HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

ドイツ人の生真面目さ

2008-08-31 | 旅・イベント
 確かピーター・ユスティノフPeter Ustinov(イギリスのアカデミー賞受賞俳優)の弁だったと思うのですが、酷いものの例えとして“Spanish precision, German humour and English wine”を挙げています。
 スペイン人に几帳面さ、ドイツ人にユーモア、イギリスのワインに美味しさを求めるなかれというわけですが、これをひとつずつ先に送って“Spanish wine, German precision and English humour”ならぴったりときます。

 何故そんなことを思い出したかというと、バルセロナをネタにしばらくブログを書いていたうちに今日はベルリンに来たのです(と言っても残念ながら今回は仕事ですので、あまりたくさんのネタは作れそうにありませんが)
 先週バルセロナに行った時は、空港に着くなり2時間以上遅れるというアナウンスがありましたが、今日はさすが!ほぼ定刻通りに到着しました。

 ドイツ人の真面目さは時としてイギリス人には堅物に映るようですが、信号待ちの時なんかに特に感じるんだろうな、と思います。
 ロンドンでは信号は一応の“目安”で、車さえ来なければ平気でどこでも渡ってしまいます。でも、ドイツの人って赤信号だとちゃんと待っているんです。こんな気真面目さがもしかしたら日本人と似ているのかもしれません。

 でも、そういう気真面目なドイツ人が第二次世界大戦時にはホロコーストみたいな残虐な行為に走ったのですから、よく分かりません。
 しかし、ドイツ人の気真面目さはその後に良い面で現れます。過去の罪は罪としてきちんと認めて、自らを戒めるための、そして次世代に伝えるための行動をきちんとしているのです。

 その中では比較的新しいものですが、2005年に虐殺されたユダヤ人のための記念碑Holocaust Mahnmal(Holocaust Denkmalとも言います)が建設されています。
 2,700もの墓石に見立てた石碑が縦横にびっしりと並ぶのですが、その高さはまちまちで、高いものは成人の2倍くらいにもなります。中に入るとそれこそ迷路のようにも、あるいは自分が棺桶の中に入ったようにも感じ、隙間から見える青空が妙に救いに思えます。地下には資料室があり、収容所で亡くなった600万人のリストが残されています。



 ここからすぐ北側にはブランデンブルグ門が、すぐ南側にはベルリンの壁の跡が残されています。ドイツが負った戦争の傷跡は大きいのでしょうが、その過ちを繰り返さないための努力が、ドイツという国の国際的理解に繋がっているのだと思います。
 さて、日本はどうなんでしょう?


交通手段

2008-08-30 | 日常
 何かにつけてIDを要求されることがよくあります。写真付きの証明書って意味ではもちろんパスポートを見せればいいわけですが、普段から持ち歩いているわけではなく、そうなると大概の場合免許証で構わないから、と言われます。ところが僕はこれを持っていないのです。今時の日本の成人で何パーセントの人が免許証を持っていないのか分かりませんが、おそらく少数だと思います。

 何故だか考えてみるのですが、ひとつには男性にあるまじきことに(と時々言われます)昔から車に興味を持ったことがなかったのです。したがって車種を全然知らず、どこどこのメーカーのなになにと言われても全然イメージが湧きません。唯一アストン・マーチンの名前は知っていましたが、これはジェームス・ボンド(すなわち007)の愛用車だったからです(笑)
 もうひとつは若い頃から比較的都会に住んできたので、交通機関に関してはあまり苦労することもなく、むしろ駐車に苦労するシーンを何度も見てきて、面倒くさいなと思ったこともあります。

 今は昔ながらのおんぼろのフラットなので、駐車場なんてもちろんビルの中にありませんが、以前ロンドンに住んだ時は立派なマンションで、地下に広い駐車場がありました。その時は自転車を利用していて、他の高級車が並ぶ中、僕の部屋に割り当てられたスペースだけに自転車がぽつんと置かれていました(笑)
 ただ、こちらでは自転車は歩道を走れず、車道を他の車と並走するのですが、ビュンビュンと飛ばしていく車の横を走るのはけっこう怖かったです。

