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ロンドンから徒然に

尋常でない夢を描く

2012-04-29 | 映画・演劇
 アイルランドで飲むギネスが美味いように(←いや、あまり良い例えかどうかともかく先日友人とその話になったもので、つい)スコットランド産の鮭はやっぱり美味しいんですよね、これが。
 じゃ、イエメンで釣れる鮭は?

 スコットランドの鮭釣りをイエメンでやりたいというとんでもない夢を実現しようとする話(原作はポール・トーディの小説『イエメンで鮭釣りを』)、そんな予告編だけでやっぱり見たくなる映画『Salmon Fishing In The Yemen』。



 そこそこ面白かったですが、主演がユアン・マクレガー、監督がラッセ・ハルストレム(もっともこのところ彼の作品はいまいちですが)、脚本がサイモン・ポーフォイ(『フル・モンティ』、『スラムドッグ$ミリオネア』、『127時間』等)と聞くと、もっと期待したかったところです。

 スケールの大きな夢を描く人は大好きですが、その成功の是非は、この映画の最後の方でも語られていたように、やっぱりどれくらい周りの人を巻き込めるかでしょうね。

 これまで見た映画でも桁外れに凄みを感じたのは何と言っても『フィッツカラルド』。ニュー・ジャーマン・シネマの代表格ライナー・ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品です。
 アマゾンの奥地にオペラ・ハウスを作るという、映画のテーマとなった夢も壮大ですが、CGなどない時代(1988年)の作品ですから、ポスターに見られる船を山越えさせるシーンなんて実際に撮影しているわけです。映画制作そのものが壮大な夢と言ってもいいでしょう。



 そもそもジャングルの中での撮影の過酷さなんて、素人でも想像できるわけで、撮影途中で主演のクラウス・キンスキーが降板すると言い出したのも納得できます。
 ヘルツォークが凄かったのはここから。キンスキーにピストルを突き付けて、どうしても役を降りるつもりなら、お前を殺して自分も死ぬ、と言い放ったんです。

 今でも映画作りに携わる人達の情熱とチームワークの強さにはただただ感心するんですが、『フィッツカラルド』のこういった裏話を聞くと、ますますそのスケールが尋常ではない気がしてきます。いくら金をつぎ込んでも、CGのスケール感ってどこか質が違いますもんね。

一直線の目標がなくなる時

2012-04-25 | 日常
 今日もやっぱり雨。これで何日続いていることになるのかな?先月は干ばつによる野菜の値上がりが心配されるなんてニュースが流れていたのに。
 ただ、ずっと降りっぱなしというわけでなく、時々は晴れるんですよ。これで逆に困るのが、うっかり傘を置き忘れてしまうこと。一度こちらですごく値段の高い(でもとても軽くて使いやすかった)傘を買って、一ヶ月も経たずになくしてしまって以来、我が家に高級な傘は1本もありません。

 先日たまたま通りかかったのが、地下鉄での遺失物を売っている店。時効で所有権が無くなってしまったものを取り扱っているんでしょう。
 店頭に昔からの実際の遺失物が展示されていました。これらは全て非売品で、一種の博物館みたいになっていましたが、その中にあったのが電話。どうしてこんなものを持ち歩いていたのか分かりませんが。



 その意味では携帯があるのは納得しますが、それにしても80年代のものだと大きいですねぇ。そう言えば映画『ウォール・ストリートWall Street : Money Never Sleeps』の冒頭で、主人公のゴードン・ゲッコーが8年の懲役の後出所する時、所持品にあった“携帯電話”がやけに大きかったのを思い出しました。

 そうだ、携帯だけでなく80年代はパソコンも大きかったんですよ。昔友人がMacintosh Portableというのを所有していましたが、これなんてまぁ確かにportableの文字通り“運べる”には違いないんですが、せいぜい部屋と部屋の間を運ぶのが精一杯でしょう。運べるデスクトップって感じでしたから。

 でもこのMacが1989年製だったことを考えると、既に1985年には日本製で“世界最初のラップトップ”と呼ばれるもの(東芝T1100)が存在していたんですから、日本の技術は凄かったわけです。
 それが今や、携帯(いやスマートフォン)でもパソコンでも日本はどこか遅れを取っている感があるのはどうしてでしょうね。

 僕が勝手に思うのは、“小さくする”とか“画質を良くする”とかいった一直線(?)の技術目標が見えている場合は、日本の技術は素晴らしいと思うんですが、いざその技術は自分の生活をどう豊かにしてくれるのか、といった肝心の部分になるとどうも説得力を欠くように思えるんです。

