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橋爪大三郎批判、その二(東谷 啓吾)

2022年08月03日 | サ行
橋爪大三郎批判、その二
-「社会学」の宗教理解における観念論性(後半)

3、社会科学の方法上の欠陥

 経験的な領域に議論を限定する「社会科学」が一面的であるということは、その歴史認識の方法を見れば如実に分かります。
 橋爪は多くの日本人が「宗教なんかどうでもいい」と思っていると断定した上で、その理由を次の論理で説明します。「本来、宗教というのは人々の間に調和や安定、団結を作り出すものである。しかし、その『団結』によって、時の政治があまりにもひどいと、反政府運動を引き起こす。日本は戦国時代に一向一揆などでそれが起こり、この流れを受けて為政者は仏教の腐敗・堕落キャンペーンを広めた。だから以後、現代に至るまで日本では宗教の地位は低いままである」、と。

 ここには二重の誤まりが存在します。
 まず、反政府運動が起きたから仏教は弾圧を受け、だから日本では宗教の地位が低いのだ、と単純な因果関係で歴史を説明してくれますが、こういう「社会科学的」説明は、人間の営みの総和としての歴史を世界史的な規模で類比的に捉えることをしない、無知にすぎません。「仏教」の弾圧を直接「宗教」の地位の低さに繋げる論理的飛躍には目をつぶるとして、こういった種の弾圧というのは、ことをキリスト教世界に限っても、2~3世紀のローマ帝国による原始キリスト教への弾圧、16世紀ドイツの農民運動に対する諸侯の弾圧等々、キリスト教ヨーロッパにおいても歴史上いくつも起っているわけです。にも関わらず、ヨーロッパでは「宗教の地位は高い」。上の論理ではこの事の説明がつきません。両者の歴史上で類比的に捉えうる弾圧がある時に、一方で日本では宗教の地位が低く、他方でヨーロッパでは正反対になっているのは「何故」か、というこの問いを説明することから全体的な認識に進むところです。しかし橋爪が行っているのは、歴史の中から一方だけ説明できそうな事実を持ってきて、「AだからB」と言っているに過ぎません。

 このように「経験的な領域に議論を限定」してしまう「社会科学」は、所与の事柄について、その新聞記事的な意味での「客観的」な事実を組み合わせることで事足れりとします。従って、それでは人間の営みの全体的な総和である歴史現象を時代や場所を超えて類比的に全面的に捉える問題意識には到達できず、歴史の一面、しかもごく皮相の一面において分かったつもりになり、その一面があたかも全体的な真理かのように説明されます。しかし、部分的な真実に過ぎないものを全体的真理かのように振り回すのは虚偽でしかありません。それは現実を正しく認識することを妨げます。

 また、そのような「社会科学」の姿勢は「宗教というのは人々の間に調和や安定、団結をつくり出すものなのです」という断定にも出ています。たしかに、宗教教団なり宗教的組織は表立っては調和や安定、団結を強調するでしょう。しかし、その人が自分たちをどう表現しているかということと、その人が実際にどうあるか、どうなっているかはしばしば異なるので、その「調和」や「安定」、「団結」といった観念が、上のパウロの例のように、個々の歴史の場において、どのように働き、どう作用しているかを見ていく必要があります。そして、それを見ていれば、様々な歴史的な条件や状況によって、同じ宗教現象でも多種多様なひろがりを持つものなので、宗教という歴史現象をいくつかの観念に直対応させて結び付け、それを前提するなどという初歩的な間違いは犯さないはずです。

 実は、この歴史認識の基本の一つは、マルクスがすでに述べていることです。「日常生活ではどんな商人でも、ある人が自称するところとその人が実際にあるところとを区別することを非常によく心得ているのに、われわれドイツ人の歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それは、それぞれの時代が自分自身について語り想像するところのものを、言葉通りに信じているのである」(古在訳『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫、72頁)。これはマルクスが当時のドイツの観念論者たちに言っていることですが、それから100年以上たった現代の「日本を代表する社会学者」さんにも当てはまってしまっています。


4、観念論批判の前提としての宗教批判

 ここまでのことをまとめると、橋爪の「社会科学」は歴史認識の基本的な方法が欠落して、個々の現象を個々の観念とのみ一対一に対応させて考えることしか知らないから、一方では歴史の現象も、他方では観念の領域の様々な動きも、認識することが出来ません。

 だから氏は、仏教やキリスト教などの宗教を表看板に掲げている、狭い意味での「宗教」しか宗教現象として捉えられず、「現代に至るまで日本では宗教の地位は低いまま」などと言って平然としていられるのです。
 しかし、最近話題の「統一教会」と自民党の癒着を例に出すまでもなく、創価学会と公明党、霊友会、本願寺両派等々、日本の権力中枢に密接に絡みついている宗教団体というのは調べればいくらでも出てくるので、その時点で事実誤認ですが、この認識では、狭義の「宗教」以外の宗教的現象に対して批判的〔註・非難ではない〕に切り込んでいくことが出来ません。ここに、この種の宗教理解の危険性があります。