 先日バルセロナのことで、市が車のない社会を目指していると書いたら、その考えに賛同する人たちから何通かメールをいただきました。確かに地下鉄もバスもけっこう発達しているので、移動の手段としてだけならかなり車は排除できるなとは感じます。
 そんなことを考えながら、ふと気になって鼻の穴をティッシュで拭いてみたら(失礼!)真っ黒になっていました。これって本当なんですよ。セントラルに2、3時間出たら誰でもこうなってしまいます。せめて排気ガスの規制だけは厳しくしてほしいと思うのですが...



バルセロナの胃袋 ~ ラ・ボッケリア

2008-08-29 | 旅・イベント
 ロンドンに来る観光客が皆口を揃えて「ロンドンは不味い」と言うのが、僕はどうにも気に入りません。
 その理由のひとつは、ちゃんと探すこともせずに観光地のど真ん中でツーリスト相手のレストランだとかパブだとかで簡単に済ませての発言が多いこと。ふたつ目はそれが自分の判断じゃなく受け売りで批判しておいてとりあえず通になった気分でいること。そしてみっつ目は自分がロンドンを好きだから何だか悪口言われているようで嫌なことかな(笑)

 でもまぁ正直言って、日本の繊細な味に比べるとどうしても敵わないことは確かです。美味しいレストランに行くと東京の倍はするくらいの値段ですしね。
 その点スペインはどこでもあまり外れがないような気がします。素材や味付けの点で日本人に合うからでしょうか。魚介類もたくさん食べますし、それがまた新鮮ときています。

 そういった意味で、バルセロナの味にここが少しは貢献しているかもしれません。ラ・ボッケリアLa Boqueriaという市場です。観光客で賑わうランブラス通りの真ん中辺りにあって、ここはそれ以上の混み方で活気があります。
 僕は旅行に行くと必ず地元の市場に朝早く顔を出すことにしているのですが、食文化の違いで扱っているものにも差があってなかなか面白いですよ。

 ここも様々なものを扱っていて、山羊の頭(と脳みそ)みたいにちょっと写真では見せられないようなものもありましたが、その他子ブタを丸ごと売っていたり、たくさんの生ハムが吊るされていたり、果物屋では新鮮なジュースが売られていたり、市場の中にはBARがあって朝から一杯飲めたり(僕はやってませんよ)とにかくカラフルで楽しいです。

 そしてやっぱり新鮮でした。魚はエラを見せてディスプレーしていることが多いのですがどれも真赤でしたし、ロブスターなんかはえらく派手に飛び跳ねていました。ついでに言うなら、マッシュルーム屋で売っていたエスカルゴ(すなわちカタツムリ)も動き回っていました。

 その晩はこの市場を思い出しながら、カタルーニャ名物のアロス・ネグロ(イカ墨のパエリヤ)に舌鼓を打った次第です。






“期間限定”でなくなった内部拝観 ~ カサ・バトリョ

2008-08-28 | 旅・イベント
 枯葉があちこちに散って、ロンドンはもうすっかり秋の気配です。現地では辛かったバルセロナの暑さが懐かしい気もします。写真もまだたくさんあるので、もう少しガウディをネタに書いてみようかと思います。
 カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)、サグラダ・ファミリア、グエル公園、コロニア・グエル教会と書いてきましたが......そうだ、カサ・バトリョの紹介がまだでした。

 現地のカタルーニャ語ではカサ・バッリョと発音されるこの建物、まるで仮面のようなバルコニーと破砕タイルの壁、そして動物の骨にも見える支柱と屋根のカーブが特徴的です。その外観は夜になってからの派手な照明と相俟って、マスカレード(仮面舞踏会)そのものの怪しい雰囲気で、道行く人の注目を集めています。



 ずっと長い間、内部に入ることはできなかったのですが、ガウディ生誕150年を記念する2002年の“ガウディ・イヤー”時に1年間限定の触込みで建物内部が一般公開されたのです。予想通りの人気の高さで、連日長蛇の列だったそうです。そこで決まった“1年延長”。
 ここで済まないのがスペインの良いところで(笑)結局その後に“期間限定”を取っ払ってしまいました。おかげで今回も内部を見ることができたというわけです。

