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ロンドンから徒然に

今年も桜

2018-04-03 | 旅・イベント
「知る人ぞ知る」とか「隠れ家」とかという言葉にリアリティがあったのは20年くらい前までだろう。今やごくマイナーな情報もネットを通じてあっという間に広まってしまう。

花見の名所もそう。昔はご近所の人々に開放していたローカルな場所も、今はいつの間にか有料の観光名所になっていたりする。外国人観光客の多さにも驚く。情報(発信か受信か)力がすごいな。

もう散っているんじゃないかと心配しながらの里帰りだったけれど、ともかく昨年に続いて今年も京都での花見が何とか楽しめて良かった!





パガニーニのカノン

2017-09-29 | 旅・イベント
Cristoforo Colombo……ロンドンから2時間ほどでジェノヴァに降り立つと目に入ってくる空港名。片仮名表記するとクリストーフォロ・コロンボとなるけれど、やっぱりイタリア語だとこの人物の名前はピンと来ないかも。
そう、クリストファー・コロンブスの方が世間的には通りの良い名前だよね。何しろアメリカ大陸「発見」者として有名なので、スペイン人だと思っている人も多いのでは。

ついでにジェノヴァ出身の有名人は…と調べてみると、建築家のレンツォ・ピアノ(パリのポンピドゥー・センター)、映画監督のピエトロ・ジェルミ(鉄道員)など、割と最近の人は目に付くものの、昔の人物はどうにも地味で知らない人が多い。

そんな中で目に入ってきたのがパガニーニ。そう、超絶技巧奏者として知られたヴァイオリニスト。生誕が1782年、没年が1840年だから、当然その演奏を彼自身の録音で聴くことは不可能なわけだけれど、何しろその尋常でない演奏力の理由が「悪魔に魂を売り渡したため」と本気で信じられていたくらいだから、その凄さが分かろうかというもの。

ところで、このパガニーニ、逸話には事欠かないものの、天才アーティストに似つかわしくない、金銭に執着する俗っぽい話が多くを占める。
曰く、人気が上がってきたら演奏会のチケットを高額にした、偽造チケットを防ぐために自ら会場入口でチェックした、自作管理にも熱心で、盗作を防ぐためオーケストラに自作のパート譜を配るのは演奏会の直前、しかもそれを終演後に回収した、さらには自分のパートはリハーサル時にも聴かせず、演奏会当日に披露した、etc. …

それに、有形無形問わず所有欲も強かったのか、死期が近づくと楽譜を焼却してしまったという。何だか収集した美術品を燃やそうとしたコレクターを思い出させるような話だ。ではもしかして、と恐れた人もいるかもしれない。彼の愛器である有名なヴァイオリン「カノン」。

ご心配なく。こちらはちゃんとジェノヴァ市内の博物館で保存されている。但し、遺言で他人に演奏させないことを条件に寄贈したというから徹底している。
しかしながら、楽器好きな人はご存じのように、定期的な演奏をしないとせっかくの名器もダメになってしまう。当然市もそう判断し、遺言を無視する形でメンテを兼ねて演奏家に貸与しているという。

せっかくのジェノヴァ滞在、僕もカノンが展示されている部屋を訪ねてみた。ここだけは扉がきっちり閉められて空調が施され、その中央近くにカノンは鎮座していた。
部屋には他に一組のカップルだけだったが、どうも僕の向かいにいるその青年のカノンへの熱心な視線から、演奏家というよりは制作者なのかなと思えた。対照的にアジア系のガールフレンドは楽器には目も向けず、退屈そうにベンチでモバイルを探っていたが(笑)



さて、そのパガニーニの曲を、今Spotifyで聴きながらこれを書いている。さらに探ってみると、楽譜も簡単にダウンロードできる。本当に便利な時代になったものだ。
こんな時代に生まれていたら、彼も著作権の管理などに自ら神経を使う必要もなく、もっと作曲や演奏に従事できて、たくさんの名作を生み出していたかな。
いや、商才を活かして、もっと金になるロックやポップスに走り、超絶技巧ギタリストなんて呼ばれていたかも(笑)そう言えばあの長身・長髪の風貌を現代風にすればロック・ミュージシャンに見えなくもない。


