HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

大英博物館のアフリカ・コーナー

2009-03-31 | アート
 昔ニューヨークでベーシストのロン・カーターのうちを訪ねたことがあります。バンドにおけるベースの役割をアメフトのクォーター・バックになぞらえて語る、彼のジャズへの情熱に聞き入った覚えがあります。
 ハドソン川沿いにある(今でもそうかは知りませんが)大きなマンションは各フロアの世帯主がひとりだけという豪華なものでしたが、エレベータを降りてすぐのリヴィングにアフリカ原住民のアートが置かれているのが印象的でした。

 昨日書いた大英博物館のアフリカのコーナーを見ながら、そんなことをふと思い出していたのですが、僕の博物館における趣味はちょっと悪く(笑)思わず顔がほころんでしまうような彫刻を発見することなのです。
 この視点で眺めていくと面白いですよ。どんなショーケースの中にも必ず“掘り出し物”はあって、次回来た時に旧友に再会したような気分になれます。




 こんなアートが名も知られない普通の人によって作られるわけですから、本当に凄い。
 しかし、その一角にきちんと“アーティスト”によって意識的に作られた作品がありました。Tree of Life。これをよく見ると、その周りに置かれている動物などを含めて全て銃の部品で作られているのです。
 かつて争乱の多かったアフリカの村の住民に、武器を供出させる代わりに、トラクターなどの農具を与え、その平和転換の記念にこうしてアートを作っているのです。



 このところのニュースでやけに銃の乱射事件が目に付きます。こんな野放しの状態が良いはずがなく、誰かが大きなモーションをかけるべき時のような気がします。その時のヒントになるようなアフリカ・コーナーでのアートでした。

サマータイム

2009-03-30 | 日常
 昨日(土曜日)は時差ボケがひどくて困りました。昼間は何だか頭が重くて眠たいくせに、夜になると目が冴えてしまって眠れません。どうせやることも多いからいいやと開き直って仕事をしていたら、結局寝たのが朝方の4時。それでもまた8時前には目が覚めてしまいます。

 新聞を見ると午後3時40分からプットニー・ブリッジの方で、オックスフォードとケンブリッジの対抗するボート・レースがあるらしく、こういうのも面白いかなと出かけることにしました。
 レース自体は20分くらいで片が付くらしいので、遅れないようにしなければなりません。でも、うちから30分もあれば着くので、2時半頃にでも戻ってくれば、と一旦外出しました。

 で、その2時半。ふと最近愛用し始めたi-Phoneを見ると3時半になっています。こちらはデジタルできちんと調整が行われているので、間違うはずがなく......
 えっ?もしかして!
 が当たりでした。今日からサマータイムが実施されていたのです。てっきり4月になってからの日曜日だと思い込んでいたのですが、実は昨晩のうちに針が1時間進んでいたのです。ということは僕が寝たのは既に午前5時だったということに。

 もうこの時間からではボート・レースに間に合うはずもなく、仕方ないので電気街にパソコンのソフトを見に行ってきました。
 と、これだけではあまりに寂しい日曜日。すぐ側にある大英博物館を久しぶりに訪ねました。いつもはエジプトやギリシャのコーナーを見ただけで疲れてしまうのですが、今日はアフリカまで足を伸ばして楽しんできました。
 閉館間際には広いグランド・コートに夕方の優しい日が落ちてきて、何となくのんびりした気分。うん、これはこれで素晴らしい日曜日だ。



 家に帰ると7時半を回ってから綺麗な夕焼け。そりゃそうですよね。昨日までは6時半だったわけだから。
 これからはだんだんと日が長くなって、素晴らしい初夏を迎えます。とはいえまだまだ寒いロンドン。天気予報によると明日の朝は1度です。


ピカソの“コピー”

2009-03-29 | アート
 ロンドンに戻ってきました。結局東京ではあまりプライベートな時間がなかったので、(どうせ間に合わなかった)お花見を始め、思っていたことの半分もできないままでした。
 レコード店にも一度も行っていないことに今気付きました。今更日本の音楽を買うというのも変な話ですが、いつも出張先でその国の特徴あるCDを持ち帰っているのです。じゃ、そんな日本の音楽というと何か、というのも実は難しい問題なんですけどね。

 純粋な邦楽を欲しいわけでもなければ、ましてや演歌を聴きたいのでもなく、敢えて言うならロックやポップスを日本人という自分の中でうまく消化してしまって血肉になっている音楽かな。
 そういう意味では、生まれた時からロックやポップスのみならずヒップホップやR&Bなんかを耳にして育ってきている若い世代は器用だなと感心することがあります。もっとオリジナリティを伸ばして、頑張って世界に進出してほしいと思います。