 以前は2階(現地でいう1階)部分が見学の基本で、追加料金で屋根裏部屋と屋上を見ることができる仕組みだったのですが、今は両方通しのチケットに統一されています。
 もちろんその分値段も高くなって、僕はバルセロナ・カードを利用して割引で入ったのですが、正規料金は確か17ユーロ(約2,900円)以上していたと思います。ちなみにこの値段は数あるガウディの建築物の中でも突出して高い入場料です。オーナーがあのチュッパ・チャップスの創業家の出身らしいので、商才に長けているのかもしれません(笑)

 入口をくぐってすぐの螺旋階段からして十分に好奇心を掻き立てますが、そこからはもう天井を見ても、床を見ても、窓を見ても、溜息の連続です。この耽美さは何なのでしょう。先日書いたCMの中のナレーションに、確か“石作りなのに柔らかい”みたいな表現があったと思うのですが、これも独自の曲線によるものなのかもしれません。





 エレベーターを使わずに階段で屋根裏部屋まで登って行く途中にはいくつもの個性的なドアがあります。この部分はプライベートに使用しているらしく、中には表札がかかっている部屋もありました。こんな部屋に住めるなんて羨ましい。
 屋根裏部屋にはつい山彦を連想してしまう幾条ものカーブが描く通路とホールがあります。そして屋上へ。カサ・ミラにも通じる煙突の造形はやっぱり楽しくて、色んな角度から眺めてみました。



 それにしても、基本的に“改築”だけを行ったはずが、これだけの中身にしてしまうのですから、やっぱりガウディの力は底知れないものがあります。こんな才能を生みだすのもやっぱりスペインだからかな。



ガウディ精神のエッセンス ~ コロニア・グエル教会

2008-08-27 | 旅・イベント
 映画でも文学でも、あるいは音楽でもそうですが、皆によく知られた大作より隠れた佳作がお気に入りということはよくありますよね。ガウディの作品の中でも、先日書いたサグラダ・ファミリアやグエル公園は誰もが知っているし、バルセロナに来たら必ず訪れる場所だと思います。
 そういった“大作”ではないのですが、ガウディの精神が余すところなく活かされている建築物があります。バルセロナから少し離れていることもあって、訪れる人も少ないのですが、これを一番好きな作品、あるいは最高傑作と評する人もいます。コロニア・グエル教会です。

 もともとはColònia Güel industrial villageに働く人のための教会として建築が計画されたものということで、そう思って村を眺めると1本大きく目立つ工場の煙突のようなものがありました。
 1898年から計画はあり、1908年には建築に着手したものの、その後もスロー・ペースで作業は進み、1917年には大戦の影響で中断してしまいます。翌年にはガウディのパトロンであったEusebi Güelが死亡し、その跡取りのSantiago Güelはもともとこの計画に積極的でなかったこともあって、そこで完全に計画はストップしてしまい、ガウディはサグラダ・ファミリアの建築に専念することになります。こうしてこの教会は地下聖堂に当たる部分のみが残されました。



 建築がスロー・ペースだったことの理由として、ここの教会は細部まで非常に手の込んだ作業がなされていることもあるのですが、何と言ってもガウディの真骨頂である非常に実験的な手法が試みられたことが大きいと思います。
 それは “フニクラ”と呼ばれる手法で、力に逆らう直線ではなく力を吸収する曲線を建築物に応用しようというものです。建物の模型を逆さ吊りにしてどのように重力がかかるかという実験を彼は長年続けています。これを使ったのがこの教会の天井で、この技術はサグラダ・ファミリアにも応用されています。





