HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

ロンドンのスタジオでの思い出

2007-09-30 | 音楽
 昨日イギリスの出版社と仕事をした話をちょっと書きましたが、僕はその当時CDの企画も担当していたので、同時期にイギリス人のプロデューサーやアーティストとCDを制作するプロジェクトを立ち上げていました。いわゆる“ダンス・ミュージック”なのですが、新たにミュージシャンを集めて一から制作したり、古い曲を集めてコンピレーションしたり、正直言うとダンス系は好きなジャンルではないのですが楽しかったです。
 まずは実際にかかっている音楽の傾向を知るために毎晩クラブに出かけるのですが、何しろオープンする時間が夜中の1時過ぎからというのが普通で、僕自身は他の“まともな”仕事と掛け持ちなので、翌朝がけっこう辛かったです。踊れませんしね(笑)

 制作はロンドンの北部にある某スタジオを使ったのですが、その当時日本からブランキー・ジェット・シティのメンバーもやって来て、同じスタジオで録音していました。スケジュール的に同じ時間にかちあうことはなかったのですが、彼等がデビューする前のアマチュア時代からそのタイトな音にはものすごく惚れ込んでいたので、是非様子を見てみたいと思っていました。
 そしたらブランキー担当のエンジニアが僕のプロジェクトの担当と同じ人物で、ロンドン市内で彼等がライヴをやるという情報を教えてくれたので早速駆けつけました。そこは小さなライヴハウスで某イギリスバンドのいわば前座という扱いだったのですが、ブランキーの演奏は物凄くエネルギーがあって、はっきり言ってメインのバンドを食ってました。(と言っても、日本語の歌詞なので観客のロンドンっ子に伝わったかどうかは分かりませんが)

 またある時、打ち合わせが終わったのが真夜中過ぎで、帰ろうとしたら元ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーが録音を終えたばかりのスタジオが後片付けに入っていました。許可を取って中に入れてもらい、まだ体温が残っていそうなヴォーカルブースを覗いたら、焚かれた香の煙の中にマイクスタンドが置かれ、その前には女性の等身大の写真が貼られた衝立が立てられていました。あぁ、こうやって自分でムードを盛り上げ、あのセクシーな歌声は作られるんだなと感心しました。

 ミュージシャンを使っての録音はともかく、既存の曲を集めてのコンピレーションは地味な作業になるのですが、ひとつ面白い思い出があります。
 素材となる楽曲は、プロデューサーがそれこそ世界のあちこちから集めてくるのですが、ある日手元に来た古いオープントラックのテープは、もう向こうが見えるくらい薄くなっていて、おそらくあと1回しかかけられないだろうという話になり、スタッフ一堂初めて見るような慎重な顔をして一発ダビングしました。

 ある日、そこのスタジオのスタッフが、ここはロンドンでも一番安全な場所だと自慢します。ところがどうみても治安が良さそうな地域には見えません。そしたら彼が「ここのすぐそばにIRAの本部がある。だからテロがここで起きる心配はないんだ」と。
 そう言えばあの当時、テロと言えば連想するのはIRAによるものでした。ところが今テロの意味合いが全然変わっています。どちらにしても未だに平和から遠いのを悲しく感じます。

ミス・ポター

2007-09-29 | 映画・演劇
 10年以上前のことですが、『ピーター・ラビット』に関する仕事で出版元のフレデリック・ウォーン社と仕事をしました。その縁で、ある時作者のビアトリクス・ポターの作品を多く所蔵していることで有名なヴィクトリア・アルバート美術館に連れていってもらい、館内の展示物はもちろんのこと、関係者以外立ち入り禁止の所蔵品の倉庫で、貴重な絵本の原画を見せてもらいました。
 見慣れた主人公達の原画の美しさに大変感動したのですが、さらにその時に驚いたのは博物学に長けた彼女の、動物や鳥や昆虫達を描いた絵の細密さです。部分部分まで細やかに伝わるリアリスティックな絵を見て、あの『ピーターラビット』の仲間達が、例え人間のように服を着ていても不自然でない動きが感じられる理由が分かった気がしました。

 そのビアトリクス・ポターを主人公にした映画『ミス・ポター』を観て来ました。おそらく一般の人にはあまり知られていないと思われる彼女の実像や、悲劇に終わった恋が描かれています。
 それにしても、1900年頃のイギリスの、それも上流階級の保守的な環境の中で、女性が自立して作家になることはなんと困難だったことでしょう。親の認めた相手と結婚して、おとなしく夫に従っていくのが当たり前と考えられていたのですから。
 と言っても、このことを当たり前と考えていたのは、日本でも実はつい最近までのことではないでしょうか。女性の自立や男女平等という考え方が本当に浸透しているのはまだまだ若い人達の間だけなのかもしれません。