 そう、“オリジナリティ”。この言葉、簡単に使うけれどもこれほど難しいことはなく、どんな分野においても先達の影響を少しずつ受けながら、だんだんと自分のものにしていったんですね。
 これはどんな分野においてもそうで、ピカソみたいに、もうオリジナリティの極みであるような大天才画家も、彼の時期の巨匠たちへのオマージュで一杯の作品を次々と描いているのです。



 今日ナショナル・ギャラリー別館で行われている“PICASSO CHALLENGING THE PAST”という展覧会に行ってきました。実はこれ先日日本に帰国する前に行こうとしたのですが、あまりの人気に当日券が買えず諦めたのです。

 有名な巨匠達の作品を元に、ピカソが自分なりのコピーを描いています。もちろんコピーと言うには語弊があって、どれも全てピカソなりの調理で、それはもう素材を活かしつつもまるで別物になっている格別な美味しさのご馳走なのです。しかも素材はゴッホの自画像であったり、セザンヌの静物であったり、ルノワールの裸婦であったり、とびきりの素材。楽しめないはずがありません。

 それにしても改めてピカソの凄さを感じることになりました。やっぱり天才がやればコピーが単なるコピーを超えて、自分だけのオリジナルに生まれ変わるのですね。しかもそのジャンルの懐の広さ!どうしてひとりの画家がこれだけの範囲のものをこなせるのでしょう。

 十分に堪能して帰ったのですが、フランスの友人によると、この冬にパリのグラン・パレで開催されていた同様の企画展“Picasso et les maître”では、この元になった原画まで展示されていたというではありませんか。その中にはゴヤの“裸のマハ”まであったそうです。
 ううん、そう聞くと無い物ねだりで......でも、それはやっぱりちょっと欲張りかな。

定型破りのBARBEE BOYS

2009-03-26 | 音楽
 日にちだけ数えたら10日間以上あったはずの日本滞在なのに、本当に慌ただしく過ぎてしまって、もう明日はロンドンへ帰ります。関空へ着いた時は夏のように暑くて、こりゃ桜はすぐに咲くなと思っていたら、その後気候は一転して冷え込んでしまい、成田から帰る明日までのお花見は叶いませんでした。



 最後の晩だと思いながら窓の外を見ると、隅田川沿いの夜景が綺麗です。これを“ふたりで”眺めていたりしたら歌でもできそうな雰囲気です(笑)
 男女間の歌って、昔は演歌系ならこう、ポップス系ならこうとか、何となく型にはまった歌詞とメロディーがあってつまらなかったですが、そういう“定型”を気持ちいいくらい軽々と打ち破ったのが80年代のバービーボーイズだったような気がします。

 「もォやだ!」、「ふしだらvsよこしま」、「Shit ! Shit !嫉妬」、「女ぎつねオン・ザ・ラン」、etc.とタイトルを少し挙げただけでも???の不思議な世界。そんな歌詞に乗るメロディーがまた超個性的。その上sus4add9みたいなわけのわからないコードを使いながらも、なんとも軽やかに奏でられるバックのギター。
 さらにはハスキーでセクシーで、音域が被る時にはどちらの声かたまに分からなくなる、魅力的なツイン・ヴォーカル。
 一時的に再結成して、今年の2月から全国公演やった時に行きたかったのですが、日程的に無理でした・

 ところがなんとなんと今日たまたまメンバーに会えたんですよ。しかもおふたりに別の場所で。
 ヴォーカルの杏子さんとドラムスの小沼さん。杏子さんは以前から何回かチャンスがありながら叶わなかったのですが、今日たまたま会えて嬉しかったです。思わず一緒に写真を撮ってしまいました。

 あ、でもこのブログって基本的には自分の写真を出していないし、おふたりに迷惑かかってもいけないので、ごくごく小さくして載せますね。
 それにしてもやっぱり生で演奏を見てみたいな。もう一度再結成してもらえませんか?



P.S. (ごくプライベートです)麻衣ちゃん、BARBEE好きだったよね。連絡先が分かりません。HOBNOBのホームページからでもメール下さい。

渋谷の街

2009-03-25 | 旅・イベント
 イギリス英語では“地下鉄”をundergroundと言い、アメリカ英語ではsubwayと言います。さらに言うならイギリス英語では“地下道”がsubwayで、アメリカ英語では(もう分かりますね)undergroundだからややこしい。
 いずれにしろ“地下”を表すことは間違いないのですが、実はロンドンの地下鉄の半分以上の区間は“地上”を走っています。

 とはいえ、ここの“地下”鉄の駅はやはり変な感じがします。
 渋谷で銀座線の駅に行こうと思うと地上3階に上らなければなりません。それが次の表参道駅に着くとちゃんと地下です。その他にも歩道から直接入ったデパートのフロアが実は2階だったりとか、本当に地名通り起伏に富んだ“谷”の地形なんですね。
 
