And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか

2016-10-30 14:35:34 | 日記
テレビで若い俳優が私、成瀬巳喜男大好きでほとんど観てますというのを聞いて、前出たボックスを注文してみた。成瀬といえば「浮雲」で演技は素晴らしいが、べたべたとした日本映画特有の暗さがどうも好みに合わなかった。小林桂樹が好きなので「女の中にいる他人」も買ってみたが、それはいまいちだった。何本か観たらきっと好きなのにも巡り合うかもしれない。日本映画で二度観た映画は「七人の侍」と「ある映画監督の生涯」くらい。好きな「人情紙風船」や新藤兼人の他の作品もまた観るかと思っても実行していない。小津安二郎は一度でたくさん。溝口健二は面白かったのだけど、また観たいとは思わない。木下恵介は全部買ったのにまだ観ていないのがある。決して好きでないが黒澤ならいくらか観る気になるか。そういえば「羅生門」も二度観てる。日本映画自体、ずっと馬鹿にしていて40代半ばまでほとんど観たことがなかった。テレビで観た兵隊やくざや森繁の社長シリーズが日本映画の印象。だから溝口、小津、黒澤などの古い映画を観て、ああテレビでお母さん役やってたこの役者こんな若くて美人だったんだとか、杉村春子や菅井きんは昔からおばさん役ばかりだったんだと知った。高峰三枝子など3時のあなたのイメージしかなかった。40代から爺さん役やっていた笠智衆。棒読みの演技のどこが小津に好かれていたのかわからない。小津と家族ぐるみの付き合いをしていたという佐田啓二も小津の映画ではよさが見えてこない。一度だけ東宝で作った「小早川家の秋」では森繁久彌が出ていたが、小津が森繁のアドリブを許すはずがない。小津映画で印象的な男優は佐分利信。若いときからコンスタントに出ていて、演技というより存在が合っていた。溝口映画の常連、進藤英太郎はテレビドラマ「おやじ太鼓」のイメージだったので悪役は逆に違和感あった。「おやじ太鼓」もなつかしいとDVDボックス買ってしまったが、ただなつかしいだけなのだから当然2,3本観たらもういいになった。原節子は女優としてそんな魅力感じない。三宅邦子はおばさんになって薬のコマーシャルに出ていたのを覚えているので、若いときはこうだったんだと思うだけ。自分にとって魅力的だったのが香川京子。溝口、小津、黒澤の映画に出ているので演技も確かだったのだろう。岸惠子はやはり「君の名は」。「哀愁」が元ネタ。日本も中国のこといえないくらいいろいろな分野でパクっていた。吉田拓郎だってディランの曲そのままというのがあったり。その「君の名は」の題を今度はアニメがパクるなんて。ビートルズの曲名、小説の題にするなよ。




倫理的でも宗教的でもない森

2016-10-28 21:09:02 | 日記
途中まで書いて忘れてしまうと書いたことが消えていて、また書き直すのが面倒で書くのをやめてしまう。「戦争と平和」のことを書いていた。NHKで今放映しているのはBBCだったろうか。退屈なトルストイを退屈させずに8回中5回まで観た。ソ連版の映画をDVDで買ったのだけれど観ないまましまってある。ヘップバーンのアメリカ版はLDで買って観た気もするが定かでなく、DVDはなかったので今回買った。小説は学生の時読んでいて、ドストエフスキーに比べると薄っぺらいなと思った記憶がある。ドストエフスキーを読んでいるとフランス語の引用が多く、その当時の貴族はフランスにあこがれを持っていたのだろうと思わせる。どちらにしてももうロシア文学のことは書けない。チェーホフ、ツルゲーネフから20世紀のパステルナーク、ソルジェニーツィンまで割と読んでいるほうなのだが、すべて頭に残っていなくて「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」は面白かったという印象だけ残っているのは。ドストエフスキーの五大長編はすぐ読めるところにおいてあるが、しばらく読み返すことはないだろう。それより印象に残っていて今でも大好きなのがデヴィッド・リーンの「ドクトル・ジバゴ」逆に小説読んでがっかりした。映画が小説を上回るとはどういうことだろう。「エデンの東」のように小説の一部を切り抜いてというのならわかるのだが。だからパステルナークももう読まないだろう。ちゃんと読めばよさがわかるかもしれないが、もう一度読んで面白くなかったらそんな時間の浪費はないから。たいした小説でないから比べられないのだけれど、ブームになったとき「ダヴィンチ・コード」を読んでこんな面白い小説、どう映画にしても面白いだろうと思って映画化になったとき観たが、よくもこんな面白い小説をこれだけつまらなくできたなという映画だった。それで今ちょっと不安なのが年末に出る「帰ってきたヒトラー」のDVD。本をあっという間に読んで、しかも注釈が面白かったものだから映画は絶対がっかりするだろうと思っている。ソ連映画の「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」は原作通りで退屈せず観た記憶がある。ワイダの「悪霊」は「悪霊」自体よくわからないで読んでいたのでワイダは大好きな監督なのだがよくわからない映画だった。黒澤明の「白痴」はまだ光っていた頃の黒澤なので、原作を押さえつつ黒澤流にうまくアレンジしたいい映画だと思った。ただいつものように三船の大根演技が鼻につく。ヴィスコンティの「白夜」は平凡だったけれども、先日やっとブルーレイになったブレッソンの「白夜」現代に置き換えた見事な映画だと思う。こう書いているとロシアもの、結構読んだり観たりしている。でもカティンの森は忘れない。映画でなく事実を。

