどこれ以降はゴミとか、小津安二郎なら1度観たらもういいとか、スピルバーグ、ルーカスなら観る時間がもったいないとなるのだけれど、ヒッチコックは好きという感情を置いといてもどれを観ても面白い。その面白いものばかりの中で「ヒッチコックを読む」の中でもやってたベスト5を選ぶとなると何になるだろうと当時から考えていた。今DVDで買い直したが、しばらく観てなくて忘れたのもあるので昔と同じかわからないがとりあえずベスト3で考えてみることにする。絶対外さないのが「バルカン超特急」原題はThe Lady Vanishesで半ネタばらしなので邦題のほうがいい。映画の邦題は「ビートルズがやってくるヤァヤァヤァ」みたいのは少ないように思う。まああれも映画か。トリフォーの「ジュールとジム」に「突然炎のごとく」という題をつけたのはいいセンスではないか。トリフォー自身気にくわなかったらしいが、監督としてのプライドの高さと日本人を元々見下しているからだ。どっちの題名で映画観に行きたいと思うって。長くなったので急いであと2つ。これが難しい。イギリス時代「バルカン超特急」だけでなく面白い映画いっぱいある。それに目をつぶって思い出す順に「海外特派員」「北北西に進路を取れ」かなと思うのだけど「知りすぎていた男」も入れたいと思うとベスト4になってしまう。「知りすぎていた男」も落とすことできないから。
ママは言った
なるようにしかならない
未来なんかわからないのよ


パリは燃えているが

2015-11-27 15:43:36 | 日記
新しい映画観てないなと考えたら先月飛行機で「SPY」という映画を観て大笑いしたのがあった。飛行機の映画はまだ日本で上映されていない新作か家では絶対観ることのない娯楽映画。「スパイダーマン」とか観て時間つぶしとか。新作は割と当たりがある。「SPY」は日本では公開未定となっている。なぜしないのだろうと考えるとコメディは難しいのかもしれない。配給会社にとってこれくらいの映画ならレンタルで充分という感覚か。007、ハリーポッター、スピルバーグなどの間違いなく見込める映画を別として、あとどういう映画が上映されているのか気にもとめたことないのでわからないが、少なくとも日本のどうしようもない映画よりは入るんじゃないかと思うが。女主人公が金持ち女の自家用ジェットに乗せてもらう。「私プレミアムエコノミーしか乗ったことない」と主人公が言うと「ああ、動物園の檻みたいなやつね」自分は動物園の檻以下で旅行している。昔から夢を見させてくれるのが映画だ。絶対逃げられないだろうというところから逃げたり、不利なところから相手をこっぱみじんにしたり。アメリカでは悲しんだり失望したりすることはないようで幸せなハッピーエンド映画が永遠と未だ続いているが、そんなのばかり見せられてもうんざりする人だっている。イタリア、フランス映画も一世風靡したが、今は聞かない。イタリア映画は一流、三流があって二流がないと言われた。一流はもちろんデシーカ、ロッセリーニ、ヴィスコンティ、フェリーニなどなど。三流は有名なのでマカロニウェスタン、どうにもならない残酷ものとかもイタリア映画にあった。そういえばイタリア映画で戦争映画は聞いたことない。ナチのお荷物でどうにもならなかったのに、連戦連勝したなどといった映画は作れないだろう。コメディになってしまう。ロッセリーニの映画は戦車や飛行機が出てきて派手に撃ち合いという映画ではないので除くとして。デュヴィヴィエは日本で人気があったというが「アンリエットのパリ祭」以外面白いと思ったことがない。ルネ・クレールは映画サークル主催で3本くらいまとめて上映したのを観に行って好きになった。「巴里の屋根の下」「巴里祭」「自由を我らに」といった一番いい頃の映画だったのでなおさらだろう。ルネ・クレマンは「禁じられた遊び」に「太陽がいっぱい」両方ともテレビで何度も観たが、「禁じられた遊び」はもう10年以上前に観るのをやめた。何度観ても最後泣いてしまうから。ハッピーエンドには飽き飽きだが、デシーカの「自転車泥棒」は何十年も観てないしあまり観たくない映画。チャップリンは昔好きだったが、ある時点からヒューマニズムが鼻につくようになった。しかしヒトラーに力があった頃にヒトラーを皮肉った映画を作った監督はそういないのではないだろうか。アメリカを皮肉った「ニューヨークの王様」が一番好きだ。この間亡くなった原節子、ほぼ小津の映画でしか観てないからわからないが、品のいい若奥さん的なイメージしかない。美人とかいう尺度は別として、ああいう映画ばかり出てて名女優?脇の杉村春子のほうがさすが名女優という気がする。


