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ロンドンから徒然に

イギリスは不味い?

2009-07-31 | 旅・イベント
 ロンドンに住んでいて、日本人のコメントで悲しくなるのは「イギリスは不味い」って言葉です。
 確かにね、日本のレストランの質は高いし、あの“隠し味”を含めた微妙なところまでの味付けは真似できないと思います。

 でもね、そういう人に、どこで食べたのって訊いて、観光地のど真ん中のパブのフィッシュ・アンド・チップスなんて答が返ってくると、ちょっとがっかりしてしまうんですよ。
 なんだか言い方は悪いですが、あまり食べ物に熱心でない人ほど、美味しいものをかぎつける努力をせずに、英語にも苦労しないファースト・フード等で済ませて、「イギリスは不味い」って言っているような。あ、きつい言い方だったらごめんなさい。

 それにしても、“何故イギリスは不味いか”を巡っては様々な説を皆が真剣に取り上げています。
 曰く、プロテスタントは快楽を求めることを美徳としないので食事が質素だという説から、ひどいのになるとアングロサクソンには味蕾が少ないので味音痴なのだという説まで、それはそれでなかなか興味深いですが(笑)

 でも、例えばイギリス料理の典型と言われるもののひとつロースト・ビーフでも、単純そうに見えて実はそれぞれの家に伝来のレシピがあると言います。
 事実僕が以前イギリス人の友人に招待されてご馳走になった時は、街中の名店と言われるお店のロースト・ビーフよりもよほど美味しかったです。

 ヨーロッパのラテン系の国(イタリアだとかフランスだとかスペインだとか)に行くと、食べることへの情熱って凄いですよね。随分昔フランスで仕事した時、その時は撮影が佳境に入っていたんですが、食事の時間になるとあっさり休憩に入ってしまうのに驚いたことがあります。しかもかける時間が長い。昼間でもワインが必ず入るし(笑)

 イギリスもその意味では随分昔より食に対する欲が深まっているように感じます。良くも悪くもこの10年以上のバブル経済の間にレストラン文化も定着したようですし。
 それにこのところの不景気で、逆に物件の値段が下がったからか、ちょっと離れた所に若いシェフが独立して店を出したりして、おまけにその値段が安く、ことグルメ関連のバランスとしては良い状況になっているのかもしれません。



 写真は先日言った某レストラン。前菜はコーンウォール産の蟹のサラダ。アボガドが蟹肉の中に混ぜられ、よく冷えたガスパチョの上に乗っています。
 そしてメインは生ハムで巻いたウサギの鞍下肉。これがローストしたラングスティーヌ(アカザエビ)とアスパラガス、マッシュルームと一緒に出てくるのです。この組み合わせは絶妙でした。

 ここの料理は言わば分類するならばモダン・ブリティッシュ。イギリスは不味いなんて言わせませんよ。
 ただ、ここに行くには中心部からバスに乗らなければならないのです。観光地からちょっとだけ出る手間を惜しまなければ、美味しいところはたくさんあります。

日光浴

2009-07-30 | 日常
 昨日書いたように、アラブ系の女性は公園でももちろんあの黒い服に身を包んだままですが、これがイギリス人女性となるとがらりと様相が変わります。
 なんと公園で水着姿なんですね。



 こちらの人は本当に太陽の光を大切にします。レストランでも(車の排気ガスがひどそうにも拘わらず)まず外のテーブルから埋まりますし、ノースリーヴの肌を平気で日光に晒したりします。
 そう言えば、初めて南仏に行った時に海岸にずらりと並んだトップレスの女性に驚きましたが、ヨーロッパの人は全体にこういう風に日光を求める傾向にあるんでしょうね。

 ところで上に載せた写真はほぼ一ヶ月前のものなのです。
 この春の天気予報ではTVでしきりに《バーベキュー・サマー》という言葉が流れ、この夏の本格的な暑さを予報する番組ばかりでした。
 確かに6月は暑かったんです。この調子だとどんな夏になるんだろうと思っていたら、その後急激に気温は下がり、毎日雨が降る変な天気が続いています。
 今日は、とうとう天気予報も前言を撤回して、雨の多い寒い夏になりそうだなんて言っています。

 そうなると日焼けもできなくなりますが、もうひとつ興味深いニュースが同時に流れていました。日焼けサロンでの太陽灯が(皮膚)癌の原因になる、ということなのです。
 いや、このこと自体は以前からも報道されていたのですが、その時は文章の前に probably(おそらく)が付いていたのです。それが今回の報告ではこの単語が抜けて断定口調になっていたのが印象的でした。

 もちろん人工的なものだけでなく、太陽光も(オゾン層の薄くなった今は特に)浴びすぎるのはよくないような気がするのですが、それでもつかの間の日光を求めて水着になる人はあちこちでよく見ます。
 こちらの人が日本に行って、女性の完全防備姿を見たらどう思うんでしょう?