 これを大局的に見ると、経済力を伸ばすという一直線の目標の時は良かったけれど、いざ行き着くところまで行き着いて(おまけに不景気が続いて)さてこの時代に何が幸せかといったことを考える、なんてことがやっぱり苦手なように思えます。
 これってもしかして原発の問題を考える時にも何かの指標になりそうな気もするんですけどね。

市民のマラソン

2012-04-23 | スポーツ
 このところのロンドンはすごく寒くて、未だに暖房の入っている家が多いほどです。おまけに雨のなんと多いこと。
 いつぞやの天気予報なんて、1日のうちに晴れ、曇り、雨のマークに加えて雷まで。もっとも天気の変わりやすさはロンドン名物ですから、今更ながらの話でもあるんですが。

 そんな状況に鑑みると、昨日(22日、日曜日)はラッキーな日だったと思います。夕方までは青空が広がって、久しぶりに爽やかな気候でしたから。
 その意味では38,000人と発表された多くの参加者も楽しめたに違いありません。「市民のマラソン」の代表格であるロンドン・マラソンが行われました。

 「市民の」という冠を実感するのは、男女エリート、車椅子、一般に分かれた参加者の多様性と数の多さももちろんなんですが、沿道で応援する人達の多さとその熱心さです。それぞれオリジナルTシャツや応援旗を用意して、声を枯らして声援します。こんなにたくさんの参加者の中から、よくもまぁお目当てのランナーを見つけ出せるものだと、そのことにも驚きますが。



 グリニッジをスタートしてザ・マルでのゴールまでの間に、タワー・ブリッジ、ロンドン塔、バッキンガム宮殿などの観光名所も盛り込まれていますから、走るにも応援するにも楽しいエリアには違いありません。

 いまや一般市民参加型のマラソンは、東京マラソンを筆頭に日本でも定着してきた感がありますが、それにしても42.195kmなんて距離をよく一般の人が走れるものだと改めて感心します。おそらく一生のうちに一度だってこんな距離を走るなんてことは僕にはないんだろうなぁ。

 当日は当然あちこちで交通規制が実施され、不便と言えば不便でしたが、こんな楽しいことも。
 ウエストミンスター・ブリッジから車がシャットアウトされ、道の真ん中を堂々と歩くことができたんですよ。こんなこと、1年のうちでもこの日しかないんじゃないかな。



 観戦の後はゴール横のセント・ジェイムス・パークで、沿道の大きな歓声を聞きながら緑と花を楽しみました。
 ところがこの後、また雨が降るんですよ。まったく...

“道”

2012-04-22 | 旅・イベント
 帰国の度に毎回同じように後から謝っているのですが、また会えなかった人達どうもすみませんでした。
 どうにも時間の遣り繰りが下手で、うまく時間を空けられず、おまけに滞在中ずっと体調がいまいちだったもので、あまり遅い深夜とかに“飲みに行く”元気もなく、また不義理してしまいました。

 会おうと思うとなかなか時間が合わない人達がいるかと思うと、偶然色んな人達に会えたりすることがあるのも面白いですね。
 某日のこと、あらきゆうこちゃんとShimmy夫婦とランチを取り、その後予定になかった“くるり”のレコーディング現場にお邪魔することになり、別件の打合せを済ませて夜スキマスイッチのコンサートに行くと、隣の席にさかいゆうくんが、そして遅れてその隣には秦基博くん。この日だけでミュージシャン10人と会ったことになります。



 いつも感心するのは、皆の音楽に対する姿勢。その真摯さは、まぁプロだから当たり前と言えば当たり前なんですが、例えがいいかどうかはともかく、剣道だとか柔道だとかいった“道”に通じる、いわば“音楽道”みたいな求道的な姿勢さえ感じてしまいます。このたゆまぬ努力があるからこそ皆第一線で活躍しているんでしょうけどね。

 振り返って自分を見ると、何事に対しても何とまぁ中途半端な向き合い方だったことか(苦笑)。何かを極めようとする前に、その辛さを放棄してきた感じがして、今更ながら自己嫌悪です。
 色んな思いが交錯した今回の日本滞在だったなぁ。

桜に好かれる?