 映画の中でも後半に描かれていますが、ポターは著作の大ヒットによる印税で湖水地方の土地を買占め、無用な開発から自然を守ったことでも有名です。環境保全の観念が早くから実践されていたのですね。
 湖水地方を最初に訪ねた時の僕の印象は、前以て『ピーター・ラビット』の絵本から想像していたようなある種の可愛らしさとかではなく、自然の荒々しさや広大さみたいなものでした。人間の手で生半可な開発なんてできないような強さをもともと持っていたのかもしれません。

 いつまでも“うさぎ達”が飛びまわれる環境が残されるよう祈っています。

力士急死事件に思うこと

2007-09-28 | スポーツ
 昔から疑問に思っていたことがあります。普通では許されない暴力が、どうして体育会系の名のもとに先輩が後輩に対してふるうことがまかり通るのだろうと。
 そして、そんな風に暴力を受けた後輩は絶対にそのことがイヤなはずなのに、自分が先輩になるとどうしてまた後輩に対して同じことをするのだろうと。

 時津風部屋の力士急死事件は、たとえどんな理屈をつけようとも許されることのない犯罪だと思います。
 僕は相撲が好きです。相撲を定義づけようとしても、“スポーツ”とも“競技”ともひとことで言えない深さがあります。アマチュアとの差が一番あるのも相撲だと思っていて、ルーキーがすぐに活躍する野球などと違い、それだけこの世界に入ってからの鍛錬が必要だと感じています。それゆえ練習の大変さは通常でないのは分かります。
 しかし、厳しい稽古と制裁とは全然異なるものです。親方や兄弟子が文字通り親兄弟だとしたら、こんな仕打ちができるものでしょうか。
 愛情を持たない厳しさはいつかしっぺ返しにあいます。

 それにしても、この事件に対する相撲協会の、これまた通常の常識からするとなんと物足りない対応でしょう。
 政治の世界での不祥事も、お詫びはまず国民に対してあるべきところが、自分の党内を向いて保身のためのお詫びが先です。今回の時津風親方も社会に対してのお詫びは二の次で、まずは協会に対して。しかも進退に関しては言明なし。永田町も両国も、多分普通の世界とは離れた常識のところにあるのでしょう。

花宵道中 ~ 気高き官能小説

2007-09-27 | 文学
 ずっと長年女性を対象に企画の仕事をしてきましたが、だからといって女心が分かるわけではありません(笑)たまにモニターにかけたりすると、とんでもない勘違いなんてことも当然ありました。

 話がいきなり変な方向に飛ぶのですが、世の中には男女の絡みを描いた小説がたくさん存在します。そんな“エッチな”小説の大半が男性作家による男性読者に向けたものです。となると、おそらくこちらもきっと女性読者から言わせたら、“そんなバカな”の世界がたくさんまかり通っているに違いありません。
 そこで、数年前に始まった『女による女のためのR-18文学賞』です。女性が読んでもナチュラルに感じられるエロティックな小説を選ぶということで、応募者も女性なら選考委員も女性、さらには選考のために『読者賞』も設けて、こちらも女性によって選ばれます。

 今日は大阪出張だったので行き帰りの新幹線用に持ち込んだのが、以前買ったままになっていた『花宵道中』。これが第5回のR-18文学賞の大賞及び読者賞をダブル受賞した作品なのです。江戸・吉原を舞台に遊女たちを描いているのですが、これが思いのほか傑作で驚きました。
 確かに官能的ではあるのですが、それは単に読者の快楽に阿るのではなく、遊女たちの実らぬ恋やひと言では言い表せない遊郭での人間関係を際立たせる芯になり、むしろ雰囲気としては格調の高ささえ感じさせます。

 それにしてもこの文章の上手さは何なんでしょう?奇しくも同じ頃に発売されて直木賞を受賞した『吉原手引草』がやはり吉原を舞台にしていますが、こちらの作者は松井今朝子さんで50歳を越えたベテランです。ところがこの『花宵道中』の宮木あや子さんは1976年生まれとのことですからまだ30歳そこそこの新人作家です。それがこの遊郭に住む人々の即かず離れずの微妙な人情の距離感や、文字通り命がけの恋に身を焦がす遊女の心境を、どうしてこんなに、(男の僕でも違和感がないくらい)上手に描写できるんでしょう。本当に皮膚で感じてしまうような文章です。