 最寄の駅のCòlonia Güelにはバルセロナ市内からFGC(カタルーニャ鉄道)を利用して20分ほどで行ける予定だったのですが、途中工事でバスに乗り継がねばならなくなりました。
 ということで予定より少し遅れて着いたら教会は結婚式の真っ最中。チケット売場の担当者には終わるまで待たなければならないと言われたのですが、入口まで行くと「ナイス・タイミング」と言って通してくれました。こんなところがスペイン人の良いところです(笑)可愛い参列者と一緒に結婚を祝いました。



 ここには他にも1900年前後に建てられた素晴らしい建築物がたくさんあって、実際に個人宅として使用されています。インフォメーション・センターで案内の地図を渡してくれるのですぐに分かります。結局半日以上この村でゆっくり過ごして良い思い出になりました。


カリビアンな日 ~ ノッティング・ヒル・カーニバル

2008-08-26 | 旅・イベント
 夏らしい夏がなかったとはいえ、ロンドンに住んでいたらやはりこれを経験しなくては次の季節を迎える気分になれません。ノッティング・ヒル・カーニバルです。
 毎年8月最後の日曜日とその翌日の休日(バンク・ホリデー)の2日間にまたがって、100万人近い人を集める大きなお祭りで、リオのカーニバルに次ぐ世界で2番目の野外フェスティバルだと言われています。

 ノッティング・ヒルと言われるエリアは大きくはふたつの顔を持っています。ひとつは有名人の所有する高級な住宅が立ち並ぶ地域、そしてもうひとつは多くの移民たちが集って住む地域です。
 このカーニバルはもともと移民地域のイメージ・アップのために、60年代半ばに行政的立場から行われたものなのですが、イギリスの経済破綻の中、差別や労働環境に苦しんでいた、特にカリブ系の移民たちが自分たちのアイデンティティを見直す場として、ロンドン中から集まってきて、一大イベントに膨れ上がっていきました。
 歴史的には70年代に警察との衝突があったりして問題も抱えましたが、今ではすっかり平和的なイベントとして定着しています。

 最寄のノッティング・ヒル・ゲイトの駅は夕方まで閉鎖され、次の駅のベイズ・ウォーターまで行って歩くことになるのですが、途中もあちこちの道が通行禁止で、その上大変な人出ですから、なかなか思い通りに進むことができません。
 警察官の数は尋常ではなく、彼らの乗る馬の糞で一杯になった道もあるくらいです。でも心なしか表情はあまり厳しくなく、音楽に合わせて手拍子を取っている警官も見かけました。途中で男性からしつこくダンスを誘われている婦人警官もいて、周りも囃したてましたが、さすがに苦笑するだけでした。但し、夜になって逆に女性から誘われて踊っている男性警官は見かけましたが(笑)



 メインのパレードが通る道は場所によっては空いていて、比較的楽に見ることができました。僕が最初に陣取った位置はパレードの進路からするとかなり終点に近い位置で、年齢の行った人や、子供たちの表情はちょっと疲れているようにも感じたのですが、あれはもう本能なのか、音楽がかかるとたちまち激しく身体を動かし始めるのです。中にはイギリス人と思われる人たちもたくさん参加していましたが、やはりリズム感や身のこなしでは大分差があるように感じました。





 周りで見物する人も様々で、同じように身をくねらせて楽しむ人もいれば、準備のいいことに椅子を用意しているお年寄りもいるし、我関せずで視線がパレードに向いていない人たちもいます。
 その中では自分たちのルーツの国旗を振って真剣に応援する人たちが印象的でした。



 さて、ラテンやカリブな数日が過ぎましたが、僕の夏休みもいよいよ終わりです。明日からはゲルマンあるいはジャパンな日々に戻らなくては。

隠れた市民の足 ~ 自転車レンタル

2008-08-25 | 旅・イベント
 バルセロナへの旅を終えてロンドンに戻ってきました。予測した通り(?)あちらの空港に着いた時点で既に遅れる旨のアナウンスが出ていましたが、結局Earl’s Courtの駅に着いたのが夜の11時半を回ったところでした。
 するとこんな時刻に大変な人出です。実は今回限りでライヴを止めることを宣言しているジョージ・マイケルのコンサートがあったのです。小さいとはいえ、スーツケースを持って人並みに逆らい、駅の階段を上がるのは大変でした。



