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「天タマ」第21号

2019年01月01日 | カ行
「天タマ」第21号(1999年11月 4日発行)

           浜松市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今回は、人間関係をそれだけとして考えるのではなく、それを取り巻く状況の中において考えるということを主題にしましたが、そのテーマより「レポート発表における匿名希望の自由」の問題に皆さんの関心が大きかったようです。少し感情的になっているような所もあったと思いますが、これは自制して欲しいと思います。

 これを巡る賛否両論を網羅します。

  ★ 匿名のメリット、記名のデメリット

──先生の意見に対して否定的な意見が名前付きで載ると、「あの子、先生に反論してるよ」、「当たり障りのない事を書いておけばいいのに」とか思われそうで、怖い。

──他人に自分の意見を見せると、他人がどう評価するか気になるので、苦手です。こういう人達が多いので匿名希望が多くなっているのではないか。

──知られたくない事や個人のプライバシーに関する事は匿名にしてよい。

──みんなは私のことをあまり知らないし、私もみんなのことをあまり知らないので、恥ずかしい。

──自分のクラスだけならまだしも隣のクラスまで配られるので恥ずかしいと思うのかもしれない。

──自分の考えを伝える相手は自分で決めたい。だから少しでも自分の考えを守るために匿名希望にするのである。

──先生が名前を載せても構わないと思う内容でも、本人にとっては名前を出したくないものかもしれない。

──人のは見たいけれど自分のは見せたくないというのは誰にでも少しはあると思う。

──考え(どんな意見か)が知りたいのであって、誰の意見かは問題でない。

──匿名だから言えるということは意外に多い。

──先生には言えるけれど他の生徒には知ってほしくないことがきっとあるのだと思う。

──私も匿名希望にしたことはあるけれど、それは「何となくいやだから」という感じです。自信がないのです。

──匿名で自分の意見が載っていたら、自分の考えに対する友達の考えも聞ける。名前を出したら、友達の本音は聞けないかもしれない。

  ★ 匿名のデメリット、記名のメリット

──哲学とは人と人との対話の中から生まれ育つのであり、匿名希望で「以降話し合いお断り」とした人は、本人はそのつもりがなくとも、物見の塔信者が剣道の授業を拒否したように、哲学の授業を拒否した形になっていると思う。

──哲学の授業では意見を発展させて考えを深めることが大切だと思います。匿名希望だと、その人の意見をみんなに伝えることは出来ても、他の人からその人への意見が伝わらず、考えが深まらないので、私もなるべく匿名希望を使わない方がいいと思います。

──匿名希望にしたい気持ちは分かるけれど、自分の意見を言うのは気持ちがいいし、それに同調してくれる人がいたならばなおさら気持ちがいい。

──名前があると、人との交流の上でいいきっかけになることもあると思う。意外な一面や共感出来る考えを読むと、「この人はこんなこと考えてたんだ」とその人を知れていい機会になる。

──私は「天タマ」に名前が載ると、恥ずかしいけれどちょっと嬉しい。読む方として見れば、いい文があると、これ誰のだろう、と思ってしまうのが当然であると思う。

──日常の付き合いではあまり真面目な話をし合わないためか、「天タマ」の人の意見は新鮮で、みんなすごいことを考えているなと、感心したりできる。むやみに匿名希望を使うのではなく、「これは身内のことだから」とか根拠があって仕方のない場合のみ使っていくのが、匿名希望の目的ではないだろうか。

──こういう形式の授業は今までなかったので、慣れなくて、自分の意見を載せられることに抵抗を感じるかもしれないが、だんだん慣れてくれば、特に気にならなくなってくるのではないかと思います。あの人はこういう考えを持っているのか、と思えていいです。

──家族やプライバシーに関わることは匿名希望でもよいが、テーマについての自分の意見はしっかりと名前を出す方がよいのではないかと思う。その意見が合っているかは、その後みんなで考えればいいことである。

──カンファレンスで話し合うことですでに自分の意見を相手と交わしているのではないか。そう考えると、文章にしたものはなぜ匿名希望なのか。グループの人の意見だけでなく、もっとクラスの人の意見を聞いてみたいから、なるべく匿名希望は避けてほしい。

   次のような具体的な対策案がありました

──カンファレンスの班を毎回、変える。匿名にしても、今まで話さなかった人と話ができる。

 ★ これは皆さんで考えて、時々席替えしてくれるように希望します。

    講師の感想

 初め少なかった匿名希望がだんだんと増えてきましたので、どうしてかなと考えました。女子高校生のスカートやルーズのように、ほかの子がするから~ということで、安易に匿名希望をしているのかな、とも思いました。そこで、皆さんに問題を提起しました。