 選考委員のひとりの角田光代さんのコメントが帯にありました。「子どもには読ませたくない、読ませてたまるもんか」
 ぜひ一読をお奨めします。但しR-18ですよ(笑)

牛乳を注ぐ女

2007-09-26 | アート
 2年前の夏、絵を観るためだけにオランダ旅行に出かけました。その初日に出かけたアムステルダム国立美術館、数ある佳作に目をやりながらも、心はあるコーナーに。そして行き着いた一角、文字通り輝いている絵がそこに!フェルメールの『牛乳を注ぐ女』です。
 この美術館はフェルメールを4点所蔵しています。『恋文』はその時留守でしたが(オーストラリアに貸し出し中で、その後日本に来ました)、残りの2点『小路の眺め』と『青衣の女』と比べても、その絵はひときわ輝きを放って、見事な存在感でした。

 その『牛乳を注ぐ女』が日本にやって来ました。六本木の新国立美術館で、今日が初日です。断言しますが、この絵は絶対に観た方がいいです。美術があまり好きでない人も絵に対する観念が変わると思います。色彩も構図も、もし絵画に完成形というものがあるとしたら、そのひとつの作品がこの絵でしょう。
 化粧気のないメイド、身に付けた服も華美な飾りの何ひとつない質素なもの、釘を刺した痕跡まで見える汚れた壁、むき出しの土間の台所、割れたガラスのはまった窓、........我々を魅了するにはあまりにも質素な材料なのに、絶妙な遠近法と光の処理で、観る側の目は彼女の注ぐミルクに釘付けになって、そのまま時が止まったような静寂の中に引き込まれてしまいます。 

 残念ながらオランダとは違って絵の前に柵があります。でも、まだ空いている今のうちに、できるだけ色んな距離や角度から鑑賞してみて下さい。同じ絵を何度も味わうことができます。
 また、この絵をX線調査した結果分かった意外な事実等も公開されていて楽しめます。

 それにしてもフェルメールは奥が深い!

ロンドンはイギリスじゃない(?)

2007-09-25 | 日常
 今ある事情でロンドンの不動産を調べているのですが、これがとてつもなく高いっ!誰かが“東京の2倍の感覚”と言ってましたが、これがあながち冗談とは言えないのです。
 最近のロンドンの好景気を反映して物価が上がっているのと、対円のポンドのレートの高さが原因なのでしょう。
 昔僕がロンドンに住んだ頃は、イギリスはまだ不景気から抜け切れず、円はまだ円高状態にありましたから、全てのものが安く感じたものです。何しろその頃は1ポンド150円くらいでしたが、今は確か(ちょっと前よりは下がったものの)230円くらいします。そしてよく例に出される地下鉄の初乗り運賃が、当時は1ポンド出してもおつりが返って来ましたが、いまや4ポンドするので日本円で1,000円近い運賃(!)ということになります。

 でも、よくある“世界で一番物価が高い街”という調査では、ロンドンを押さえて東京が上に来るのですが、これは多分調査項目が多岐に渡るためじゃないかと思います。消費税とかでもそうでしたが、パンだとか野菜だとか基本的な食品は、イギリスでは値段を抑えているのです。
 このあたりが日本の消費税とかを議論する時も頭に入れておかなければいけないことだと思います。

 ところで、ロンドンはイギリスではないと言われます。同じように、パリはフランスではない、とも。同様に、東京も日本ではない、と言っていいのかもしれません。物価が高いということは、逆の見方もすれば給与もいいということで、田舎に若者が留まらず上京してくる魅力がやはり都会にはあるのでしょう。
 どちらの立場から見ても、都市と地方の格差というのは厳然と存在します。先日たまたま福田氏と麻生氏の、総裁選を前の演説を聴きましたが、福田氏は地域格差の是正ということを強調していました。

 さて、その福田氏がいよいよ首相になって組閣しました。お手並み拝見と行きましょう。

古田の行方

2007-09-24 | スポーツ
 何を隠そう、ジャイアンツ・ファンです。だから今シーズンはここに来てけっこう応援に熱が入っています。しかも優勝を争う相手が阪神、中日となるとなおさらです。
 でも、今日は負けてしまいました。どうにも直接対決に弱い癖は治らないようです。