父娘の写真

2017-09-04 | 旅・イベント
かろうじて20度を保っていた「最高」気温も今週はそれさえも切ってしまう予報で、とうとうロンドンの夏はやって来ないまま終わってしまう。
この冷夏を予測していたからというわけではないけれど、早くからプランを立てて夏休みはイタリアで過ごした。

こちらは逆にロンドンを発つ前までなんと40度に到達する酷暑との予報もあった。いくら暑さを求めている(?)とはいえ、さすがにそれも度を超している。
しかしながら、結果的にはうまく気温も丁度良いところ(27〜28度)で落ち着き、おまけに滞在当初に予測された雨からもうまく逃れることが出来た。

旧知の友人達からまた「似合わない」と失笑されるのを承知で敢えて言うと……今回はビーチに滞在した。
海辺に面した古いアパートメントを借りて、毎日海で泳いだのだが、これが実に気持ち良い。塩水につかる浮遊感を味わったのは何十年ぶりのことだろう。

昼も夜も主に魚料理を楽しんだ。素材が新鮮なためかシンプルなフリットなどでもとても美味しい。地元のお酒も素晴らしく、久しぶりに美味しい白ワイン(アロマティックでミネラル感のある蜂蜜色)を堪能した。

パソコンは持参したものの、WiFiが随分昔の設備。WEBサイトの静止画を表示するだけでも一体何分かかるんだといった遅さで、もう動画なんてとんでもない。メールを受けるのにも苦労し、開き直って親友以外には返事も出さずに放っておいた。ある意味これものどかな毎日を過ごせた一因だったのかもしれない。

……そう、こんな風にごくごく世俗的な毎日だったわけ。




で、ある日、朝から泳ぐにはちょっと天候の落ち着かない強風の日だったこともあって、新市街と旧市街の間にある険しい山に登ってみた。
登る最中にも雲の動きが激しい。今にも一雨来そうな重たい灰色が、前日の碧さとは全く違うこれまた灰色の強い波と相俟って気分を重くさせる。




ところが中腹にある教会まで来ると一転青空が覗く。都合よく受け止めて祝福されたことにしよう。
裏手に回ってみると、そこは墓地。と言っても、いわゆるお墓のマンションみたいなもの。縦横に区分けされたスペースに棺が収まる。こちらを向いたわずかな面積に顔写真があり、生年月日と没年月日が記されている。



ふと見ると、父親の写真の横に小さな女の子の写真がある。年齢を計算すると3歳そこそこだ。
あっ、と思ったのは両者の亡くなった日を確認した時。同じ日じゃないか。しかも終戦間際の年。
後で調べてみたら、やっぱりこの地はかつて連合軍による爆撃に遭っている。

こんな小さな田舎の村さえ否応なしに巻き込んでしまう戦争。
きな臭さの増す昨今のニュースに触れながら、あの時に見た父娘の写真がふと浮かんだ。

20年ぶりのエディンバラ

2017-06-30 | 旅・イベント
先日一週間ほど旅をした。
諸事情から(と言ってもたいした理由ではないんだけれど)街の中心部からは離れた宿泊先。30分に1本の電車を捕まえるのも煩わしく、あまり時間を気にせずのんびりと、朝はプールで泳ぎ、夜はビーチ沿いのカフェで食事……
なんて書くと、一体どこの南国での優雅な出来事かと思われそうだけれど、実はこれがロンドンより遙かに北のスコットランドはエディンバラ。

ともかくそういうわけで、“観光”のための街歩きは2日間程度だけ。しかしながら、名所がコンパクトに凝縮された街並みのおかげで、目的なしにぶらぶらしても、主立ったところにはぶつかる。近頃は特に事前情報収集を怠りがちなもので、後から「あぁ、あれが」。