 さて、今回の夏休みの旅、最“高”気温が23度くらいというあまりに寒いロンドンで、このまま夏を終えるのも寂しいかと思って出かけたのですが、やっぱりいきなり30度近い気温と高い湿度は身体に厳しく(すみません、日本がもっときついのは重々承知です)ちょっとバテてしまいました。
 もっとも原因はそれだけではなく、夜遅くならないと開かないレストランで、少し飲み過ぎ・食べ過ぎ(その結果、睡眠不足)のせいもあると思います。まぁ、10時半にならないと開かなかった昔に比べたら楽なものなのですが。

 街は道路が広いせいもあって、歩行者がストレスなく歩けるようにできています。メインの通りの真ん中の分離帯と両側に広く歩行者専用の道があり、アール・デコ風なデザインのベンチが点在したり、街路樹が影を落として涼しさをもたらしたりしています。
 歩くのは得意な方なので、目的地まで相当の距離をいつも歩いていたのですが、さすがに暑さに参ってしまってくじけそうになった時に、ふと目に止まったのが、自転車の群れです。



 観光客用に貸し出ししている自転車かと思ったのですが、しばらく好奇心で様子を見ていたら、どうも住民が契約で利用しているみたいで、カードをタッチしてロックの外れた番号の自転車を借りて、他の同じような中継地点で乗り捨てているみたいなのです。
 これはなかなかエコでもあり、便利なシステムだと思いました。しかし、これだと自転車の数が余ったり足りなくなったりするところが出てくるんじゃないかとその時は漠然と思ったのですが、その夜に発見しました。ちゃんと車が荷台に自転車を運んで中継地点に補足していたのです。



 電車、地下鉄、バス、路面電車、そして自転車、それにケーブルカーまで、それぞれがうまく共存して市民の足になっているのは素晴らしいと感じました。以前バルセロナは車を一切使わずに済む街を目指しているという話を聞いたことがありますが、こうした仕組みに本気で取り組んでいるのがよく分かります。

(追記:書き終えた後に気になって調べてみたら、これはやっぱり市の運営する公共のシステムみたいで、bicingと呼ばれています。昨年4月から実施されているようですが、これだけ綺麗なのはやはりあまり雨の降らない街だからでしょうか。日本で実施したらたちまち雨ざらしで錆びてしまいますよね。)

グエル公園で見る夢

2008-08-24 | 旅・イベント
 日本でガウディが一般的に知られるきっかけになったのが、このおかげじゃなかったろうかと個人的には思っています。84年にTVで流れた“サントリー・ロイヤル”のCMです。
 実在するとは思えない奇妙な建築物から、(こちらは本当に作りものなんですが)子供が空想の中で見るような生き物が顔を出したり、無表情の仮面の女の人が踊り出したりします。
 そしてナレーションが「スペイン、バルセロナ。ここは建築家アントニオ・ガウディに会える街。彼が作る家は遠い過去から来たのか、それとも遠い未来から来たのか.....」と続きます。しかもバックの音楽がまた幻想的。もうこれだけで僕のイメージの中のバルセロナは、こんな夢のような世界です。

 おそらく彼の代表的な建築物がフラッシュ・バックのようにたくさん出てきたと思うのですが、僕が一番印象に残ったのが、実はグエル公園なのです。CMの最初に出てくるお菓子の家のような建物、長い脚の人物が歩きまわる千本柱(実は僕が当時から勝手にこう呼んでいます)の空間、その柱が支える長く曲がりくねったモザイクのベンチ、まるで波の中に呑み込まれたような土の回廊、今にも動き出しそうなトカゲ......全てが何故か記憶にくっきりと残っています。
 だからこのCMを見た数年後に初めてここを訪れた時は、もうふわふわとした気分で、本当に柱の影からあんな人物が現れたり、回廊から怪物が顔を出したり、ベンチにはバレーをする女の人が座っているんじゃないかと思えたほどです。



