And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

便器の逸話

2018-08-27 19:43:19 | 日記
「アルビノーニのアダージョ」聴きながらアルビノーニ調べていたら、そうこの曲はアルビノーニの断片を使ったわけではなくジャゾットのオリジナルだったとわかったんだ。ということはアルビノーニという作曲家のことはほとんど知られていない。別に知らなくてもいい。アルビノーニが人気なのではなくアダージョが人気あるのだから。昔名曲喫茶でカラヤンの演奏聴いて、すぐレコード買った。こういう映画音楽のような曲はカラヤンうまい。でも次に入っていた「パッヘルベルのカノン」がやたら早くてびっくりした。パイヤールのゆっくりした演奏になじんでいたから。これも元々人気あったが、ジョージ・ウィンストンのピアノ編曲出てまたポピュラーになった。「アルビノーニのアダージョ」はオーソン・ウェルズの映画「審判」で使われたがカフカのイメージにぴったり。どんな映画か忘れてしまった。カフカはどうやっても映像は勝てない。
語学講座が少しは役に立ってるかとコラ・ヴォケールでも聴こうかと思ったが、その前にポルナレフ。昔唯一買ったポルナレフのレコード、「ポルナレフ3」をCDで聴いた。フランス語勉強しなくてもわかることだが、Qui a tue grandmamanの邦題が「愛のコレクション」。適当な題名がつけられることはよくある。でもそれが歌詞に入っているにも関わらず、おばあちゃんも殺すも全く訳詞に出てこなくて、ただの失恋の歌に書き換えられているのには驚いた。英語の訳でも大笑いというのはよくあったが、どうせガキはフランス語わからないだろうと適当に詩を作ったのか。ポルナレフだからいいだろう、そういう問題でもない。たぶん他の曲も適当な詩がつけられているに違いない。それがCDになっても直していないというのがもっとすごい。これだもの日本人はフランス人に馬鹿にされる。ウッディ・アレンが昔日本映画に適当な吹き替えを付けてコメディにしたのがあったが、それと同じようなものだ。チェイスの「黒い炎」という曲ヒットして、内容もわからず聴いていたが、おまえとやりたいというだけの歌と知って、それは「やりたい」という題だと中高生の教育に悪いだろうと考えたのか知らないが、逆に黒い炎とどこからつけたのだろうと感心した。でもロックはそんな歌ばかりなので仕方ない。牛の糞に気品を見つけるようなものだ。
思い出してディクスン・カー何冊か読んでみたが、当然昔のようなわくわく感はない。逆に話伸ばしてるとか、もったいつけてるとか思っていらついてしまう。やはりプルーストに戻ろう。調子に乗って3組も買ってしまったバッハ、オルガン全集を聴きながら。


シェーン、ゴーホーム

2018-08-20 17:21:26 | 日記
アマゾンでフィリップ・ディックの「エレクトリック・ドリームズ」という短編の映像化があったので観たらどれもが期待外れ。ディックはたくさん短編書いてるからまあはずれもあるだろうと思っていたが、一つだけ短編集のタイトルにもなってる「地図にない町」は本持っているので観たあとに本を読んでみたら脚色が悪いんだとわかった。小説の映像化はそのまま映像にしても大抵は面白くないし、手を入れて原作から離れても面白くない微妙なバランスがある。原作がどうあれ面白ければいいのだが「エレクトリック・ドリームズ」はそれ自体面白くない。原作をはずしてすごいなと思ったのは「エデンの東」。長い長編小説の最後の部分だけ切り取って映画にしたアイデアがいい。だから映画で観るとなぜ母親が別居して売春宿やってるのかとかまったくわからず入ってしまう。小説では双子の父親が主人公なのだが、弟にすり替えられている。「ベニスに死す」「ドクトルジバゴ」「砂の器」(もちろん映画のほう)など原作を超えたといってもよい映像作品いくつかある。たいした小説ではなかったが一時期ブームになった「ダ・ヴィンチ・コード」読むとあっという間に読み終えてしまって、これを映画化したらさぞかし面白いだろうなと思ったが映画はまったくつまらなかった。
これもアマゾンで見たのだけど、「シェーン」がなかなかブルーレイにならなかったのだが最近出たようで感激レビューが出てた。悪いけど500円DVDで観る映画でしょと思うけど、好きだというのをけなす必要はない。しかもブルーレイは映像がいいとか未だに言ってるやつがいるようだ。100万くらいのテレビで観たら違いわかるかもね。もう円盤でなくファイルで映画を観る時代が来るかもしれない。「シェーン」吹き替え版はプライム会員は観ることできるけど、吹き替えがへたくそだとぼろくそ書かれていた。声優が下手、訳が下手あるだろうけど最悪。それなら字幕なしでも英語のほうがましだ。自分がいまだ昔のアメリカテレビドラマをDVDで買ってまで観るのは、声優がみんなうまかったからだ。その声優のおかげでドラマもヒットしたに違いない。逆に字幕で観るとしらけるのもある。最近の「24」や「パーソンオブインタレスト」なんか字幕で観たら面白さ半減していただろう。映画は最近あまり吹き替えで観ることはないけれど、昔でいえばアラン・ドロンの野沢那智とか印象的な声優はいた。いまだ許しがたいのがトトロの糸井重里。一人のせいでぶち壊され、もう観たくないという思いにさせられた。今でも吹き替え直ししないで、そのままなのだろうか。昔あったな、吹き替えでじゃりタレント使ったのが。
「シェーン」観ようとして10分でやめてしまったけどわかった。こういう映画の筋書きがプロレスに使われているんだと。