music for prepared pianist

2015-11-22 00:43:22 | 日記
ショパンは子どもの頃から家にあったレコードで聴いていたから長い間聴いているが、この間初めてテレビでショパンの墓がパリにあると知った。ウェーベルン、バルトークなら何となく生涯を知っている。でも他の作曲家ならたとえばショパンならポーランドで死んだのだろうとしか考えない。ショパンは昔好きだったのだが、もう何十年も興味のない作曲家だった。それをなぜショパンのことを考えるようになったかというと、ルービンシュタイン全集でまた聴くようになったから。ルービンシュタインなら当然全曲録音していると思っていたら練習曲集は録音していない。ノクターンなどSP、モノラル、ステレオとその時代で録音しているのに。前奏曲集は辛うじてモノラル録音があるだけ。意外だった。ホロヴィッツなら逆に曲集全部録音などない。ショパンアルバムとかあるが、それはレコード会社が勝手にショパンの録音を集めたに過ぎない。もちろんどれ一つとして全曲などない。それどころか親交があってよく取り上げたラフマニノフだって一番有名なピアノ協奏曲2番録音してないとか。ホロヴィッツの場合ピアノ協奏曲自体ほとんど録音していないというのもある。こんな好き勝手に録音してコンサートしたピアニストはいない。リヒテルもそれに近いところがある。プロコフィエフの有名なピアノ協奏曲3番は録音しないで5番を何度も録音したり、自分が初演したピアノソナタ7番の録音がほとんどなかったりとかしている。ほとんどまとまったものを録音していないのだが、不思議なことにバッハの平均律だけは全曲録音している。得手不得手というか好き嫌いがあるので、どのピアニストも多少なりとも弾く曲弾かない曲あるがホロヴィッツは極端だし、ルービンシュタインが練習曲集は録音してないというのも不思議。ここらのピアニストは何でもわがままの利く大将で、ルービンシュタインは百万ドルトリオで一緒に演奏したハイフェッツとは仲が悪かったとか、みんな俺が一番なのだから仲がいいわけがない。プロと言われるピアニストが世界に何人いるかわからないが、コンサートや録音できても客を呼べそうな曲を演奏し、名曲アルバムみたいなものを録音しなければならないピアニストがほとんどだろう。21世紀も15年経って、まだ一人のホロヴィッツもハイフェッツも出てきていない。





私はテネシー州にひびの入った壺を置いた

2015-11-21 21:52:30 | 日記
ホロヴィッツの「「アンリリースト・ライブ・レコーディング」も1枚ずつというか、これは2枚で1コンサートなので2枚ずつ聴いている。ホロヴィッツはコンサート開始必ず日曜の4時から、そんなのは聴くのに関係ないが曲目もその年ではほぼ同じ、弾く曲は限られる、しかも有名なソナタ2曲弾くとかでなく自分のお気に入りの小品ばかりで他のピアニストなら成り立たないプログラム。つまりこのボックスセットでは同じ曲を何度も聴かされることになる。チャーリー・パーカーならいい、全部アドリブ違うから。クラシックの場合、しかも同じピアニスト。ストラヴィンスキーの「春の祭典」ばかり30曲入ったCD出たが、それは違う指揮者しかも曲自体聴き比べて面白いものだった。ハイドンやシューマンの同じ曲を何度も聴いても違いなんかわからないけど、編集なしなのでミスタッチも編集していないのでそういう楽しみがあるとはいえ、そう派手に間違うわけないのでーそういうのは出さないだろうしー本読むときに流すしかないと思っていた。やっと60年代終わって75年のシカゴ、なんとなく聴いていてびっくりした。コンサートの最後の曲ショパンのスケルツォ演奏、終わる前に拍手が入った。コンサートで曲の終わりを知らなくて途中で拍手してしまう初心者がいることあるが、最後の一音の前に拍手が入るなんて他のコンサートでもあることではない。でもそのあとアンコールを6曲もやったのだからホロヴィッツもその日はノっていたのだろう。観客の耳も確かだったということ。クラシックはとかく、特に日本では有名な演奏家が出てきただけで演奏する前から気持ちはブラボー。どんな演奏だろうと終わればわれ先にブラボーと声をあげなければ済まない人間がいる。リヒテルのカーネギーホールコンサートでベートーヴェン、ピアノソナタ「熱情」ものすごいスピードで3楽章入ったのはいいけれど、さすがのリヒテルも指がもつれて大きく音を外しながら終わった録音があり、それは1度日本でレコード化されたがリヒテルの指示でストップになり、最近やっと公式にCDになったのがあった。ケーゲル指揮でこれは指揮者死後出たものだが、ショスタコーヴィチ交響曲7番のライブ、1楽書で素人が聴いてもリズムずれてるだろうというのがあるが、クラシックでもそういう演奏を聴きたい。ジャズだってそうだ。編集ばかりするから何の汗も聞こえない演奏になる。また「昔はよかったね」か、でも知っている古きよき時代なんてないことを。