 つまり、そのような広義の宗教的現象を批判的に切開し得ない姿勢は、一方で「社会科学」的に物事の一面を分かったつもりになって、他方でそれでは説明しきれない部分を宗教に求めて「宗教を知ることは、人生の質を高め、よりよく生きるための手がかりになるでしょう」などと教会の説教家のような発言をしてしまう。これでは宗教を温存することにしかなりません。断っておきますが、ここで私は宗教が悪だと言っているのではないということです。前半で論じたように、宗教という現象が社会にもたらす好い側面もあるので、それを無視して宗教を無くそうと言っても無意味です。しかし、そこからよほど注意していなければ、その好い側面が同時に社会に悪い影響を与えてしまう、というのが宗教の持つ特徴でした。
 従って、我々が行うべきは、この好い面を十分に継承していきながら、意識的に宗教的現象が陥る悪い影響を克服していくことにあるはずです。そしてそれは、我々を取り囲む歴史的社会的現象において、複雑に絡み合った現実と観念の関係を、統一的に捉えていくことで可能になるので、現実と観念を固定して一面的に見ることしかしない「社会科学」のように、一方で「科学的説明」を、他方で「宗教的真理」を両手に花で、都合のよい時にそれを出したり引っ込めたりするのでは、肝心の現実の総体にはいつまでも切り込めず、結局のところ、宗教を真に克服することにはなりません。何故なら、それでは人間の歴史社会において宗教という現象がどう働くか、ということの極めて一面的な知識を単なる知識として手にすることにしか、原理的に出来ないからです。

 実に、このように「社会学者」や「宗教学者」などと称される人々が宗教に無関心な層に対して行う「宗教には科学では説明できない何か人生の奥深い真理が隠されていますよ」といった形での呼びかけ、宣伝文句は、戦後、日本の知識人たちによって幾度となく主張されてきました。しかしそれは所詮、上で見てきたような意味で観念論の裏返しとしての宗教意識でしかなく、これも又極めて典型的な観念論的認識です。従って、そのような仕方で宗教に対する関心が高まったとしても、何故人間はこれほど長く宗教を営み続けているのか、その意義と限界を正確に捉えてそれを克服していく運動などにはならず、一時の宗教ブームに終わります。

 このような宗教ブームが度々起こるという事実が、無自覚的な観念論者が知的大衆の大部分を占めるということの反映ではないでしょうか。つまり、一度立ち止まって考えてみると、「宗教現象」といえども「政治現象」や「経済現象」などと同じく、広い意味での社会的な現象の一つであり、そのどれもが人間が歴史的に営んできた営み以上でも以下でもないのです。にもかかわらず、現代的知識人、特にブルジョワ学者たちにとっては、政治現象や経済現象などは「科学的」に分析し得るのに(註。彼ら自身はそう思っているものの、この「科学」理念自体が矮小な為に、その分析も観念論的で一面的であることは、マルクスのブルジョワ経済学批判を挙げるまでもないでしょう)、宗教現象は何だか古臭くて迷信的で「科学的」に捉えられない。だから彼らは宗教現象だけは特別に「科学」と対立するものとして抱え込んでしまう。
 しかし、そのように統一的に捉えられないのは事柄の性質の違いが主因なのではなく、彼らの「科学的」な認識それ自体が観念論的であることが問題だと言えます。実際、宗教現象というのは、他の歴史的社会的な人間の営みに比べて実に顕著に、現実を歪めた形で観念に反映していくものなので、どれだけ観念論を自覚的に克服しているかがその認識の深さを決定的に左右していきます。観念論に無自覚である彼らには、自分の認識が一面的であるかどうかも反省的に捉えることが出来ないのです。
 もちろん実際には個々の現象をこれは宗教現象、これは経済現象、などというように割り切れるほど歴史は単純ではなく、それらが何重にも重なって現象したりするわけですが、原則として、宗教批判をどれだけ徹底出来ているかということが、あらゆる歴史現象を統一的な歴史認識の方法において貫けているか、他の社会的現象に対してどれだけ観念論を克服し得るか、ということの一つの指標になるはずです。

 そう捉え返した時に「宗教批判はあらゆる批判の前提である」と言われる所以が分かります。しかし、橋爪社会学の宗教理解の水準から推察するに、少なくとも日本ではまだ、宗教批判は実践的にも本質的にも終っていないと言わざるを得ません。

 このように整理してみることで、現代の日本において我々が宗教批判を展開していくことの意味が、少しは明らかになったのではないでしょうか。

(後半 おわり)

 2022年8月3日
  東谷 啓吾

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