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ロンドンから徒然に

ギャップ

2018-09-27 | Weblog
いつも利用している駅から電車に乗ろうとしたら駅員に声をかけられた。
「ロンドンに行くのなら、今日は3番線を利用して」

僕の住所も(いわゆるGreater Londonではなく)一応Londonなんだけれど、この地の住人は自分のところとセントラルを区別して、後者のみを「ロンドン」と呼び、その慌ただしさを敬遠する感がある。

でも、ロンドン(あ、「」付きのロンドンね)って確かに大都会ではあるけれど、しっかりした歴史の時間軸に支えられて、浮ついたところがなく、東京と比べたら随分落ち着いた街だな、というのが僕の最初の印象だった。それはどこか懐かしい京都にも通じるようなレトロとモダンの絶妙なバランス。

街の真ん中で車に混じって馬が見かけられるのもそんな例かな。警官がバイク代わりにまたがっていたり、老舗のデパートメントストアの商品配送用の馬車がこれまた古色蒼然とした服装の馭者に駆られていたり…

まぁ、しかし馬の例えでいうなら、僕の住んでいる場所は住宅の裏の草地にそれが放牧されているんだから、のどかさでは確かにセントラルに勝るかな(笑)



そののどかさの恩恵の反面、東京や「(セントラル)ロンドン」に住んでいた時と違って、情報を“体感”できなくなっている。
それは対象になる実物がその場にあるという直接的な意味だけじゃなく、何と言えばいいのかな、人と接しても、モノを観察しても、相互に敏感に反応し合うようなぴりぴりした空気感みたいなもの。
そういった環境から全く遠いところにいて、時間に流されているような浮遊感の中で暮らしている。

しかし一方であらゆる情報が、新聞やTVの比ではないほどの早さ(&速さ)と膨大な量でインターネットを通じて容赦なく入ってくるのはどこにいても同じ。

そう、実はこのところずっとこのギャップの大きさに悩まされていた。
自分の目で見て、感じて、表現する(なんて言うと大げさだけれど)という当たり前のことをずっとやってきたつもりで、それはこのブログでも同じことだったのに、つい今自分の頭に浮かんだこの感覚、この考え方に自分のものとしての体感が付いていかない。自分が晒そうとしているものに、どうにもしっかりした裏打ち感がなくて、人前に出すのをためらってしまう。

……なんてね(笑)。そんなつまらないことでうだうだして、このブログもさぼってました。心配してくれた方々、ありがとう。僕は元気です。

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