2012-04-20 | 旅・イベント
 通常ヨーロッパでは1月~3月にかけて展示会が続き、そのレポート作成の都合なんかもあって、春の一時帰国は何だかいつも慌ただしく、直前に国内での主たる打合せ2,3本の日程を決め、次にその前後を埋めていって、貧乏性なもので結果的に滞在中は朝から晩まで予定を入れてしまい、終いには自分で自分の首を絞めるという状態になってしまいます。

 計画を入れた後でふっと意識が行くのが桜のこと。今年は大阪から入り、4月8日の夜~15日の間の滞在だったので、端からもう遅すぎるだろうと諦めていたんです。
 ところがどうやら日本ではずっと寒さが続いていたため開花の時期が遅れ気味らしく、丁度満開の時期に当たる可能性が強いことが分かりました。

 となると、後悔するのが時間を空けなかったこと。夜は全て予定を入れてしまったため、少なくとも夜桜は無理。昼間は打合せの移動の地点に桜の名所はなし。その上、天気予報を見ると滞在途中で雨の予報も。
 ということで、選んだのが東京に移動する前のわずかな時間。午前中の打合せもそこそこに大阪から京都に移動。駆け足で(本当に走るような速さで)かつて住んでいた地域を回って、そのまま新幹線に飛び乗りました。





 考えてみたら、昨年だったか一昨年だったかは、逆に3月の早めに帰国して、早すぎるだろうと思っていた桜が、異常な暖かさのために早めに開花して、これまた見ることができました。どうやら桜には好かれているみたいです(笑)

 それにしても不思議なのが、イギリスにだって(あるいは他の国にだって)同種の桜はたくさん存在するのに、やっぱり日本で見る桜が一番綺麗なこと。背景になる建物だとか、周囲の空気感だとか、あるいは自分の内なる心情だとか、桜を見る時のそもそもの環境がやっぱり違うんでしょうね。
 そう言えば、桜を見る時の心境って何だか複雑な気が......

戻っています

2012-04-19 | 日常
 月曜日にロンドンに戻ってきました。
 時差ボケが邪魔をして、時間かけている割には仕事が進まず、ブログにまで余裕がない状態でした。
 明日くらいから(多分)また始めます。(←くらい言っとかないと、ずっとさぼりそう。)

時差ボケplus

2012-04-09 | 旅・イベント
 8日に成田経由伊丹着で日本に入りました。
 来る前に風邪をこじらせて、やっと治ったと思ったら後遺症で鼻炎が続いて、おまけに今年は花粉症気味の症状さえ出て、もう「辛い!」の一言。これに時差ボケが重なっている状態なんですよ。
 飛行機では耳鳴りがするし(そんな状態でヘッドフォンして映画見てるバカですが)、ホテルでは一晩中ずっと天井を仰いでいるし(これじゃいっそずっと外で過ごしても一緒なんじゃないか)、よくこの状態でもってるなぁと自分で体力を感心(そんな場合じゃないですが)。
 東京への移動の新幹線で何とか寝よう。

そして本番

2012-04-06 | 音楽
 (前回の続きです。何だか少なくとも2009年分を本番終了まで書いておかないと他のこと書けないような雰囲気になってきたもので)



 さて、本番に関しては、本人のみならずそれぞれのスタッフがそれぞれの立ち位置で緊張していたと思うんです。僕の立場からするとまず冷や冷やしたのが開場から開演までの30分でしたね……本当にお客さんが集まるんだろうか?
 
 ところが15分前になってもホールは半分ほどしか埋まっていません。心配になってICAのスタッフに「チケットはソールド・アウトだったよね」と確認したほどです。つい会場の外まで様子を見に行ったり......
 ……それが直前になっていきなり満杯。ICAはホールのすぐ横にバーがあることもあってか、観客はぎりぎりまでまで飲んでいたみたいです。とりあえずはホッとしました。

 そして開演!時差ボケの体に鞭打ってステージに上がるスガさん達。自らを奮い立たせるには恰好の《19才》からスタート。
 実はこのあたりからの僕の観察には客観性がないんです。自分も当事者の身になっているもので皆の緊張がこちらにも伝わって、どうにも冷静に見られません。なので当日会場におられた方で違う感じ方をしたとしても、ご了承下さい。ただ、最初はすごくあがっていたと思うんです。(これは本人も国内公演のMCで触れていたので話しても構わないと思うのですが)足も若干震えていたみたいだし。正直言って最初の数曲は、外国人のオーディエンスも様子見のような冷静な雰囲気があって、どこかしっくりこない空気感だったのは確かです。

 しかし、曲をこなすに連れてだんだん“普段着姿”になっていきます。そしてアコースティック・ギター1本での弾き語り《気まぐれ》と《愛について》(この2曲はロンドンと国内とでは順序が逆です)。
 実はこの2曲で完璧に会場の空気感が変わりました。何だか皆の視線と神経がすっと同じ方向を向いて、スガさんの立場から言えば、しっかりと観客の心を鷲掴みにしたような感覚。まるで日本語の歌詞の意味を理解しているんじゃないかと思えるような真剣な顔が外国人オーディエンスにも浮かびます。あぁ、これがステージと客席の一体感か。