アラブ女性の服装

2009-07-29 | 旅・イベント
 昨日書いたEdgware Roadの雰囲気を出すためには、例の黒い服を着た女性の写真を載せるのがいいのかなと思ったのですが、わざわざ身体を隠すための服を着けている人を正面から映すのも悪いと思いやめました。
 近くのハイド・パークには、特に夕方になるとたくさんのアラブ系の人達が集まります。顔が分からないようになら撮らしてもらっていいかな。



 あの服装も実は色々あって、だんだんと身体の隠れていく順にヘジャブ《頭髪を隠す》、ヒマール《背中まで隠す》、ニカーブ《目だけ出す》、ブルカ《目の部分も網で覆う》などがあるそうです。
 目だけ出して、しかも(僕には)皆同じようなメイクに見えるのですが、旦那さんが間違えるなんてことはないんでしょうか。それにパスポートにはどんな写真を載せるのでしょう。

 ところで、デパートなどでこうした黒い服のアラブ女性がすごい数の洋服を買っているのをよく見かけるのですが、いつ着るのだろうと素直に疑問に思います。一説によると、こうしたお洒落な女性の黒い服の下にはデザイナー・ブランドの服があるんだともいいます。お洒落心はどこの国でも一緒なんでしょう。

 さて、ヨーロッパでのアラブ諸国の人の人口はだんだんと増えていますが、文化の違い、宗教の違いは軋轢も起こします。
 ちょっと前にフランスで学校でのスカーフ着用を禁止して議論を呼んだことがありますね。こういった服装を女性への抑圧と見るなら禁止することで開放への手伝いをしたいし、宗教の自由を主張する立場からは逆に宗教への弾圧だと言われるんでしょうね。
 
 難しいことはさておいても、あのショッピングに夢中な様子を見ると、自由な服装で歩かせてあげたい気が個人的にはしますが。

ロンドン市内のアラブ

2009-07-28 | 旅・イベント
 何だかこのところやけに忙しくて、土・日もまともに休みが取れません。こんな調子で夏休みを取れるのか不安になってきました。それなのに、周りの皆が続々とヴァカンスに入っていくので、悔しい思いをしています。
 でも安上がりに旅行気分を味わおうと思えば、ロンドンでは簡単に“他の国に行く”ことができます。
 
 実はWhite Britishと呼ばれる、まぁ日本人が普通に“イギリス人”とイメージする白人の占める割合はロンドンでは6割にも満たないのです。その他は生まれがイギリス以外の国の人達で占められていて、市内で話される言語は300以上にもなるというのですが......ちょっと待って、世界の国の数って195とかそんなもんじゃなかったっけ?
 まぁ中国だとかインドみたいにひとつの国でいくつもの言語を持つところはあるにしても、この言語の数からすると世界中の人間が住んでいるのかなぁ。確かに街に出ると英語以外の言語を聞かない日はありませんが。

 それぞれの民族の人が集う場所はあたかもその地方の縮図のような様相を示しています。
 買い物客で賑わうBond StreetやMarble Archの少し西側を北西に伸びる大きな通りEdgware Roadは言ってみればアラブ街で、“リトル・カイロ”とか“リトル・ベイルート”とか呼ばれています。
 夜遅くまで賑やかな通りの両側にはshisha caféと呼ばれる水煙草を楽しむ店が軒を並べています。



 イスラム圏を旅行すると、カフェの類には男の姿しか見られず、皆がミント・ティー(これがとても甘い!)を飲んだりアイスクリームを食べたりしているのですが、そこはさすがにロンドン、女性の姿も見られます。
 新聞や雑誌はアラビア語が中心だし、レンタル・ビデオも案内は英語で書いているものの、大半が彼の地の映画です。
 ここを歩いていると、本当にもうどこの国にいるのか分からなくなるくらいです。