 それにしても世界中のどこを探しても渋谷のようなユニークな街はないような気がします。
 なんと言ってもその人口比に占める若者の多さ。中学生から大学生を中心に10代、20代の男女でこれだけ溢れている街は見あたりません。煌びやかなネオンやうるさく流れる音楽と相俟って、すごいエネルギーを感じます。

 昔はそれでも街の一角におとなたちが遊べる場所やお店があって、あの粋な様子に憧れたものですが、いざ自分が歳を取ってしまうと、そんな場所は再開発され、もう街全体が若者の街として徹底されていく気がします。

 どこに引っ越そうと、いつも自分の住居と勤務先を繋ぐ中継点にあって思い入れのある街なので、なんと言われようと愛し続けるつもりではいますが、自分にもエネルギーがいるなぁ(笑)



スポーツの本場、楽器の本場

2009-03-25 | スポーツ
 イギリスで野球に関するニュースが報道されることはまずありません(似ていると言えば似ている、未だにルールのよく分からないクリケットは大々的に取り上げられますが)だから、多分今回のWBCのことも、ロンドンにいたらここまで詳細は分からなかったと思います。

 それにしても印象的だったのはイチロー。千両役者の存在は、大きな舞台が用意されるからこそ。打っても打たなくても目立つのは、それだけ大きなチャンスに打順が回ってくるという運も持っているからでしょう。

 そのニュースの後に相撲をやっていたのも印象的でした。
 アメリカが国技と誇る野球の頂点を日本が2度も続けて獲得し、日本の国技である相撲の東西横綱をモンゴル勢が張っています。

 いきなり違うジャンルに入ってしまいますが、アメリカで生まれたギターも今や世界中に優れた職人が出てきて、本場にひけをとらない優れたものがたくさん出てきています。
 でもやはり気候や風土の問題で、職人の個性以前のキャラクターは前面に出てくるようです。

 それともうひとつは、木製ゆえの経年変化による音質の違いもあり、オールドの渋い音色を好む場合は、やはり歴史のあるアメリカのギターを手に入れざるをえません。
 しかしこれがまた問題で、古いものはどうしても状態にも難がある場合が多く、あるいは当時との音楽に関する好みや操作性の違いで、調整が必要になります。



 今日修理に出していた2本のGibsonが戻ってきました。左のギターは特に古いわけでもないのですが、どうしてもネックの感じがうまく調整できずにアメリカのGibsonの工場まで戻り、なんと1年半もかけてのカムバックです。
 右のギターは何しろ生まれが1950年代後半なので、一見元気そうですがやはり修理の必要が出てきて、この3ヶ月間ドックに入っていました。

 明日は我が身の健康診断です(笑)

至れり尽くせり

2009-03-24 | 日常
 いやぁ、話には聞いていたのですが、本当にあるんですね。
 おでん缶、ラーメン缶、うどん缶、...etc.、あ、パンの缶詰ってのも隣にある。 しかも置いてあるのが秋葉原。さすがにマニアック。 
 ロンドンでは絶対に考えられない。第一、これをイギリス風に置き換えたら、一体何の缶詰ってことになるんだろう?まさかフィッシュ&チップスの缶詰なんて考えられないですしね。



 ロンドンの駅で置いてあるのはせいぜい水とチョコレートの自動販売機くらい。それにあのマナーの悪さでは、この手の缶詰なんて置いた日には車内中ゴミだらけでどうしようもなくなるんじゃないかな。
 そう考えると、色々と言われながらも、日本の若者はゴミに対するマナーがまだしもよくできているように感じます。

 ところで、ロンドンの地下鉄駅にないのは自動販売機だけではなく、もっと大切なもの。トイレです。ピカデリー・サーカスなど一部の繁華街の駅を除けば、まず見あたりません。
 日本だと本当にこの点は助かります。乗る時に行く暇がなくても、どこでも降りる駅を当てに出来るので。

 と、そのつもりで降りた表参道駅が改修中で、従来のところにトイレがありません。
 ところがさすが日本。ちゃんと仮設のものを用意しているではありませんか。ロンドンではこれまたおそらく“修理中”の張り紙ひとつで、そのフォローなんて絶対に考えられません。



 まぁ、こんなことばかりを例えに話す内容でもないですが、他のことでも日本では本当に至れり尽くせりで、ロンドンに行った当初はものすごく不便に感じたものです。
 でも、慣れてくると今度は日本の状況を見て、別にここまでやらなくても、なんて思うことも。