 「講師の意見を聞いていると、匿名希望に対して自分の意見を押しつけていると思ってしまう」とか、「匿名希望で書くのはイケナイ事なのでしょうか?」といった反発気味の意見もありましたが、皆さんよく考えてくれたと思います。

 名前を出すのは恥ずかしいという心理についてはこんな事を思い出しました。

 中学時代、『山びこ学校』とかいう農村の作文教育が評判になったころ、私の国語の先生(この人は担任でもあった)が、みなの作文を読ませようとしました。最初、ある女子生徒が指名されましたが、その人は泣きだしてしまい、ついに先生は諦めました。次に私が指名されて読みました。

 その後、どうなったかは覚えていません。中学生の作文は身の回りのことを書くので、私は魚屋の住み込み店員さんと裏の池で魚釣りをしたことを書いたのですが、友達からその後少し聞かれました。

 しかし、やはり一番関係していることは、そのクラスがどの程度本当のクラスになっているか、ということではないかと思いました。これは直観みたいなもので、証拠はありません。S大学のドイツ語の授業の教科通信では名前を全然載せていません。2クラスあり、相互に無関係だということ、大学のクラスはクラス自体が本当のクラスになっていないということ、がその理由です。

 それ以上の感想としては、皆さんは本当の話し合いに慣れていないな、と思いました。これは皆さんの責任というより、学校教育の問題かもしれません。ともかく、多くの人は、人と話す場合、馴れ合いと感情的対立の両極端しかないようです。話し合うというのは馴れ合いでもなければ、感情的対立でもないと思います。自分の意見も冷静に言い、相手の意見もきちんと聞く。その中で本当の事はどうなのだろうかと一緒に考えていく、これが話し合いだと思います。どんな結論になっても、あるいは結論が出なくても、話し合ってよかったなと思えるような対話をしたいものです。

   今回の結論

 授業要綱はそのままです。つまり、「匿名希望も可」です。「匿名希望の意義について考えて、安易に使わないように」と言う必要はないと思います。もう既にしっかり考えたのですから。

   「哲学の授業が苦痛だ」という「疑問」について

──私達が将来看護婦になった時、深く考えることは重要なことになると思う。安易な考えでは場合によっては患者の生命の危機へと結びついてしまうこともあるだろうし、患者にとってより良いケアが出来ない気がする。だから、自分の考えにとらわれず、客観的にものをみつめ、様々な方向からの意見、考えができなくてはならないと思う。創造性も養わなくてはいけないと思う。自分の考えを見せるということは、つまり自分の考えを相手に伝えることはどんな時でも大切なことである。看護婦はチームプレーが鍵となる。

 患者に説明する時も、人に何かを伝える時も、納得のいく説明や自分の気持ちを伝えるためにも、人に自分の考えを見せるということは大切なことではないだろうか。しかし、これらのことはすぐに出来るものではない。だからこそ哲学というこのような時間を利用して、深く考えることや相手に伝えることが出来る能力を養っておかなくてはいけないのではないだろうか。

──この人は今回このような事を書いて後悔していると思う。自分がこの授業に対して思っていることを正直に書いたことで、このようなテーマとなり、周りから批判(批評)を受ける。先生だけに伝えて一つの意見として見てほしかったと思う。

──私は今まで生きてきて、こんなにも物事を深く考えたことはありません。考えていると言ってもいつも表面ばかりで、そこから先に進みません。でも、哲学の授業を学び、身近な「対話」や「先生と生徒」、「親」などのことからも深く考えられるのだと思いました。また、よく考えてみると奥が深いということを感じました。

 この人のように、自分が考えたことを心にしまっておきたいという人もいると思うけど、私は、自分の考えた事を言うことにより、相手の考えも聞くことが出来るし、そうすることでより深く物事を考えることができる、ということにつながると思います。他の人の考えを聞き、新たな自分にはないものを得られるかもしれません。

   講師の考えの一部

 深く考えないで生きたいのも、人に自分の考えを見せたくないのも、それ自体としては「個人の自由」だと思います。問題は、看護婦になること、看護学校に来ていること、哲学の授業に出ることと、その自由との関係です。

 体操の授業の目的は柔道をすることではなく、体を鍛えるとかですから、柔道をしないでも、ほかの手段で替えられます。しかし、哲学は考えることであり、授業に出ることは最低限、先生に見せることを含んでいると思います。従って、深く考えたくないとか、先生にも見せたくないという人は哲学の授業の前提に抵触するわけです。ではこの時どうしたらよいか。これが本当の問題なのです。或る事柄をそれだけとしてだけでなく、状況の中において考えるとはこういうことです。

   状況と人間関係

──今の制度で看護婦が患者の話をじっくり聴くことは、困難かもしれないが無理ではない。ある看護婦に患者の話を聴く時間はあるのかと質問すると、「時間を作って行く。業務的に夜になってしまうけれど」と言っていた。その時はベッドサイドで椅子に腰掛けて話をするそうだ。「忙しいからできない」というのはもっともらしい理由に聞こえるが、実は適当な言い訳なのかもしれない。