 そんな中で懐かしい(?)服を飾ってあるショーウィンドウを見つけました。と言っても覚えているのはある程度の年齢以上の人ですかね。
 オイル・ショック後の省エネルギー対策の一環として提案された“省エネ・ルック”。時の総理、大平正芳氏とその後の羽田孜氏が着て“ダサい”(これまた懐かしい言葉)おやじの代表のように言われた、あの半袖スーツです。
 やっぱり暑い国の人の発想って同じなんでしょうか。何年か後“クール・ビズ”はどんな風に振り返られるんだろう。



 結局ね、やっぱり日本の夏にスーツにネクタイというのは無理があるんですよ。なんて、普段からネクタイしない僕が言うことじゃないですが、イギリスでの涼しい夏を過ごすと本当に実感します。

都会の穴場

2009-07-27 | 旅・イベント
 ロンドンへ観光で来た人が大抵驚くのが公園の広大さです。リージェンツ・パーク、ハイド・パーク、ケンジントン・ガーデンズ、グリーン・パーク、セント・ジェイムズ・パーク、etc. どれも市の中心部にありながらこの広さというのは本当に凄いと思います。
 Parkと名の付く場所は市内のあちこちに散らばっていますが、実はこの他にも数々のオープン・スペースがあります。

 その中のひとつCity Gardensと呼ばれる庭は、大都会の真ん中にある公共の憩いの場です。
 St Dunstan in the Eastもそういった穴場的な場所のひとつだと思います。(と言っても、週末にしか行ったことがないので、普段の様子は分かりませんが)
 もちろん公園などと比べないで下さい。ビルとビルの間にある中庭程度の広さです。

 


 教会の尖塔が中央に目立つのですが、実はこれはもう教会としては機能していないようで、何やらクリニックの類が入っているみたいです。
 でも、そこの庭は様々な種類の緑と立体的な土地の配置、小さな曲がりくねった道などが、独特の雰囲気を醸し出していて落ち着きます。こんなところでゆっくり本を読むのも、都会での過ごし方のひとつかもしれません。

 ここの教会の歴史は古く、最初に建ったのがSaxon Times(5~6世紀?)と言われています。950年に修復したSt Dunstanの名前が付けられたと思われますが、昨日書いたロンドンの大火で焼け落ち、件のクリストファー・レンの手で再建されたのが1697年。ところが戦火で今は尖塔しか残らず、その後庭が整備されて1967年にpublic spaceとしてオープンしています。

 この程度の広さの庭ならば日本にもありふれていると思うのですが、どこか雰囲気が違うのは東西の違いだけでなく、“ガーデン”文化の違いもあるのでしょうか。
 そう言えばここには紅葉もあるのです。秋も楽しみです。

ロンドンの大火

2009-07-26 | 旅・イベント
 ロンドンの街並み、特に中心部のシティなどの建物を見ていると、その石造りの荘厳さに圧倒されることがあります。ずっと何百年前の人もこれと同じ姿を見ていたのかと思うと感慨深くもあります。
 日本は殆どの家屋が木造だったので、当然同じものは残っていないわけですよね。

 なんてことを思いながらシティの建築物を改めて辿ると、面白い事実が見えてきます。
 ここは1666年にPudding Laneという通りにあったパン屋(プリン通りのパン屋というのも何だか出来過ぎの気もするのですが)からの出火で歴史に残る大火災に遭っているのです。



 火災は何日間も続き、シティのおよそ5分の4を焼き尽くしたというのですから、その大きさは想像できる(いや大きすぎて想像できない?)でしょう。1万戸以上の家屋が焼失した割には、死者の数が数人と言われていますので、それがせめてもの救いだったのかもしれません。

 実はこの時のロンドンは殆どが木造家屋で街路も狭く、それが大火事の原因になったのです。そこでそれを教訓に、再建に当たっては石もしくは煉瓦での建物しか認めないという“再建法”が制定されています。
 したがって、今シティにある建築物はこの時の法律に基づいて再建されたものばかりなんですね。

 その再建法の制定に尽力した建築家クリストファー・レンの設計になるThe Monumentが大火の後にそれを忘れないよう記念碑として建てられました。
 62mのこの塔、上の方に外に出られるスペースがあります。いつかここに昇って今のシティの姿を見渡してみたいとは思っているのですが、311段の階段(リフトがあるのかな?)と高所恐怖症が2つの難関です(笑)