ふりだしに戻る

2016-10-23 23:22:04 | 日記
前も書いたかもしれない。チャイコフスキーが好きでない。子どもの頃チャイコフスキーといえば3大バレエ、しかも有名なメロディだけ。あとアンダンテ・カンタビレー。中学生になってエマーソン・レイク&パーマーがくるみ割り人形のメロディを編曲したナットロッカーをシングル盤で買った。それは元々ムソルグスキーの「展覧会の絵」ロック編曲ライブのアンコール曲でLPのほうも買って、それはいまだムソルグスキーの原曲よりラベル編曲よりいいと思っているロックの数少ない愛聴盤。話はそれたが、あとチャイコフスキーに巡り会うのがコマーシャルで聴いたピアノ協奏曲1番。クラシック聴くようになって交響曲が人気あると知って聴いた。友人はいいというのだが、どうもつまらない。それからずっと遠ざかっていたのだが、ホロヴィッツコンプリートを買って「史上最大のコンサート」のところでスターン、ロストロポーヴィチ、ホロヴィッツというオールスターで演奏するピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」でとまった。個別に持っていたのだが、ろくに聴きもしないでしかもチャイコフスキーなんてと思っていた。ボックスは一度は飛ばさないで聴こうと思っていたので聴くことができた。これは1楽章だけで、しかもチャリティコンサートなので演奏がいいわけではない。誰の演奏がいいのかなと調べるとアルゲリッチ、クレーメルが出てくるけれども、このコンビはどの演奏も評論家好みのただうまい演奏で自分は好きでない。百万ドルトリオ、いいけれど音がやはりよくない。スークトリオ新旧あって、これの旧盤がよかった。チャイコフスキーでこれだけ繰り返し聴いた曲はない。だいたい2,3回も聴けば飽きていた。それはチャイコフスキーの中でという意味でクラシック聴こうと思うとまずバッハ、それからバルトーク。今日も久しぶりベートーヴェンの交響曲聴こうと思ったが4楽章までたどり着けなかった。チャイコフスキーは順位からいくとまだ下で2年に1度聴くかなくらいで、ブルックナー、マーラーと同列。元々交響曲は好きでないというのもある。ベートーヴェンも弦楽四重奏なら聴く。書きながら「ある偉大な芸術家の思い出のために」を聴いていたのだが、やはり1楽章だけでいいかなと思った。クラシックというのは全部聴かなければならない。どう聴こうと勝手なのだが、弦楽四重奏の3楽章だけ聴くとかどうも抵抗感がある。それで全部聴こうとすると退屈。ショパンのマズルカのように何曲か聴いてやめるということのできる曲もある。でも「ある偉大な芸術家の思い出のために」の1楽章だけ聴いてチャイコフスキー好きといえるのかなと思うと面倒なのでチャイコフスキーが好きでないを通そうかと思う。

