And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

September Song

2015-03-31 12:37:09 | 日記
若いときにスナックのママに何月生まれと聞かれ9月というとセプテンバーソングねといわれた。この人クルト・ワイル知ってるのかと思ったが、ジャズが好きでもスタンダードナンバーとして出てくるのでそちらのほうが可能性ある。自分がクルト・ワイル知ったのはいつだろう。ロリンズのサキソフォン・コロッサスの中の「モリタート」が最初か。そのあと「三文オペラ」の管弦楽版。しばらくして出たアサートン指揮のグラムフォンから出た3枚組。クラシックであまり歌ものは聴かないのだけれど「ハッピーエンド」「マハゴニー市の興亡」よく聴いた。秀逸なジャケットでかっこよかったのだけれどCDではひどいいかにも廉価盤というカバー。しかも国内盤は出なかったのでレコードの歌詞を見ながら聴いた。ストラータスが歌った「知られざるクルト・ワイル」レコードで買ったのに見当たらない。すぐCDになったときはジャケットの中の歌詞もそのまま復刻されていたが、そのあとはそれがなくなりタワーレコードで最近しばらくぶりに復刻されたがそれにも訳詞しかついていないよう。ジャズでは「スピーク・ロウ」なんか取り上げられ、しかもロリンズの演奏があるからクルト・ワイルは割と知られているだろうが、クラシックでは最近まで現代音楽扱いだったのではなかろうか。今でもワイルのCDは限られている。昔レコードで出てCD化されたロッテ・レーニャ。決してうまくない、というよりへたな歌なのだが味わいがある。アメリカとベルリンシアターソング、レコードではそれぞれ1枚ずつの2枚組だったのだが、CDになって1枚にしたのはいいがベルリンの何曲かカットされた。そんなことするくらいなら2枚組で出してくれよ。それに比べたらストラータスやウテ・レンパーはうますぎてつまらないかもしれない。変わったところではスタン・ケントンのビッグバンドが演奏するセプテンバーソング。最初にユニゾンで楽団員の歌が入る。歌で有名なのがエラ・フィッツジェラルドの「マックザナイフ」。「スピーク・ロウ」も何人も歌っていると思うが、楽器ではロリンズ以外思いつかない。もはやクルト・ワイルは忘れられた作曲家なのだろうか。シナトラが「セプテンバー・オブ・マイ・イヤーズ 」という人生を季節にたとえ振り返るアルバムを作っているが、その最後は当然「セプテンバーソング」自分ももはや秋に突入したが、冬になる前に見るもの聴くもの読むものがある。長いそして春の来ない冬が来る前に。
君にも僕にも暇がある、
まだ、百度も決断をしぶり、
見てから、百度も見なおす暇がある。



四月は残酷極まる月だ

2015-03-29 01:12:36 | 日記
四月ならとこのフレーズから西脇順三郎のことを書こうと思ったら、エリオットだよなと思い返した。西脇も訳したのだけれども何でエリオットより前に西脇順三郎を思い出したのだろう。エリオットは正直しばらく前から興味を失っている。「荒地」と「プルーフロック」くらいで他はつまらない。自分の感覚では「春の祭典」だけのストラヴィンスキーと一緒。西脇順三郎は「秋」という詩のインパクトが自分の中では大きい。その詩が入っている詩集「近代の寓話」の中の同名の詩の始めに「四月の末の寓話は線的なものだ」という1節があるが、やはり四月というとエリオットの1節の呪縛から離れられない。バンビの「四月の雨」ジュリー・ロンドンの「カレンダーガール」という1月から13月まで歌ったアルバムでやはり四月は「四月の思い出」サイモンとガーファンクルの「四月になれば彼女は」は四月から始まるだけで関係ない。映画「卒業」でドライブシーンで「スカボロー・フェア」が流れてそっちのほうが印象的。エリオットはアメリカ生まれというのを忘れるくらいアメリカの臭いはしない。本屋で「アイスクリームの皇帝」というのがあって、おうW・スティーブンスの訳詩集出たかと思ったら、詩を絵とともに味わうみたいな要するにうけそうな「アイスクリームの皇帝」という題を利用した本だったので開きもしなかったが、W・スティーブンスの詩も全くアメリカ的ではない。乾いた知性とでも言うべきかホイットマン、ウィリアムズの流れとは全く違うのだが、それでもアメリカの臭いがする。となるとエズラ・パウンドはどうなるという話になる。巨大で理解不能な「キャントウズ」現代の神曲。こんな長大な詩こそアメリカでしか生まれないもの。しかし日本語で読んでもさっぱりわからないものを読んだといえるのか。かっこつけてエリオットなんかだめだねといえても、実は「荒地」を一番よく読んでいたんだ。また読んでみようか、残酷な四月に。「四つの四重奏」でまたうんざりさせられるのだけれど。
さあ、いっしょに出かけよう、君と僕と。手術台で麻酔にかけられた・・


