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実在論

2006年12月07日 | サ行
 1、Realismus の訳語。ここでは芸術理論としてのリアリズムは論外とします。

 哲学での実在論には三義あります。

 第一は唯物論のことで、これは観念論の立場に立つ人達が使うことが多い。それは唯物論と観念論の対立をあいまいにしようとしてわざと不正確な言葉を使うという感じすらします。現在で実在論という言葉が使われる場合は、この用法がもっとも多い。

 2、第二は中世のスコラ哲学の世界での普遍論争で使われた用語法です。ここでは実在論(実然論とも言う)と名目論(唯名論とも言う)とが対立しました。

 この論争は例えばイヌ一般は(それとして)実在するか、それとも個々のイヌだけが実在する(イヌ一般は実在しない)のか、ということです。前者を実在論と言います。「普遍はそれとして実在する」と考える考え方のことです。プラトンのイデアなどはそういうものの例です。

 後者が名目論です。「実在するのは個物だけで、普遍はそれとしては存在しない」と考える考え方です。

 では、その時、普遍はどうなるのかで二派に分かれます。「普遍は全然存在しない」とするのが当時の名目論であした。普遍とは「声として発せられた風」にすぎない、というのです。

 現在は、たいていの人は「個物の中に普遍が含まれている」と考えです。これは悟性的な個別・普遍観と言うことができます。

 この個物と普遍の関係を本当に解決したのはヘーゲルです。特殊を入れて個別・特殊・普遍の関係として考え、かつ感覚の立場と概念の立場と二重の観点から考えて解決しました。
 (牧野「昭和元禄と哲学」参照)。

 3、第三は特殊ヘーゲル的な実在論概念です。ここでもヘーゲルは実在論と観念論とを対にして理解していましたが、実在する事物(個物でも普遍でもよい)を自立した絶対的な存在と見る見方のことです。

 逆に、ヘーゲルのいう観念論とは、実在する事物(個物でも普遍でもよい)を自立した絶対的な存在とは見ないで、絶対的な存在の契機と見る見方のことです。従って、ヘーゲルは哲学というのは哲学である限り、観念論でしかありえない、と主張しました。

   参考

 (1) 哲学的観念論はまさに有限なものを真に存在するものとは認めない点に存する。(略)有限な定存在そのものに真の存在、終極的で絶対的な存在を許す哲学は哲学の名に値しない。
 (ヘーゲル『大論理学』一四五頁)

 (2) 観念論はあるがままの事物を絶対的なものとは取らないが、実在論は事物がたんに有限性の形式の中にしかない時でさえ、それを絶対的なものと宣言する。

 動物でさえ既にこのような実在論哲学を持っていない。なぜなら、動物は事物を食べるが、そのことでその事物が絶対的に自立してはいないことを証明しているからである。
 (ヘーゲル『法の哲学』第44節への付録)
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