実はエディンバラはこれが2回目。とはいえ、最初に訪れたのが20年以上前。自分の中でしっかり記憶していたつもりの映像も、どうやらその長い期間に自分で創り上げたものなのか、どこにも見当たらない。それとも街自体が変わってしまったのか。
まぁ、仕方ない。20年と言えばそれなりの歳月だ。無くなるものもあれば、新たに生まれるものもある。

エディンバラでこの間に生み出された最高の財産はもしかして『ハリー・ポッター』じゃないだろうか。
シリーズ第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』が発売されたのが20年前。作者のJ.K.ローリングがそれを執筆した場所として有名になったThe Elephant Houseも今やエディンバラの観光名所に。ここも何度か通りかかったんだけれど、時間帯によっては店の外に長い列が出来ていた。

それにしても、全世界での売上4億5,000万冊!何だか桁が違い過ぎてイメージ出来ない。印税は幾らになるんだろう。
その初版がわずか500部。これ昔チェルシーの古本屋で見つけたことがあるな。あの時買っておけば今頃幾らになっているだろう。
……あ、ダメだ。せっかくエディンバラで澄んだ気持ちになったのに、また俗っぽいこと考えてる。

ヘルシンキで、ふと...

2017-04-20 | 旅・イベント
今月上旬日本に一時帰国した。数えてみたら1年4か月ぶり。渡英以来こんなに間が空いたのは初めてだ。春の帰国というのも久しぶりな気がする。
この時期の旅行でいつも困るのが服装。「暑さ寒さも彼岸まで」を信じるならば軽装で済むのだけれど、今年の日本は例年よりも寒さを引きずっていると聞き(それはイギリスも同じ)、用心のためスーツケースの中身を増やした。
おまけに諸事情から日本を目指す前に初めてのヘルシンキに一泊することになり、天気予報を見ると最低気温がマイナス2度で雪の予報。これじゃ冬のコートまで必要になってしまう。

さてヘルシンキへ向かう当日。朝早い出発のためにわざわざ空港近くにホテルまで取って備えたというのに、肝心のフライトは2時間の遅れ。さらにイギリスとフィンランドには2時間の時差があることに到着後気付いた(これまで何度か訪れたスウェーデン、デンマークは1時間だった)。
ということで、ホテルに着くともう夕方。お昼もまともに食べていないので、早めの夕食にすることにしよう。(話は逸れるが、北欧のホテルはどこもインテリアのデザインなんかさすがに凝っている)
食事は旅の楽しみのひとつだけれど、フランス人なんかに言わせるとフィンランド料理は最低ということになるので、少々不安にもなる。でも、なんのなんの、魚料理専門店で食べたサーモン・スープとニシンのフライは、素朴ながらも最高に美味かった。



翌朝は目的もなしに市内を散策。石畳のこぢんまりした街なので徒歩が楽しい。しかしながら問題はその寒さ。ところどころに雪は残っているし、海には氷が張っている。おお、冷たそう!
すると、そこに現れたのが水着姿(!)の男女。えっ?えっ?と思っているうちに、その氷の海へドボン。驚いて周りを見渡すと、そこにサウナと思しき施設が。さすが本場。話しかけたら君もどうだと誘われたけれど、いえいえ、もう見ているだけで...




それにしても市内でよく見かける日本人女性達(やや年配?の方が多い)。ヘルシンキがこんなに日本人に人気だとは知らなかった。
….と、思いきや、地元の人にスケートを観に来たのかと尋ねられて気がついた。羽生君の出場する世界フィギュアスケート選手権の開催期間中だったんだ。多分この人達のおかげで何割増しかにはなっているんだろう。
それにしても、彼目当てでこんなところまでやってくることが出来るなんて、その情熱を(皮肉でなく)本当に羨ましく感じる。

そう言えば、ここ数年何かに夢中になるということからすっかり離れてしまっているなぁ。若い頃は自分でコントロール出来ない感情がすごく邪魔で辛かったのに、いざそういう欲が枯れて(?)しまうと寂しいものだな。
今から何かを追いかけることってできるんだろうか...