 ただ、そんな空想に浸れたのも、まだその頃はそれほどガウディ人気があったわけではなく、極端な話、時間帯によっては、あのベンチや千本柱の空間にたったひとりでいられるくらいだったからです。
 今回は特に夏休み期間の真っ只中だったせいもあるのでしょうが、物凄い人出で、改めて彼の建築物の人気の高さを思い知りました。

 中心部からは少し離れた丘の上にあるので、電車を使うとすると行き方は大きく言って2通り。直線距離としても近いVallcarcaからは、今はエスカレータが出来て、楽に頂上まで登ることができます。ただ、初めて訪れる人はやはりLessepsから歩いて、“お菓子の家”に挟まれた門から入るのを勧めます。正面に見える階段でモザイクのトカゲが出迎えてくれます。
 このまま階段を昇ると千本柱、そしてその上にあるモザイクのベンチ、その横には土の回廊、とストレートにガウディの夢世界を楽しめます。でもおそらくこれからはひとりでその夢を独占することはきっと不可能でしょう。たくさんの訪問客と共有して下さい。余裕があれば一番上まで上がってバルセロナ市内を見渡すといいと思います。
 僕もまた半日かけてゆっくり楽しみましたが、ロンドンの冷夏に慣れた身には、日本並みとは言わないまでも、久々に湿度のある暑さでちょっとバテてしまいました。




 これだけ広い公園も、もともとは集合住宅として計画されたらしく、入口にある対になった“お菓子の家”も本来は管理人室と事務所になる予定だったようです。ところが60軒のうち売れたのがたったの2件。しかもそれはガウディ本人と発注者であるグエル伯爵だったというのですから、当時としてはやはり斬新過ぎたのかもしれません。今ならそれこそあっと言う間に売り切れでしょうが。

サグラダ・ファミリアの完成日

2008-08-23 | 旅・イベント
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 ガウディの建築物と言うと、やっぱり誰もが一番に挙げるのがサグラダ・ファミリアだと思います。スペイン語でSagrada Familia、英語に置き換えるとSacred Fasmily ということになるので、日本語に直すと“聖家族”でしょうか。貧しい人々のための贖罪教会として計画されたのですが、最初に建築を依頼されたフランシスコ・ビリャールという人が辞任したため、急遽まだ当時は無名だったガウディが受け継ぎ、一から設計を練り直しています。そしてガウディ亡くなった今も未だに建設が続いており、クレーンが建築物の一部のようにさえ見えます。



 実は僕はバルセロナを1990年前後から今までに数回以上訪れています。その度に必ずサグラダ・ファミリアには立ち寄っていたのですが、最初の頃は東と西のファサード以外に目立った進行は見えませんでした。
 壁も屋根もないので真ん中は広場のようになって、建築資材も雨ざらしで、その上いつ来ても工事している人の姿を見かけませんでした。ところがこの数年前からは一気に工事が進んだように思えます。四方の壁だけでなく屋根も付いて、段々と完成の暁の姿が想像できるような気がしてきました。下の予想図にもあるように、既にある90mを越す塔のさらに上を行く170mの塔が20年後に完成すると言われています。



 それでも、工事に着工してから既に125年が経ったにもかかわらず、まだまだ建築は続き、現在の予測では完成は2256年頃だというのですから、本当に気が遠くなるような話です。
 その訳はスペイン人ののんびりした性格ばかりでなく(笑)別のところにもありそうです。実はガウディは詳細な設計図を残しておらず、製作した模型も内戦などで焼失しています。そこで残されたわずかな資料や職人からの伝聞で、その時代時代の建築家がガウディの思想を推測するということを行っているらしいのです。

 でもまぁそのおかげで(?)細部は世界中の色んな人達の芸術感のミックスになって面白い結果になっています。東側の“生誕のファサード”の彫刻を手掛けたのは日本人の彫刻家、外尾悦郎氏。彼の作品が出来上がった当時に来た時は全ての彫刻が真っ白で、古くからの建物からは浮いたように見えましたが、さすがに何年も経って、それなりに貫録の出た汚れが付いてきました(笑)
 また西側の“受難のファサード”はJosep Maria Subirachsというカタルーニャ人の彫刻家による作品で飾られ、その個性あるキリスト像は最初から物議を醸しましたが、これもまた何年か経って馴染んだ感じがします。



