1、Scheinの訳語。ヘーゲルでは、「そう見えるが実際はそうではない」という意味です。
2、仮象というカテゴリーはヘーゲルの「論理学」ではその第2段階の本質論の冒頭に置かれています。ということは、それは「本質の立場から捉え直した存在〔第1段階の存在論の存在〕」のことだという意味です。
更に、一切の存在(現象)は本質の立場から見れば、仮象という性格を持っているということです。つまり、本質の立場とは、直接的に与えられたものや姿を「実際はそうではないのではないか」と疑ってかかる立場だということです。
3、その仮象が本質から媒介されたものとして理解された時、それが Existenz (現出存在)として捉えられます。
更にその媒介が必然的な媒介であると理解された時、それは Wirklichkeit (現実性)として捉えられることになります。これがヘーゲルの本質論を貫く太い線です。
4、一般にヘーゲルの論理学の各カテゴリーを理解する方法について述べますと、「新しく現れたカテゴリーは、新しく生成した立場から捉え直された先行カテゴリーである」という法則を覚えておくと好いでしょう。
例えば、概念論の契機の普遍・特殊・個別とは、概念の立場から捉え直された存在と本質及び概念自身のことです。
5、動詞 scheinen は本質論の冒頭の訳では「反照する」と訳されることがありますが、ここの部分は私にも分かりません。「反照する」と訳しても何かが分かるわけでもないと思います。それは普通の文脈では「見える」ということです。
6、なお、長谷川宏氏はその『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社)の中で、ヘーゲルの scheinen を「~と思える」と訳した上で、その意味を「ヘーゲルが実際にそう思っている」という意味に理解して、「ヘーゲルにおける矛盾」とやらについて訳の分からない事を長々と論じています。愚論です。
参考
01、我々が仮象と呼ぶものは、それ自身において直ちに非存在であるような存在である。(精神現象学。ズ全集第3巻116頁)
02、仮象は本質に適っていない定存在であり、本質が空虚に分離されて定立された存在である。従って、仮象と本質との区別は差異である。従って、仮象は「顕在化しようとすると消え去る非真理」である。そして、この消失で示されるのは、本質こそが本質であり、仮象を支配する威力だということである。(法の哲学、第82節への付録)
03、仮象は存在という規定性における本質そのものである。本質が仮象を持つのは、本質が自己内で規定され、それによって自己の絶対的統一が区別されるからである。(大論理学2、11頁)
04、本質は存在の第1の否定である。それによって存在は仮象になったのである。(大論理学2、235頁)
2、仮象というカテゴリーはヘーゲルの「論理学」ではその第2段階の本質論の冒頭に置かれています。ということは、それは「本質の立場から捉え直した存在〔第1段階の存在論の存在〕」のことだという意味です。
更に、一切の存在(現象)は本質の立場から見れば、仮象という性格を持っているということです。つまり、本質の立場とは、直接的に与えられたものや姿を「実際はそうではないのではないか」と疑ってかかる立場だということです。
3、その仮象が本質から媒介されたものとして理解された時、それが Existenz (現出存在)として捉えられます。
更にその媒介が必然的な媒介であると理解された時、それは Wirklichkeit (現実性)として捉えられることになります。これがヘーゲルの本質論を貫く太い線です。
4、一般にヘーゲルの論理学の各カテゴリーを理解する方法について述べますと、「新しく現れたカテゴリーは、新しく生成した立場から捉え直された先行カテゴリーである」という法則を覚えておくと好いでしょう。
例えば、概念論の契機の普遍・特殊・個別とは、概念の立場から捉え直された存在と本質及び概念自身のことです。
5、動詞 scheinen は本質論の冒頭の訳では「反照する」と訳されることがありますが、ここの部分は私にも分かりません。「反照する」と訳しても何かが分かるわけでもないと思います。それは普通の文脈では「見える」ということです。
6、なお、長谷川宏氏はその『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社)の中で、ヘーゲルの scheinen を「~と思える」と訳した上で、その意味を「ヘーゲルが実際にそう思っている」という意味に理解して、「ヘーゲルにおける矛盾」とやらについて訳の分からない事を長々と論じています。愚論です。
参考
01、我々が仮象と呼ぶものは、それ自身において直ちに非存在であるような存在である。(精神現象学。ズ全集第3巻116頁)
02、仮象は本質に適っていない定存在であり、本質が空虚に分離されて定立された存在である。従って、仮象と本質との区別は差異である。従って、仮象は「顕在化しようとすると消え去る非真理」である。そして、この消失で示されるのは、本質こそが本質であり、仮象を支配する威力だということである。(法の哲学、第82節への付録)
03、仮象は存在という規定性における本質そのものである。本質が仮象を持つのは、本質が自己内で規定され、それによって自己の絶対的統一が区別されるからである。(大論理学2、11頁)
04、本質は存在の第1の否定である。それによって存在は仮象になったのである。(大論理学2、235頁)