 このセ・パ両リーグの終盤の盛り上がりにもかかわらず、一般の地上波のチャンネルでは放送がありません。昨年のあまりにも低い視聴率に、今年は放映権を放棄した局が多かったようです。
 なのに、どうして僕は毎晩巨人戦を観ているかというと、これがケーブルTVの専門局なんですね。この他にもチャンネルを選べば殆どの対戦を観ることが可能です。たとえ優勝争いの蚊帳の外にいる広島・ヤクルト戦だったとしてもです。

 で、そのヤクルトの古田が監督を辞任し、現役も引退します。
 憎たらしいほど素晴らしい選手が敵軍にいると、その選手のことは敵味方を超越して好きになるものですが、古田なんかはまさにそんな選手のひとりでしょう。リードの上手さや盗塁阻止率の高さという捕手としての卓越した技術の上に、大学と社会人を経験してのプロ入りにもかかわらず2000本安打を記録するバッティング。その上、例のストライキを率いた時の選手会長としての毅然とした態度とその上で見せる人情味。彼こそまさに理想の監督になるだろうと誰もが予想したに違いありません。
 でも、今シーズンもこの結果では、彼の性格として責任を取らざるを得なかったのでしょう。ただ、安倍首相とは違い、このタイミングの辞任ならまだ次のチャンスが絶対にあると思います。何年か外で勉強して、また戻って来て欲しいものです。

 ところが一方で政界進出の噂もあります。普通なら、また人気取りかと絶対反対なのですが、もしかして古田なら、その他大勢のタレント議員とは違って、政党の幹部にまで登って実質的に活躍するんじゃないかな、なんてことも考えてしまいます。
 さて、どうするのかな?

22才の別れ

2007-09-23 | 映画・演劇
 昔うちの母親に「かぐや姫ってグループ知ってる?」と訊かれました。『神田川』で全国的に有名になるのはまだ先の話ですが、大分ではメンバー全員が地元出身ということで先行して知名度はありました。
 「知ってるよ」と答えると、「その中に伊勢さんっている?」との次の質問。「その人って、うちに来ている伊勢さんの息子さんみたいよ」
 当時うちは家業がレストランで、時々お客さんとして伊勢正三さんのお父さんが来られていたのです。

 かぐや姫のその後の活躍は言うまでもないことなのですが、伊勢さんの作曲センスが最初に発揮されたのがアルバム『三階建の詩』です。
 それまで南こうせつさんの曲に詩を付けたりしたことはあるものの、曲も自分で作ったのはこのアルバムの中に収録された2曲が初めてらしいのですが、その2曲というのがなんと『なごり雪』、『22才の別れ』という名曲なのです。両方共かぐや姫としてはシングルカットされることなく、それぞれ“イルカ”と(伊勢さん自らが結成したグループ)“風”によってシングルカットされ大ヒットになりました。

 大林宣彦監督が『なごり雪』をモチーフに(僕の故郷でもある)臼杵を舞台にして映画を作ったのが5年前、そして今回『22才の別れ』を伊勢さんの故郷である津久見を舞台に映画化しました。
 この映画、津久見と共に、舞台設定としては主人公の勤務先である福岡でのシーンが多いのですが、その多くが実際には大分市内でも撮られ、最後にはまた臼杵が出て来ます。そのクライマックスの“竹宵”の様子の幻想的なこと!竹ぼんぼりにロウソクを仕込んで、町中に飾り付けるというものなのですが、実はこの催し、僕が故郷を出てから始まったものなので、まだ一度も経験していません。もっとも映画のシーンは、このために普段の何倍もの竹を使っているとのことなのですが。
 
 津久見と臼杵は隣り合った町なのに、その性格と歴史には違いがあります。
 映画の中でその対比を、津久見はセメント工場を中心に経済成長を遂げようとする活気のある町であり、臼杵はセメント工場を作らずに過去の町並みを残し過去に溶け込もうとしている、と表現していました。主人公のふたりがこの違う町それぞれの出身という設定は、その対比を何らかの形で表したかったのでしょうか。

 故郷の懐かしい風景を見ようと軽い気持ちで出かけたのですが、脚本も映画の構成も前作よりも完成度が高く、情感溢れる品位の高いものに仕上がっていました。
 あの終わり方を見る限り、また次の作品がありそうですし(尾道映画も三部作でしたしね)、また臼杵が舞台になる可能性は大です。いつになるかは分かりませんが楽しみにしています。