今年の夏休み

2016-08-20 | 旅・イベント
日本からの便りに見る残暑の厳しささえ羨ましいくらい(なんて言うと叱られそうだけれど)今年のロンドンは冷夏で、7月、8月でも最高気温が22〜23度くらいまでしか上がらない日が殆ど。
だからというわけでもないけれど、夏休みの滞在先に選んだのはバルセロナ。でも、こちらも今年は期待したほどの(?)暑さではなく、割と過ごし易い日々だった。

バルセロナはけっこう頻繁に訪れてしまう好きな街。海あり丘ありの自然環境、迷路のような旧市街に対比するように理路整然と区切られた新市街、様々な観光名所にも事欠かず、安くて美味い食事とワインで食欲を満たした後は、個性ある美術館や博物館で知的欲求さえ埋められる。
そんなわけでつい強い陽射しの中をあくせくと歩き回ってしまう。一般的なヨーロッパ人のように何もせずにのんびりするバカンスに頭では憧れながら、未だに実行できていない。

何と言っても欠かせないのはガウディの建築群。毎回気付かなかった新しい発見に驚いてしまう。サグラダファミリアに至っては、建築自体が進行中なわけだから、文字通り物理的に初めて見る箇所があって飽きることがない。
最初にここを訪れた25年以上も前(既に四半世紀も経った!)には東西のファサードだけ、だからもちろん屋根もなければ南北の壁もなく、外から素通し、地面の土は剝き出しで、散らばった建築資材の中を怪我しないように注意しながら歩いたことを思うと、現在の荘厳な内部の様子がことさらに感慨深い。





西側のステンドグラスを通り抜けた光線が落とす幻想的な暖色空間に包まれていると、次回は午前中に訪れて、東側の対象的な寒色系の中に身を置いてみたいと願ってしまう。その頃には又新たな建築箇所を幾つも見ることができるに違いない。

そんな変化を確信できるくらい、この何年かの進行状態は目覚ましいものがある。僕が初めてここを訪れた頃、この遠大なプロジェクトが完了するのは200年後とも300年後とも言われていた。それが今ではガウディ没後100周年に当たる2026年には完成すると言う。

2026年!10年後じゃないか!
完成後の姿を見ることができるかもしれないという希望が生まれてきた反面、見果てぬ夢に触れているという茫洋とした喜びが綻んだ気もしている。我ながら勝手だな(笑)

Bregret

2016-06-28 | 旅・イベント
僕の周りのイギリス人の友人は、知る限りでは全部がEU残留に投票していたので、今回の結果には非常に失望しています。
ところが投票日以降の状況に失望しているのは残留支持派だけではなく、離脱に投票した人達の中にも存在するようです。

ポンドの貨幣価値は下がり、株価は下がり、UKの格付けは下がり、etc….の誰もが予想してしかるべきことも、実際目の当たりにすると、それらの自分達への影響の実感におののくみたいです。
さらには投票前に離脱派が約束した「薔薇色の未来」の公約の責任を誰も取ろうとせず、自分達は言っていない、などと逃げる政治家が増えているんです。
なので、できればもう一度投票をやり直したいと後悔する人達も出て来ており、BrexitをもじってBregret(Britain + Regret:後悔する)なんて見出しが新聞にも見られるようになりました。



国民投票の結果が出た当日の報道では他の国の反EU派が勢いづいているということでしたので、その意味で2日後に行われたスペインの出直し総選挙に注目しました。
しかし、この2日間という日数はイギリスの混乱を冷静に眺めて自国のことに置き換えるには十分だったみたいで、勢いを強めていた反EUの急進左派は結局伸び悩んでいます。

投票には「想像力」が必要ですよね。
イギリスの国民投票では、あれだけ互いの主張が明確にされ、討論会やインタビューが頻繁に開かれてTVでも放映され、考える機会が与えられても、実際にその結果がこうして見えてこないと実感できない人達が現に存在し、自分達の投票を後悔している人達がたくさんいるわけです。