   組織はトップで8割決まる

──私は中高と吹奏楽をやっていたが、指導内容と大会での成績とは比例していた。そして、いい先生がいなくなるとすぐに成績は落ちた。あの先生はいい先生だといううわさがあると、よけいに付いていこうという気持ちが大きくなった。こういう評判もプラスになりマイナスになると思う。

──組織はトップで8割決まる、というのが現状かもしれない。しかし、それではトップだけの世の中になってしまって、トップ以外の人の意見はどうなってしまうのだろう。でも、今は、学校でもそうだけど、意見を言う所がないので困ってしまう。もっとトップがこの現状を知ることと、トップ以外の人は、自分たちが意見の言えるような場所をつくったら、もっと割合が変わると思う。

   コスモス寺のVTR

──私は結婚して子供が出来たら、家族で花畑に行って、寝ころがったり、香りを楽しんだりしてのんびりしてみたい。好きな人ときれいなものを感じることは、同じものを共有して、また一歩距離が縮まる気がする。

──コスモスは安らぎを与えてくれる花だと思います。中学生のころ、私は姉にコスモスの種をもらい、温水で育ててみたら予定より3ヵ月も早く花が咲いてびっくりした思い出があります。しかし、咲いた30本のコスモスは次の日、祖母が1本 100円で売ってしまいました。種は 100円なのに3000円のもうけ! うれしいのも束の間、もうけ分はすべて祖母のもとへ。悲しい思い出でした。

   その他

──先生は、学校の教育はサービス業だといいましたが、私は違うと思います。予備校や塾はサービス業だと言われても仕方がありませんが、学校は、勉強を教える場所でもありますが、人間を育てる場でもあります。サービス業というだけで軽い物のような感じがしてしまいます。

──「宿題」について、なぜ先生は「お父さんの方がよい」とおっしゃったのでしょうか。

 ★ お父さんは会社勤め、お母さんは専業主婦かパートというのが多いと推定される。日頃からお父さんとの対話がとても少ない人が多い。当の問題を話し合うのに適当な人ならもちろん誰でもいいし、お母さんとの話も否定していません。

──「授業要綱の修正」で「Eメールで意見を送ってもよい」とありますが、先生は勤務時間外のプライベートな時間でも哲学や生徒との関わりを持つことがいやではないのですか。

 ★ 教師は学校でだけ働くのではないと思います。授業の準備、テストの採点など、私の場合なら教科通信の作成など、家庭ですることがあります。問題はそれをどの程度するかということだけだと思います。メールが少し来る程度なら問題はありません。

──今回の「天タマ」で私の意見が取り上げられていた。この事について私は何か悲しい気分になった。今考えてみれば、私は先生の考えに対して否定的にとらえてしまっていたように思う。しかし、私が先生の考えをそのようにとらえてしまったことは事実である。そのとらえ方が本来先生が言いたかった事とは違ったのでしょうか。

 ★ 「天タマ」第20号の記事で、皆さんが判断して、こういう載せ方では筆者が悲しくなると思う、という記事がありましたら、お知らせ下さい。私は少し困惑しています。少なくとも冷たい扱いはしていないつもりなのですが。

──「天タマ」で先生が書かれているように私たちは「目に見えているものしか見ていない」かもしれない。でも、私は今は学生で患者に接する時はまだ患者のことだけを見ていいのではないかと思う。たしかに周囲の状態が見えていないし、まだ社会というものが見えていないのかもしれない。社会のルールについて甘い考えかもしれない。でも、これはこれから社会の波みたいなものにもまれて自らが感じ取れていければいいのではないかと思った。

 今、学生のうちでしかできない一人の患者さんと向き合い、いろいろなことを学んでいる。これから看護婦になる上でとても貴重な体験をしていると思う。看護婦になったらなかなか出来ないことだと思う(看護婦を見ていると)。それを私は大事にしたいと感じた。

──ある授業でデンマークは老人の自殺率が高いと聞いた事があります(記憶違いかもしれませんが)。またある本で、日本とデンマークは文化が違うのでデンマークのような福祉制度は日本にはそのまま使えない、というのを読んだことがあります。それも踏まえてデンマークの制度について学ぶことは、すごく哲学的なことだと思います。

   読みやすいレポートのために

 まだ読みにくいレポートがあります。字を直すというのはなかなか大変なことだと思います。もちろんきれいな字で書こうと思う気持ちも大切ですが、次のことなら実行しやすいのではないでしょうか。

・濃い字で書く。これはとても読みやすくなります。2B以上にしてほしい。
 ・大きめの字で書く。これも役立ちます。
 ・行間と左右の隅を空ける。
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