鎌倉の邸宅美術館

2007-09-22 | アート
 気品に溢れた空間を独り占めするのはなんと贅沢なことでしょう。今日は何年ぶりかに鎌倉に出かけ、鎌倉大谷記念美術館に行って来ました。
 ここはホテルニューオータニ前会長の故大谷米一氏を偲んで、10年前に遺族によって開館されたのですが、故人の居住していた鎌倉別邸を改装した邸宅美術館で、当時の趣がそのまま残されているため、豪邸に招かれて個人のコレクションを観ているような(実際そうなのですが)気分になります。
 観光の中心地からは少し離れた閑静な住宅街の中にあって訪れる人もそう多くはなく、ずっと贅沢な空間を独り占めできて幸福でした。

 創業者の米太郎翁のコレクションであった日本近代絵画も数多いのですが、洋画の方は米一氏のデュフィ・コレクションが有名で、デュフィの三大テーマと言われている『海、音楽、競馬』のそれぞれで名作を所蔵しています。その他にもモディリアーニ、キスリング、ユトリロ等いわゆるエコール・ド・パリの名画が存在します。
 但し、広いとはいえ個人の邸宅ですから、これら全てが常時展示されるわけではなく、四季に応じた展示替えを行い、さらには年に何回かの特別展示を催しています。

 今月の11日からは『ヴラマンク展』が開催されています。油彩とエッチングそれぞれ10点余りのこぢんまりした展覧会です。
 初期のフォーヴィズムから次の段階に移る過程に描かれたと思われるセザンヌ風な絵もあったりして興味深かったのですが、やはり円熟期の重く孤独感の漂う絵の迫力は凄かったです。
 それにしても、ヴラマンクが貧しい家庭に生まれたというのは有名ですが、生活を支えるためにヴァイオリンを弾いたり、競輪の選手までやっていたというのはご存知でしたか?

 さて、まだまだ暑いですが、暦の上では芸術の秋。東京ではこれからフェルメールやムンクを始めとして、面白そうな展覧会が目白押しです。

初心にかえる ~ HOBNOB秋のライヴ!

2007-09-21 | 音楽
 もう10年以上も前、当時CDの企画をしていた僕ですが、かねてから望んでいたロンドン赴任が決まり、お付き合いしていただいていたレコード会社の担当者に挨拶して回りました。
 その時ある人に、ロンドンに絶対野中さんと気が合う男がいるので紹介したいと言われました。そうして現地で会ったのが西川です。

 僕の住んでいたノッティング・ヒルのフラットに訪ねて来た彼と、なるほど“気が合う”のか音楽話で盛り上がり、その晩に近くのレストランに行って一緒に食事しました。
 その後も週末になると一緒にライヴに出かけたり、ビートルズをギターでコピーしたりして遊びました。西川のロック・ポップスのみならずクラシックやジャズにまで及ぶ豊富な音楽知識は僕の体験も豊かにしてくれた気がします。
 なおかつ、週末にはよく車で遠出をし、ロンドンのセントラルにいただけでは分からない田舎の美しさを味わいました。
 こうした思い出がHOBNOBのオリジナル曲の素になっているのですが、不思議なことにたくさん作ったのは、彼が日本に帰国し僕がまだロンドンに残っていた時期だったり、僕が京都に住んで彼の自宅のある横浜と電話やメールでやり取りをした時期だったり、とふたりが離れていた時が多い印象があります。

 HOBNOB結成のきっかけは、多分ビートルズのアビーロードのB面をギター2本だけでコピーしたことだったと思います。何だかアコースティック・ギターだけでもジャンルに囚われずに面白くやれそうな気がして、これまでに作った曲を整理すると共に、けっこう早いスピードで創作を続けて行きました。
 そして、とりあえず小さな場所でライヴをやろうじゃないかということで、西川のうちの近くの『あっとぺっぷ』で初ライヴ。それからは周囲の人達の好意にも恵まれ、あちこちでライヴをやったり、イベントに参加したり、ラジオにも招かれたり、そしてCDも発売しました。

 結成から2年。互いに仕事を持ちながらの音楽活動なので、思い通りにならないことも多いですが、これからも淡々と続けて行きたいと思います。
 そこで初心にかえって、初めてふたりで演奏した『あっとぺっぷ』でもう一度ライヴをやります。有難いことにこのところ素晴らしいミュージシャンの方達がバックに付いてくれていましたが、これまた原点に戻ってふたりだけでこなしたいと思います。
 狭いですが、親しみ易い暖かな雰囲気のライヴハウスです。PAが思い通りにならないのが難点ですが(笑)サウンドを超えたところで楽しいライヴにしたいと思います。チャージも安いです。是非いらして下さい。詳しくはHOBNOBのホームページ( http://hobnob.jp )をご覧下さい。