ましてや、都合が悪くなると公約も反故にし、公開討論の場も少なく、争点が曖昧にされたまま行われるどこかの国の選挙では、その結果がどうなるかの想像力をフルに働かせないと、いつの間にかこんなはずではなかった、という後悔をすることになりそうで怖いです。
今度は僕にも選挙権があります。

Brexit

2016-06-26 | 旅・イベント
ご存じのように(いや、意外なことに?)イギリスでは未だに階級意識が根強く残っています。上流階級、中流階級(これがさらにUpper、Middle、Lowerに細分化)、そして労働者階級。
ただ、上手く説明するのは難しいのですが、これが必ずしも身分の上下みたいな差別を生んでいるわけではなく、下の層が劣等感を持っているというわけでもなく、むしろ生活信条のアイデンティティみたいな括りになっています。なので、それぞれの階級は「その中で居心地良く」過ごせれば構わないわけで、労働者階級の成功者が上の層の真似事をすることもありません。

ただ、それもこれも社会がそれで上手く動いていく環境にあればこそで、自分達のこれまでの仕事のやり方に規制が入る(しかも自らが選挙で選んだわけでもない高給取りのEU官僚達がそれを決定する)、他の国の英語も喋れない人間が自分達の職を奪う(しかも自分達の払った税金の中から、彼等の国に住む家族の手当てまでも支給される)となると、労働者階級には大きな不満も生じ、逆にそれらの移民の安い労働力を上手く利用している中流階級との間に、これまでとは異なる種類の大きな溝が出来てしまいます。

こういったグローバル化の恩恵による差を別角度から眺めると、それは大都市居住者と地方居住者、あるいは若年層と高齢者層との間の亀裂と言えるかもしれません。今回のEU離脱の国民投票はその溝の深さを一層くっきりとさせてしまった気がします。
統計で見てみると、大都市の最たるロンドンではEU残留支持が60%近くを占め(この春まで僕の住んでいたLambeth地区なんて78.6%!)、また年齢別の数字では18〜24歳の73%、25〜34歳の62%、35〜44歳の52%が残留を希望しており、大都市の住民ほど、また若い層ほど、国のトータルの結果とは逆に残留を支持していることが分かります(ちなみに65歳以上では離脱支持が60%)。
直接大学入学や就職の影響を受ける若者達(ちなみに以前から引き下げる話は出ているものの今のところ16歳、17歳には選挙権はありません)が「老人達が僕らの未来を奪った」と嘆くのも分からなくはありません。



本当に離脱派がここまで深刻な事態を分かった上で投票したのかは疑問ですが、彼等への非難を、単純にノスタルジーや嫌移民等の感情論と見なして、経済論などで理を押しつけようとした一部の残留派の態度も(それは海外の要人も含めて)かえって反発を招く結果になったのではないかと思います。

こういった中で現在、ロンドンのみの独立や、国民投票のやり直しを求める声、離脱を中止させる国会決議を図る、などの動きが出て来ています。
これらはともかくとしても、今回残留支持が圧倒的に多かったスコットランド(62%)の独立のための再国民投票はかなりリアリティを帯びてきており、もしこれが実現したりするとイギリスは更なる分断に向かうことになります。
残留支持の旗振り役だったキャメロン首相は既に辞任表明しており、これからのイギリスの舵取りを勤めることのできる真のリーダーが誰になるのか、それは一国の問題のみならず世界の関心事でもあります。

もしかしたら今すごい歴史の1ページに身を置いているのかもしれないという気がします。

Scaremonger

2016-06-23 | 旅・イベント
6月23日。イギリスにとって(というか世界的に)歴史的な一日になるかもしれない国民投票の日は、よりによって道路が冠水するほどの地域も出る悪天候で始まりました。
通常ならば投票率に悪影響が出るんでしょうが、おそらく今回に限ってはそういうこともないだろうと思わせるくらいの熱気で、事実早朝から長い列の投票所もあったみたいです。