切断された墓石

2009-07-25 | 日常
 元来歩くことは好きな方だし、車に乗らないこともあって、多分他人より毎日多くの距離を歩いていると思います。ただ、これが走るとなると別問題で、つくづく体力のなさが身に染みます。
 それで意を決して(というほど大げさなものではないのですが)夕方少しだけジョギングすることにしました。幸い近くに、以前にもブログに書いたブロンプトン墓地があるので、気持ち良く走ることができます。いや、墓地というのが環境良いかどうかはともかくとして、排気ガスからは逃れられるので。



 いきなり凝った撮り方をした写真を載せましたが、これの正体は下の左の写真のような墓石です。手の先が取られてしまっているのです。右の写真は墓地内にある回廊の壁にかかっているプレートなのですが、唯一これが奇跡的に残っていて、他のものは全て盗まれてしまっています。
 今は管理人がいて、時々警察もパトロールしていますし、暗くなると門が閉まるので、こんなことは激減しているとのことですが、以前は夜だとか冬の人が少なくなる時に、このような狼藉を働く輩がいたようです。



 走っている時に時々目に付く墓石があります。円柱の形なのですが先が切り取られているのです。僕はこれも上述のような破壊行為だとばかり思っていたのですが、先日事実を知りました。
 実はみな若くして不慮の事故で亡くなった人達のお墓なのです。本来もっと長かったはずの人生が途中で不意に途切れてしまうことの象徴なのでしょうか。



 墓地を走っていると、もっと色んな人生が見えてきそうです。

ハリー・ポッター(役)の誕生日

2009-07-24 | 映画・演劇
 昨日のビアトリクス・ポターにかけたわけじゃないのですが、あちこちで広告が目立つので、最新作も観てきたことだし、ハリー・ポッター(あ、こちらはポターじゃなくてポッターと日本語表記するんだ)の話を。



 と言っても、僕には全然これを語る資格なんてなくて、本も読んだこともなければ、映画も何本か見逃しているので、未だにストーリーが自分の中で繋がっていません。その上何となくイメージが『ロード・オブ・ザ・リング』と重なってしまっているという、本当にお互いのファンから叱られそうなくらいにいい加減です。

 それにしても、この本の第1巻が発売されたのが1997年、映画化が2001年なわけですから、もう8年経っているわけです。先日イギリス人の友人とこの話題になって、自分の長女が当時は大ファンで大変だったけれど、今はもう見向きもしないと言っていました。

 主演のダニエル・ラドクリフもいまや.........何歳になったんだろう?と調べてみたら、なんと今日(ロンドンはまだ23日です)が誕生日なんですね。いや、これ本当に偶然。知らなかった。このことを今日のタイトルにしよう。
 ということは、今日で20歳。そう言えば先日TVのインタビューに出ている姿なんて、本当にもう青年だったもんなぁ。



 で、そのTVで映画評論家が話している時に、女性のアナウンサーが自分はまだ一回もハリー・ポッターの映画を観たことがないと言っていました。そこで評論家が驚いてどうしてと尋ねると、「私はハッピーハッピーな映画はあまり好きじゃないから」
 彼も呆れていましたが、これって絶対勘違いしていますよね。単にこれをハリー・ポッター→子供に人気→子供向けの映画→ハッピーという図式で考えたのかな。
 
 だって、良い意味でも悪い意味でも、ハリー・ポッターって“暗い”ですよね。イギリスの映画ならではというか、イギリスの俳優ならではというか(笑)
 当初噂されたように、これがスピルバーグ監督の指揮でアメリカ映画として作られたら、きっとディズニー映画みたいな薄っぺらいもの(あ、ごめんなさい、あくまで個人的好みです)になっていたと思いません?