 ここからはもうジェット・コースターのようなノリでぐいぐいと加速して、一気に突っ走った感があります。僕もいつの間にかすっかり当事者感覚を離れてオーディエンスとして楽しんでいました。
 そして《Thank You》で終了した後の地鳴りのようなアンコール(イギリスでは床を靴で踏み鳴らします)。最後はイギリス人も日本人のスガファンによる《午後のパレード》の振付を見様見真似で実践して楽しんでいました。企画のもうひとつの核である“日英交流を記念したイベント”の象徴のようで嬉しかったです。

 アンコールの終了後も鳴り止まない拍手と床を踏み鳴らす靴音。スガさん、けっこう感動していたみたいです。やり遂げた良い顔していましたよ。あの人は本当に音楽に対して生真面目に向き合う人で、その姿勢には随所で感心しました。

 さて、僕にとってはこの後の大きな仕事がまだふたつ。
 ひとつは日本からツアーで来てくれた人の打ち上げパーティー。この方達、本当に熱心かつ素敵な人達ばかりで、どう言えばいいのかな、スガさんに対する距離感とか抱擁感が抜群にバランス取れていて暖かい。できれば本人から皆さんに挨拶をお願いしたかったんですが、諸事情で叶わず、代わりにオーガスタの森川さんが挨拶を買って出てくれました。

 さてさて、そして深夜の打ち上げ。お店のオーナーのご厚意でけっこう無理な時間帯に貸し切りさせてもらいました。
 もちろん初めてのライヴをやり切った喜びで皆良い顔なんですが、やっぱり真面目なスタッフばかりで、色んな反省の言葉も出てきます。終わる頃には「また来年頑張ろう!」という気持ちに皆が自然になっていたのが不思議でした。もちろんこの気持ちが次のJAPAN★UK circuit 2010に繋がっていくんですけどね。
 これについては、近いうちにまた触れていきます。あくまで気まぐれなので、あまり期待せずに待っていて下さい。

パブリシティ

2012-04-02 | 音楽
 ほら、慣れない運動なんてやってしまうと、若い人と違って筋肉痛が1日くらい遅れてやってきたりするでしょ?あれってきっと時差ボケも同じだと思うんですよ。僕はいつも着いた翌々日くらいが顕著にきつい。

 で、前回のブログの続きです。
 一緒にしてしまうのも申し訳ないんだけれど、きっとスガさん達の本番の日もこれと同じことだったんじゃないでしょうかね。到着翌日のリハは皆案外と元気にやり遂げたんです。そして翌日、スタッフは早めの入りですが、メンバーは余裕を持って午後3時。ところが皆あまりすっきりした顔ではない。
 案の定よく眠れなかったみたいなんです。でもさすがにそこはプロ。サウンド・チェックからリハーサルまで熱心に着々とこなしていきます。

 でも、これ時差ボケを経験した人にはすごく分かると思うんですが、一旦楽屋で椅子に座るとまたドッと眠気に襲われる。これが本番待ちの時間に出てしまいました。
 そこで買ってきてもらったのがRed Bull(笑)ひとまずこれで眠気覚ましです。

 ところで今回のライヴを開催するに当たっては、直接のチケット宣伝(このための広告やチラシに関しては確か当時のブログに書いたと思います)とは少し違う考えで、スガさん自身を売り込むためのパブリシティを仕掛けました。
 そのために作成したのが豪華なプレスキット。



 写真、プロフィール、詩の英訳(さて、どの2編を選んだでしょう?)、ライヴの案内、そしてCD『FUNKAHOLiC』をパックした、殆ど手作り感覚のキットです。



 裏はご覧のように一色に統一されています。



 イギリスの新聞・雑誌・WEBの音楽担当者に予め連絡を取った上でこれを送りつけました。
 早くも当日ライヴ開始前の朝に取り扱ってくれたのが『METRO』。これは各地下鉄の駅構内に置かれているフリーペーパーで相当な部数が出るため影響が大きいんです。事実この日会場となったICAにはチケットの問い合わせが何件もあったのですが、残念ながらとっくにソールド・アウト!
 ところでその記事に書かれていたのが、こちらが目論んだ通りの『J-POP SUPERSTAR』。してやったり!早速スガさんもMCで取り上げました。



 じゃ、今日はここまで。何だか続き物みたいになってしまいましたが、あまり期待しないで下さい。既に公になっていること以外で喋って構わないことなんてそんなにたくさんはありませんので。