April Come She Will

2015-03-28 22:22:52 | 日記
学生の頃からずっと現代音楽を買っている。池袋西武デパートにあった西武美術館売店のアールヴィヴァンに普通のレコード店にない現代音楽のレコードがたくさんあり、金ないなかからケージやクセナキスのレコードを買った。クセナキスは昔から好きだったが、リゲティ、ペンデレツキ、ルトスワフスキなどはもう古典として聴けるのにシェーンベルクだけはいまだ現代音楽として聞こえるのはなぜだろう。専門家ではないので詳しいことはわからないが、現代音楽行き詰まりの原因となったのがシェーンベルクでその飽和状態がシュトックハウゼン、それ以降の若手が打開していったと自分なりのイメージを持っている。その割にはCDでシェーンベルクを全曲揃えようと思ったらできるくらい種類が出てるのに驚かされる。シュトックハウゼンは自分のレーベルで膨大な数の曲を出している。シェーンベルクはともかくシュトックハウゼンは誰が買うのかと思う。自分も最初の20巻くらいまでしか持っていない。しかも全部聴いたのが最初の3枚くらいか。シュトックハウゼンはおいといて、なぜシェーンベルクはつまらないのだろう、いつまで経っても。最初に聴いたのが「浄夜」おおこれが現代音楽かと思ったが、これはまだ初期のメロディアスな頃で代表作とされる「月に憑かれたピエロ」を聴いたときは驚いた。が声楽にはあまり興味なくラサールSQの弦楽四重奏やグールド、ポリーニのピアノ曲を聴いて一流演奏家が取り上げているのだからと思ってみてもなじめない。ブーレーズの演奏する管弦楽も買った。もっと面白くない。最近CDになったがジュリアードSQは戦後間もない頃にバルトークとともにシェーンベルクも録音している。録音したということは当然レコードとして売り出したことなのだが当時の人はどう聴いたのだろうと興味がわく。そう思うと自分はシェーンベルク一通り揃えたのだが、どういうときに聴いているのか。間違いなくブルックナーやモーツァルトよりは聴いていると思うのだが、グールドが演奏したって楽しく聴けない。前にジャケット出したことあったがグラムフォンから出た管楽五重奏曲、本ではウィーンフィルのメンバーによる演奏で今までの演奏とは違いとても聴きやすいと書かれてあったので買ったが、どこが?どう演奏しようがシェーンベルクはシェーンベルク。でいつ聴くかというと本を読むとき。邪魔されずに済む。ということは聴いてないということか。