聖職者の夢

2016-10-21 08:38:04 | 日記
飛行機でiPodは聴きづらく静かな曲はまずだめなので聴く曲が限られる。イヤフォンで音楽聴くことは飛行機くらいだから普段家で聴かない曲をたくさん入れるのだが、結局は家で聴かないものは外でも聴かない。くつろぎたいと思うときにシュトックハウゼンやヘビメタ聴こうしないのは当然か。ロリンズも久々聴いた。あらためて「サキソフォン・コロッサス」を聴いて、日本の評論家がなぜこればかりを大絶賛したのかわからない。いいのだが他と同じレベル。今でもジャズ雑誌ではこれを聴けの一番手ではなかろうか。この間は何となくオーネット・コールマンを聴いたらこれがよかった。コールマンはほとんど集めてゴールデンサークルやクロイドンなどよく聴いたのだが、どうも好きになれなかった。そんなによかったかなと帰ってからゴールデンサークル聴き直したら、やはり1曲でたくさんになった。それならiPodにもう少しコールマンを入れて旅行中に聴こうか。もしかしたら他にも家では聴かないけれど外で聴けるのがあるのではないか。ウェーベルンは音が小さすぎる。バルトークはちょっと暗い。しかし両方とも家でよく聴くので入れる必要ない。ブルックナー、マーラーは12時間飛行機に乗っていても聴かないと最初からわかる。昔聴いたクラフトワークを入れてみたが単純ですぐ飽きる。ケージはヘッドフォンで耳を澄まして聴く音楽ではない。レッド・ツェッペリンとか入れてみたがバカに汚染されそうですぐ聴くのをやめた。ジャズボーカルを入れても意外と聴かないものだ。出かけるときは元気の出るものでなければならない。ロックでもシカゴのようにアレンジ、メロディのいいものなら気持ちよくさせる。でもシカゴは中学生の時から聴いていて、いつも好きなので今回のテーマから外れる。普段あまり聴かないノリだけが勝負のジャズ、たとえばアート・ブレイキーだとかカウント・ベイシー。現代音楽ならメシアン、ヘンツェ。名前出しただけで聴かないだろうなと思う。わかったのは空港行くまでのバスだとか飛行機で自分がこれにしようと思いつくのを今考えるのは無駄だということ。ということは堂々巡りのこの文章も無駄だったけれども、せっかく書いたのだからコールマンのことを。ジャズ評論家はオーネット・コールマンは音楽自体よりも出てきたことに意味があると書いていた。確かにアルトサックスはともかく、へたくそなトランペット、ヴァイオリンが出てきたり、12才の息子にドラム叩かせたり、室内楽作っても素人の域を出ない音楽だったり。音楽として偽物という印象を与えられた。いつも安っぽい。でも音楽というのは音楽大学を優秀な成績で卒業した人が最高の音楽を作れるわけではないのだ。何となく馬鹿にしていたコールマンがよく聞こえたのは初めてコールマンの音楽に触れることができたからではないだろうか。

看板にとび職C・J・プールと書いてある

2016-10-20 12:34:35 | 日記
旅行から帰ってくると当然現実に戻る。旅行が恋しいのではなく、やらなければならないこと、不安に思うこと、これこそが自分の人生だと思う。仕事終われば音楽を聴いて本を読み、時にはブログ。吉川訳「失われた時を求めて」の新刊「囚われの女」を読み始める。CDプレーヤーもいいタイミングで直ってきた。代替で聴いていたが音楽鳴るだけましと思うよりさらにひどく、それも戻って悩みも含めてすべて正常に戻った。小説の中ではなく解説によってだが、「失われた時を求めて」を読んでブラッディ・メアリーがパリのリッツホテルでできたものだと知った。今もリッツホテルはパリの最高級ホテルの一つ。貧乏人が無理して泊まるホテルなどではない。今はエジプトの富豪が経営していて、その息子がダイアナ妃とトンネルで事故死したのは有名。プルーストは働くことなく頻繁にこのようなホテルを使っていたのだから、貴族でもないのにそんな優雅な生活ができるというのはわからない。旅行するととてつもない建物がどこにでもあり、一部の金持ちは一生使い切れない金をどうやって貯めたのだろうと不思議に思う。平民との格差。乗り物は地下鉄バスは別としてたいてい一等、二等がある。たぶん何でも差をつけないと気が済まないのだ。映画「ガンジー」の中でガンジーが一等の切符を買って乗ったにもかかわらず追い出されたというシーンがあった。今回の旅行でも二等がらがらでも見栄で一等買って乗った。もちろん今は追い出されることはないけれど、間違ったところに乗ってるという視線は感じる。でも中国人も同じことしていそうでそれ思うと恥ずかしい。今回プルーストが見たフェルメールの「デルフトの眺望」を見た。ずいぶん画集とは違うイメージで有名でなければ通り過ぎてしまうような絵に感じた。マウリッツハイス美術館にはそれ以上有名な青いターバンの少女の絵がある。東京に来たときは列に並んでしかも人の頭越しにしか見ることができなかったが、向こうへ行くと正面から見て写真まで撮ることができる。フェルメールにはもう一つ風景画があって、アムステルダム国立美術館にあるというのだが行ったのに見逃している。これとこれがあると予習していかないと同じ画家は固まっているはずなのに見逃してしまう。フェルメールがあるとわからないで見ているとそういう可能性はあるけれどもアムステルダム国立美術館では他のフェルメール撮してきているのだから。別に世界中のフェルメール見てやろうなんて思っていないからいいのだけれど。興味なんてないけれど美術館に来るおばさんがたと一緒でフェルメールという名前だけで写真を撮る自分は絵のことなど全くわかっていないと思う。さよならフェルメール。