 ところで、最新作を上映している映画館の近くに古本屋があります。ここは商売上手で、いつもショーウィンドウには世間の話題を上手く取り込んだ特集を組んで本を並べています。で、今はハリー・ポッターの全巻揃え。
 さすがに本場、色んな種類のエディションが並びます。中でも目に付いたのが豪華な革張りで外箱も付いた“コレクターズ・デラックス・・エディション”の初版本。値段を見るとセットで20,000ポンド!(現在のレートで約310万円)凄いなぁ。



 もっと凄い数字を並べるなら、作者のJ. K. ローリングの年収は1億2500万ポンド!(194億円)。ここまで来るともう呆れるしかないですが。
 あぁ、どうもハリー・ポッターの話になるとこんなところに落ち着いてしまうなぁ(笑)

ポターとナトキン

2009-07-23 | 文学
 ほんの数ブロックの違いで雰囲気ががらりと変わることはよくある話です。うちの近くのThe Boltonsと呼ばれる地域なんて、市内には珍しく豪奢な一戸建てが中心で、(滅多に売りに出ることもないですが)10億円を軽く越すような値段が付いているのを一度見たことがあります。

 そこから少しだけまた離れた通りに、今度は背の低い可愛い建物が並ぶmews風な通りがあるのですが、そこの一角にアガサ・クリスティが住んでいたという家があります。
 作品を読んでいると、石造りのそれこそお化けでも出てきそうな古い屋敷に住んでいたようなイメージを受けるので、ちょっと意外な気もします。



 The Boltons周辺にはもうひとり著名な作家が住んでいました。ピーター・ラビットで有名なビアトリクス・ポターです。晩年はご存じのように湖水地方に移り住んだのですが、それ以前の(生まれ年の1866年から)1913年までをここで過ごしています。
 それこそどんな家なのか見たい気がしますが、残念ながらここは壊されてしまって、現在は跡地に学校があります。



 昔ピーター・ラビットに関連した出版物の企画に関わったことがあって、その縁で彼女の書いた原画をヴィクトリア&アルバート博物館の倉庫で何枚も見せてもらったことがあります。普段は目にすることのできない素晴らしい精密な絵を見て、その観察眼の鋭さに驚いたものです。

 ところで先日ブログにも書いたブロンプトン墓地ですが、ここからは歩いてもすぐに行ける距離です。実はポターはこの墓地を頻繁に訪れ、墓石にある名前から彼女の動物のキャラクターを命名したと言われています。その中にはPeter Rabbett(Rabbitじゃないですよ)というのもあったというのですが、これは本当かどうか分かりません。

 この墓地にはリスがたくさんいます。そこで思い出すのはピーター・ラビットのシリーズ第2弾『リスのナトキンのおはなしThe Tale of Squirrel Nutkin』です。
 で、この写真を見て下さい。Nutkins(sが付いていますが)と書かれています。どうやらこの墓石がリスのナトキンの名前の元になったみたいですよ。



 こういう風に墓石を探すのも楽しいかもしれませんが、何しろ広い土地なので、さてお目当ての名前を探し出せる確率はどのくらい?

衆院解散

2009-07-22 | 日常
 ロンドンにいると残念ながら日本の政治のニュースは殆どありません。最近だと某大臣のイタリアでの二日酔い記者会見くらいでしたが(苦笑)今日の衆院解散はさすがにニュースになりました。
 歴代の解散にはいつも名称が付きますが、さてこの解散は何と名付けられるのでしょう。(それとも、もう付けられたんですかね?)

 その名称は数あれど、やっぱり吉田茂氏の“バカヤロー解散”はもっとも有名でしょう。その孫の麻生太郎氏の解散ということで“バカタロー解散”が候補に挙がっていると聞いた時は思わず笑ってしまいました。
 それにしてもこの名称、いつもネガティヴなものばかりなのにはちょっとうんざりします。もう少し前向きな内容の名前でも用意できないものでしょうか。

 もしかして歴史的なものになるかもしれない今回の選挙に参加できないのは残念なので、実はもう何ヶ月も前にこちらでも投票ができるように手続きをしました。日本大使館/総領事館で投票ができる予定です。

 ところでロンドンには当然ながらあちこちに大使館や領事館がたくさんあります。アメリカや中国、ヨーロッパの大国などはさすがに一等地のでかい建物に入っていますが、アフリカや中南米の諸国はけっこううちの近くにあったりします。



 普通の住宅地の中にひっそりと入っていたりすると、なんだか親しみを覚えてその国のことを調べてみたりするのですが、どこまで本当かはともかく、もう立て直すのが困難じゃないかと思えるほどの腐敗した政治状況だったりします。

 それに比べれば、まだまだ日本は何とかなるんじゃないでしょうか(と思いたい!)
 皆さん、投票にはちゃんと行きましょうね。