I'll remember April and be glad

2015-03-23 08:56:53 | 日記
連休前にレンタルで何本か借りてきた。暇つぶしには衛星放送ですむのだが「24」の最終を観ようと思って、そのついでに。今どき第二次大戦ものは珍しいと「フューリー」時間の無駄だった。中途半端に戦争の悲惨さを出しているが、そういうのは「プラトーン」で終えた。戦争と関係ない母娘との絡みが長い。最後の全滅も訳がわからない。ハッピーエンドにしたらもっと訳がわからないだろうという程度。それなら最後に正義の怒り爆発みたいなプロレスのストーリー的なもののほうが観終わってすっきりする。「ゼロ・グラビティ」のように借りて観て、5分でつまらないとやめてしまうのであれば時間の損失は少ない。完全に娯楽と割り切っている映画なら最初の10分で引きつけられなければ、いくら観ても無駄だ。困るのがだいぶ進んでから途中でダレる映画。最後まで観てあのクソ映画ねと言いたいばかりに観てしまって時間の無駄と感じる。その点007は完璧だった。最初からクライマックスかと思うような始まり方して最後まで飽きさせない。逆がタルコフスキー。重い雰囲気で始まって、これが3時間続くのかと思いきやその通り続く。「惑星ソラリス」公開当時観に行って何度席を立とうとしたか。ベルイマンがそういう映画だと思われそうだが、意外とストーリーに入っていける。自分のようなベルイマンファンでなくてもカーチェイスや撃ち合いがないと映画はつまらないという人でなければ、観ると最後までいってしまうのではないか。最初の頃はコメディタッチもあり、もちろんテーマが堅苦しいの多いが、たとえば最後の「ファニーとアレクサンデル」など長いが途中でやめることできないくらいのめり込むと思う。映画ファンはたくさんいるが、なかなか話の合う人はいない。どういう映画が好きなのと聞いて「スターウォーズ」が好きとか言われると話を変えるしかなくなる。逆もあってジャズの場合もそうなのだけれど、やたら詳しく説明されるとベルイマンは観たことないからと話をやめることもある。最近モーセの映画がまた出たが、聖書もの、西部劇とともに第二次大戦ものもなくなりつつある。なくならないのは恋愛もの、パニックもの、ホラー、SF。どれを題材にしても自分の興味の引くものにはなりそうにない。そんなこと言いながら「冒険者たち」の口笛を聴くと、映画に夢見てたティーンエイジャーの頃を思い出す。僕は四月を思い出しほほえむ・・

King Must Die

2015-03-18 09:29:24 | 日記
藤村の「夜明け前」は2度読んだが、どうもぴんとこなかった。それに比べ「破戒」はというわかりやすいテーマなので面白く読んでしまった。両方とも映画化されているが「夜明け前」はビデオになったきり、「破戒」は2度映画化され両方ともDVDになっている。民族の話は旧約聖書の時代から争いが記載されているようにどの時代もどこの場所でも争いの元となっていた。特に地続きのヨーロッパでは侵略、政略結婚などの繰り返し。その中で国を持たず、金儲けの上手なユダヤ人は嫌われる。「黒人」も今は使わないらしい。日系アメリカ人、イタリア系、アイルランド系とか言うのに黒人だけそういう呼び名は確かにおかしい。しかしアフリカ系アメリカ人ていうのもかえっておかしく聞こえる。インディアンこそおかしな言葉でインド系アメリカ人は何て言うんだ。音楽においては黒人は活躍するが、アメリカ文学では印象薄い。自分の浅い知識ではジェイムズ・ボールドウィンくらいしか思いつかない。少なくともヘミングウェイと同じくらい有名な作家はいないだろう。それに比べるとユダヤ系はノーベル賞取ったソール・ベローはじめ思いつく作家はたくさんいる。アーウィン・ショー、バーナード・マラマッド、サリンジャーなどなど。アメリカ文学と関係ないがカフカ。プルーストも母親がユダヤ。魯迅のように読んでてどうしても人種を感じるのはあるが、大抵は肌が赤くても緑でも関係ない。ジャズボーカルの場合は、白人女性、黒人女性とかで好み分かれる人もいる。自分は黒人女性ボーカルが好きなの多く白人女性ボーカルの甘えたような声出すのは嫌いだが、全部がそうではない。カラヤンはユダヤ系の演奏家との共演はなかったような気がする。どちらが嫌っていたのか。ヴィシー政権に協力していたと戦後フランスから干されたアルフレッド・コルトー。民族の問題は芸術にまで影響する。若者は欧米にあこがれて住もうとする。自分の年代になって何度か行けばわかることだが、明らかにアジア人は差別される。金がなくしゃべれなければなおさら。私はパリの街が好きで~なんて気取ってる女に教えてやりたい。フランス人にとって日本人なんて猿の惑星なんだぞと。まさか対等に扱われているなんて思っていないだろうなと。話題が暗くなりすぎた。ジョン・レノン、あんたの思うように世界が一つになんかならないよ。