朝日新聞globe第104号、2013年2月3日発行はドイツ特集でした。その幾つかの記事の中で注目した言葉を引きます。
1、ベルリンの壁の崩壊した1989年の12月、東ドイツには「民主主義の出発」という新しい政治組織が出来た。その相節メンバーのエアハルト・ノイベルト氏は「私たちのような古参活動家は、独裁政権とは戦えても、現実の政治的能力がなかった。彼女(メルケル現首相)は逆に実務家だった」と回想する。
感想・私も一応、色々な「活動」をしてきましたが、本当にそうだと思います。現在ある「権力」なり「行政」なりを変革しようとしても、現在より好い政権運営をする「能力」のない人では意味がないのです。例えば、自民党の堕落の上に風にも乗って民主党は政権を手中にしましたが、それをよりよく運営することが出来ませんでした。
佐藤優さんの本などを読むと、政治家が外務大臣になってもこういう職員の力を借りなければ何も出来ないな、と思います。政治家は佐藤さんのような人になる必要はないのです。職員を使いこなす能力があればよいのです。メルケル首相の「実務能力」もそういう意味に理解するべきでしょう。
2、1980年に西ドイツで生まれた緑の党は、党内対立を繰り返しつつも、原発即時廃止などの非現実的な要求は取り下げ、現実主義の中で環境保護を採る政党に脱皮。ドイツ統一後の1998年から2005年までは連立政権の一角を占め、長期的な脱原発政策を決める。
緑の党のヘルマン・オット議員は「政治プロセスの中に入ると、目標を維持しつつも、達成可能な政策を採らなければならない。妥協しすぎず、ヴィジョンにこだわりすぎず、正しいバランスを維持することが、政治の芸術(アート)だ」と話す。
感想・この「妥協しすぎず、ヴィジョンにこだわりすぎない、正しいバランス感覚」が難しいのでしょう。経験と理論とがなければ出来てこない能力だと思います。
3-1、国外でもドイツ語熱は高まっている。「原語でゲーテやシラーを読みたいから」ではない。経済好調なドイツで仕事を見つけることができると期待するからだ。
3-2、東京のゲーテ(インスティトゥート)の受講者は、90年代後半の約5000人から3割減っている。「中国語や韓国語人気の高まりが背景にある」という。
感想・私がドイツ語を勉強したのはヘーゲルとマルクスを読むためでした。しかし、期せずして関口文法という世界最高の文法があったために、結果的にはドイツ語をやった事は最良の選択となりました。
何語をやるにしても、それを文法的に極めたいと思う者はドイツ語「も」勉強した方が好いと思います。関口文法を学ばなければ、言語表現の奥義を極める事はできないでしょう。