この数ヶ月、この日に向けてEU残留派、離脱派双方ともそれぞれの主張を打ち出して激しい運動が繰り広げられました。
経済、移民、規制、etc…様々な問題が色んな言葉で語られましたが、ごく大雑把な個人的な感想を言うと、グローバル化の恩恵を受けている側とそうでない側が、その原因を都合の良い理屈に無理矢理押し込めて、そこに感情論をまぶしている、といったところです。

イギリスでは日本よりもずっと多く討論の機会があり、TVで一般に放映されますが、それは互いのディベートであったり、一般の参加者からの質問であったりするわけです。
その中で一般人から双方への批判の中で頻繁に使われた言葉がありました。
Scaremonger
英和辞典の訳だと「デマを飛ばす人」となるので、そのニュアンスまで伝わりにくいですが、英英辞典でもう少し詳しく見ると「a person who spreads stories deliberately to make people frightened or nervous」と書いてあり、語頭のscare(おびえさせる)の要素が分かるかと思います。

そうなんです。両陣営とも、離脱した場合(e.g.経済的な破綻が来るぞ、税金の徴収額が上がるぞ)、残留した場合(e.g.さらに厳しいEUからのがんじがらめの規制を受けるぞ、将来の加入国と見なされるトルコからの移民が溢れるぞ)の恐怖感を煽る手法で、さらにはそれを裏付ける数字等には誇張された嘘も存在する、といった、ちょっと後味の悪い内容の討論会も中にはあったんです。

個人的に大きな影響を受けるにもかかわらず、もちろん僕らは「国民」ではないので投票権はなく、固唾を呑んで見守るしかありません。
どちらの結果になっても、この数ヶ月間で大きく分断された感もある国民感情がこの後のイギリスの動きに災いを呼ばないように祈っています。

あけましておめでとうございます!

2016-01-02 | 旅・イベント
季節の変わり目というのは何となく肌で感じ取るもので、その意味で冬の入口では、こりゃ今年(あ、もう昨年のことですが)の冬は厳しそうだぞというのが実感でした。逆の見方をすればホワイトクリスマスみたいなロマンティックなシーンも期待できたわけですが。

ところが実際は拍子抜けするくらいの暖冬で、今年…いやいや「昨年」末最後の日本出張の折には(そう、また少しだけ帰っていたんです)こちらも暖冬と言われている日本の方がむしろ寒かったくらいです。

でも、それはおそらく恒例の年明けカウントダウンの花火大会を待つ人達には好都合だったでしょう。

これ、丁度ミレニアムの年に僕自身旅行者として現地で経験したんですが、何しろテムズからの川風がきつくて、皆酒を持参しているのは、決して年明けの瞬間のためだけではないなというのに気付いて悔やんだ経験があります。(もっとも、あまりに惨めに見えたのか、横にいた人がグラスを恵んでくれたのでちょっとだけ暖を取れたのですが。)

ともかく、それからも人気は年々高まって、数時間前からそれこそ何十万人もの人達が押し寄せるため、警察の方でも警備しきれなくなり、昨年から観覧の場所は有料の予約制になりました。

これがチケット代わりのリストバンド。


僕は現地に近いところに住んでいるため無料で配布があったんですが、住人でも午後5時以降はこれがないと自由に移動ができません。
実は大晦日の夕方から、今年(だから違うって、「昨年」。どうもこの期間は時間軸が難しい)最後の映画を観に出かけて、戻ってきたのが午後11時過ぎ。もう駅からの道のあちこちがブロックされて、おまけに今年はテロへの警戒もあって身体チェックが厳しく、本来だったら10分ほどの道のりを何倍もの時間をかけて帰ることになりました。

幸い花火のスタートには間に合って、部屋から観覧。この角度の景色も今年が最後かと思うと感慨深いものがありました。


そう、もうすぐ引越なんですよ。同じロンドン市内でもまるっきり環境の違うところ。今年は(あぁやっと今度はこれで正しい)色んな意味で変化の多い年になりそうです。日本に戻る頻度も今までよりは減りそうですが、これからもよろしくお願いします。

では、最後に改めて
あけましておめでとうございます!