デューラーの住む家

2018-08-13 11:36:34 | 日記
魯迅文集は文庫になったのに両地書は文庫にならず、昔出た筑摩叢書か魯迅選集のどちらかで読むしかない。魯迅文集もほぼ絶版だろうから、とことん読もうと思ったら古本を探すしかない。チェーホフの短編全部読みたいという人がそれほどいないように魯迅も普通に出ている阿Q正伝他みたいので十分。これから純文学は再版されることなどそうないだろう。全集ものの書簡集など研究者以外の誰が読む。自分も含めて本好きなものが電子書籍など読まないだろうし、元々本読まないやつは電子書籍など読むわけがない。紙の本がなくなり電子書籍がなくなり新聞がなくなりテレビもなくなり、残るのがネットの嘘情報。何の信頼性のないウィキペディアで調べ、そのすべてが真実と思い込み、その知識だけでものを語る。自分もそれで調べるけれど概要はそうだろうなくらいにとらえる。テレビで1億総白痴化といわれた。自分も白痴世代だけれど、ニュースは少なくともネットより真実を語っているだろう。そんな話はどうでもいい。若い奴らはネット見る間もなく安部総統の元、軍隊へ行かなければならなくなるのだから。
友人にディクスン・カーのことを書いていて思い出した。あの奇想天外なトリックは確かこれだっただろうとネットで買ったのが短編集「妖魔の森の家」解説読んだら、これこれ表題の短編。高校生の時、代表的な推理小説はほとんど読んだが、トリック覚えているのがチェスタトンの1編とアクロイドとこれ。わくわくしながら驚きながら読んだはずなのにほとんど忘れている。それでまた妖魔の森の家を読み返したら、知ってて読むとこんなつまらなくなるのかと思った。仕方ない、短編なので話はそのトリックだけなのだから。「罪と罰」とはやはり違うのだ。一番好きだったヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」も前に読み返してこの程度だった?と感じたのと同じ。SFは読み返そうとすら思わないけれど「火星年代記」ならどうだろう。SFこそ若い感性が必要なので読むまでもない。映画で何度も観た「盗まれた街」原作はどうだったろうと思っても手に取るまでにいかない。「夏への扉」「アルジャーノンに花束を」だっておじさんの読むものではない。10代後半でロックのレコードを二束三文で売ってしまって、最近になって懐かしくて何枚か買ってはみるが10分も聴いたらもういいになる。「パーソンオブインタレスト」でピンク・フロイドがかかったのがきっかけで少しピンク・フロイドを聴き続けたけど、やはりロックは飽きる。友人に勧めて「パーソンオブインタレスト」の最初はどうだったかと観たらまた止まらなくなった。今までテレビドラマで2回以上観ることなかったのに3回目突入してしまった。


水晶の夜に生まれて

2018-08-07 08:42:16 | 日記
インパルス盤もやっとCDになり、オーネット・コールマンもほぼCDで聴けるようになった。コールマンは昔からいかさま師であり偽物だと思っているのだが、だから音楽を聴く聴かないは別。偽物だと思ってるから一部のファンがマイルスやコルトレーンを聴くときのように崇めては聴かない。昔評論家がCCRを3コードの単純な音楽とけなしていたことがあった。その頃自分はティーンエイジャーだったのでそうかと思ったが、今なら言える、だから?もはや自分より若い世代が解説書いているから、ということはいいときのジャズの知識は後追い。どうせ知らないんだろう、ネットで集めた知識なんて知りたくない、文章で勝負してみろ金取ってるんだからと思う。一時期出たジャズ喫茶マスターの文章もまともなものなかった。そういえば店でもジャズ喫茶のマスターって偉そうにしてた。輸入盤買って細かい英語の解説見て読めないとしまうくらいでいいのかもしれない。本の場合はどうしても解説を先に読んでしまう。本というのは文学か哲学なので、そうおかしな人間が書くわけないという前提だが。推理小説でも解説から読むが、それもネタばらしするような馬鹿な解説はない。
DVDで観てきた「コンバット」ようやく白黒が終わる。カラー版も何本か観ているのだが、カラーになるとピクニックのようになって何か力が抜けてしまう。60年代後半からアメリカテレビドラマは次々とカラー化していった。「ペリーメイスン」など最後の1本だけカラーとか。「宇宙家族ロビンソン」はシーズン2からカラー。「逃亡者」も後半になってカラーになった。白黒のほうが緊迫感出るのは戦争物くらいか。あとはカラーがいいに決まっている。映画もサイレントにこだわったり白黒にこだわったりとかした監督もいたようだが、やはり普通に楽しむにはカラーがいいに決まってる。なぜDVDで出ないのだろうと思うのだが、「カサブランカ」カラーバージョンがLDのボックスで出たことがある。要するに人工着色なので不自然ではあるが、観る角度も変わってくる。「ボディ・スナッチャー」の最初の映画化版はDVDでは初めにカラー着色版が出て、最近になってやっとオリジナル白黒版が出た。こんなマイナーな映画で着色版が出るというのも珍しい。ジャズのレコードも50年代後半からステレオ盤が出て、その境目くらいはモノラル、ステレオ両方出ていて演奏は同じはずなのだが、エヴァンスの枯葉のように違うバージョンに差し替えることもあった。それを日本で発見して両方のバージョンを入れ、それがスタンダードになるのだから日本のジャズ文化はたいしたものだ。
「禁じられた遊び」のカラー版、「太陽がいっぱい」のモノクロ版なんか観たくないよな。