 もしかしたら他にやらなくてはいけないことがたくさんあるような気もするのですが。特に税金を使って作るようなものは。

東京マラソン

2009-03-23 | スポーツ
 時差ボケは西への移動(時を遡る)より東への移動(時を飛び越す)の方がきついと言われます。イギリスから日本へは後者に当たるわけで、なるほどなかなか体調が戻ってきません。まぁ、本当はこんな理屈より年齢の方が大きいのでしょうが(苦笑)
 昨日東京へ移動する際、新幹線の待ち時間に立ち寄ったお寺にカメラを忘れてきてしまい(これも時差ボケの影響?)途中で気づいて大慌て。思わず走って戻りましたが、いやはやこれくらいの距離にしてなかなかきついのは、やはり時差ボケのせいだけではないのでしょう。

 その意味で、毎日走っている人って本当に尊敬します。そんな人の当面の目標はやっぱりマラソン参加でしょうか。
 今年で3回目を迎える東京マラソンはすっかり人気が定着し、びっくりするくらいたくさんの人が参加します。そして必ずしも、その“参加”はランナーだけにとどまらず、大会のホームページから数字を引用すると、35,000人のランナー、13,000人のボランティア、195万人の観衆ということになります。
 確かに数時間以上に渡る交通規制を始めとして、たくさんの人の理解がなければ成り立たないイベントでしょう。



 走りのペースもそうなら、服装もまた思い思い。なかには“こんな格好で走れるの?”っていった格好の人もいます。
 沿道で応援する人もまた自分の身内や友人・同僚の応援に駆けつけ、旗やのぼりで応援し、たくさんの人の中に姿を見つけると、途中で記念写真を撮ったりしています。
 本来のスピードを競う選手達はもう遙か彼方の人になっていますから、まぁこんな楽しみ方も市民マラソンならではでしょう。





 それにしても、このところの異様とも思えるようなマラソン・ブームの中、堂々と東京の幹線道路を走るのは気持ち良いものでしょうね。いや、見ている僕たちも爽やかでした。
 これをヒントに今度は車の交通量を減らす工夫を意識的に計画できないものでしょうか。

石畳の散歩道

2009-03-21 | 旅・イベント
 以前住んでいたのが清水寺の真下でした。三年坂から歩いてすぐのところだったのですが、引っ越しの時は苦労しました。
 何しろトラックが入れるような広い道がなく、小さな車を乗り入れるにしても交通規制が厳しく、朝晩のごく短い時間に限られてしまいます。おかげで1日では荷物の運び出しが終わらず2日間に渡ってしまいました。

 でも逆の言い方をすれば、散歩にはこれほど風情のある所はないとも言えます。繁華街の四条通りの方に出るにも、清水から丸山公園までずっと続く石畳の道を歩きます。
 週末や祝日はもちろんのこと、平日でも昼間は観光客で賑わいますが、朝晩はそれが嘘のような人気のなさです。まるで現実とは思えない異空間とも言えました。

 今現在はこのところ名物になった“花灯路”の時期なので、夜9時半の消灯の時間まで人通りは絶えませんが、それでもほんの一瞬、人が途切れる時間があります。
 写真はその散歩道の中でもお薦めの石塀小路。下川原通りと“ねねの道”に挟まれた、この文字通り石塀のある小さな石畳の小路は、古い旅館や料亭が両側にあり、昼と夜でまた違う顔を見せてくれます。

 今もロンドンで夜の散歩を楽しんでいますが、昔の京都での習慣が抜けきれないからかもしれません。


丸山公園の枝垂れ桜

2009-03-20 | 旅・イベント
 旅先ではいつも「昨日までは...」と言われます。つまり僕が着いた日から気候が急に変わることが多いのです。
今回はいきなり暖かくなったみたいです。オフィスではもう冷房が入っていました。ロンドンで汗をかくなんてことは殆どなかったのですが。

 タクシーの運転手と話題になったのが桜に関するイベント。いや、別に京都に限っての話ではなく、全国でこの“桜祭り”の類が大弱りのようです。いきなりの暖かさで開花予想が早くなり、いざ祭りの時期に肝心の主役は散ってしまっているんじゃないかということです。

 短期滞在の僕としては早く咲いてくれるのは大歓迎で、日本にいるうちにお花見ができればと願っています。(といっても忙しそうかな)
 なんて書いていたらTVで京都では開花した(大阪より早いんだ)というニュースをやっていました。と言っても、もちろんあくまで開花したに過ぎないので、まだどこででも見られるわけではありません。

 京都で個人的に一番思い入れがあるのが丸山公園の立派な枝垂れ桜です。特に夜の照明に映える姿は本当に妖艶で、そればかりでなく“桜の下には死体が...”という言葉を思わず信じてしまいそうなくらい怪しい雰囲気も兼ね備えています。

 最近では(カラスが原因とも言われていますが)枝振りも少なくなって、弱っているのがすごく目立つようになりました。でも歳は取ってもやっぱり主役中の主役。桜のシーズンには絶対に必要です。もう少し頑張ってその艶やかな姿を見せ続けてほしいものです。
 今年は満開の姿を見られないままに終わりそうで、少し残念です。