 この先何らかの奇跡が起こって、スペイン人の性格が変わり、建築技術に飛躍的な進歩があって、完成が早まるなんてことがないかと期待しているのですが、今日何人かと接した限りでは、少なくとも前者は望み薄なようです(笑)

ガウディの街

2008-08-22 | 旅・イベント
 時々ロンドンで見かける光景です。地下鉄のチケットを入れたはいいものの、隣の扉が開いてしまってびっくりしているのです。大抵スペイン系の人が多いのですが、その理由のひとつは多分こういったせいじゃないかと思っています。
 つまり、スペインのちょっと古い地下鉄の入口は、写真のように左側にチケットを差し込む部分があるのです。殆どの国では右側ですので、この習慣に慣れている人は大変なのだと思います。僕なんか逆にスペインで右側に入れてしまいそうになります。この発想の違いは何なのでしょう?



 実は昨日から夏休みを取ってバルセロナに来ています。ラテン系の大らかさと言ってしまえばそれまでなのですが、9時25分に出発予定でしたので、早起きして空港に着いたら、いきなり予定が遅れて12時発になったと告げられました。2時間半の遅れなわけです。
 でもまぁ、このくらいで慌てていたらスペインでやっていけないのは分かっているつもりです。しかし、着いてからどうしてもやらなければならない用事があったのですが、夜にずれ込みました。教えられた通りに夜の10時に行くとそこは閉まっており、別の場所を教えられました。そこに着くと先客がいて、なかなか時間を取ってもらえません。1時間以上して、やっと相手ができると思いきやそこからまた待たされて、深夜の2時です。
 もう帰りの地下鉄も全てクローズしており、仕方なく真夜中に電車10駅分に当たる距離を歩いて帰りました。前夜殆ど寝ていないこともあり、もう写真の整理をする元気もなく、久しぶりにブログをさぼってしまうことになりました。心配してメールをくれた方どうもすみません。

 それにしてもスペインというと、先ほどの発想の違いだとか、大胆さ、大らかさが偉大なアーティストを生む源なのだろうと思います。ピカソ、ミロ、ダリ、ゴヤ、etc....皆どこか頭のネジが根本的に違うとしか思えません、大好きですが。僕も時々“ラテン系の発想”と人に言われるので(笑)

 でも、やっぱりバルセロナと言えばこの人、アントニオ・ガウディでしょう。一般的な建築様式とは、もうとんでもなく離れたところにいて、あの迫力には圧倒されっぱなしです。でも、内部を見てみると、実際に暮らすことに対する真摯な要求は見事に満たしていて、単に自己満足に終わっているわけではありません。
 “生活に遊びを”という、言葉としては使い古されてはいますが、ある意味理想の考え方を見事に具現している人だと思います。

 数々の作品群のうち、今日は“カサ・ミラ Casa Milà”の写真を載せます。
 “石切り場”というニック・ネームを持つこの館は、ふたつの中庭を持ち、広い部屋の内部はどこからも上手く自然光が入る仕組みになっており、高い天井と相俟ってとても暮らし易そうに思えました。もっとも現在は内部がガウディ建築に関する博物館として使われていますが。



 しかし何と言ってもガウディの発想の神髄は、その屋上にあります。曲線のみによって構成された建築の面白さには、色んな感じ方をする人がいますが、僕は何だか海の中にいるような印象を受けました。曲がりくねった段差のある通路を歩き、装飾物の影に隠れると、なんだか自分が魚になったような気分になるのです。

 

 様々な顔を持つ煙突や飾りは、本当に生き物のようで、角度によってさらに表情を変えます。長い時間を屋上で過ごしても全く飽きが来ないほど楽しいです。




 ここからまっすぐ東には、サグラダ・ファミリアを臨むことができます。街を無意識に歩いていても、ばったりガウディの建築物に出会ったりします。本当にバルセロナはガウディの街なんですね。