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ロンドンから徒然に

モノクロの思い出

2011-09-30 | 旅・イベント
 古い資料に目を通す必要があって、随分昔のハードディスクを繋いでみたら、懐かしい写真が色々と出てきて、ついついそちらを眺めてしまいました。
 そのひとつがイスタンブールを旅した時のもの。

 当時はカメラに凝っていて、白黒のフィルムで撮ったものなんですが、何故か後日何枚かスキャンしてハードディスクに残していたみたいです。

 旧式のレンジファインダーのカメラを使っていたので、ズームインもズームアウトも出来ず、被写体に合わせて自分の身体を寄せるか引くかしかなく、当時人物描写に興味のあった僕は、本当は旅人が立ち入ってはいけないかもしれない場所も含めて、地元の人や子供達に近づいてはシャッターを押して、ついでに身振り手振りの“会話”で仲良くなったりもしました。







 ホテルの横のモスクからは、夜が明けるかどうかという早朝から拡声器を通した大音量のコラーンの朗読が響き、しかしそれにもすぐに慣れてしまい、平気で寝ているという自分の逞しさも今となっては懐かしい気がします。

 人に話すのも恥ずかしいような大失敗ばかりの旅や、後から考えたらよく死なずに戻ってこられたといった危ない経験もし、また逆に人の親切に触れて泣きそうになったこともありますが、そういう旅は何故か写真のようにリアルでなく、脳裏にとても抽象的な画像で残っています。“心象のレンズ”というのはまた別に存在しているみたいです。

電気にガスに...

2011-09-29 | 日常
 友人のうちを訪ねると、彼が何だかうんざりした顔でパソコンに向き合っていました。
 「昔はね、長年付き合いのあるカスタマーに値引きとかのサービスがあったものなんだけど、最近はそうとは限らないので、時々こうやってどこの料金が一番安いかをチェックしなければならないんだよ。」

 彼の言っているのは電気代とガス代の話です。こちらでは私有化からこっち、色んな会社が乱立している上に、ひとつの会社が電気もガスも供給するんです。例えばBritish Gasが電気も供給しますし、Southern Electricがガスも供給します。
 各社何とか顧客を取ろうと,色んな料金体系やサービスを用意して構えるんですが、契約期間やら何やらで分かりにくいのはいずこも同じみたいです。

 でもまぁ、どこかの国みたいに、発電も供給もほぼ独占体制になっていても、別の問題は起きますしね。

 夕食の後、恒例の夜の散歩に出かけると、Natural History Museumがいつもの照明と違って真っ赤に染まっていました。何事かと見ていたら、どうやら携帯会社のイベントみたいです。こちらも競争が激しいのは同じ状況みたいです。



 ブロードバンドもそうですね。
 でも、この遅い速度は何とかして欲しい!引っ越してから、うちではわずか5MBの速度で、動画再生さえ不自由な思いをしています。そのうち大家の許可を得て光ケーブルでも通そうと思っています。
 でも古い建物だとこれまた色々制約があるんだろうなぁ。でもまぁ、これもロンドン。築100年なんてのがざらですからねぇ。

謎の配管

2011-09-28 | 旅・イベント
 僕が昔住んでいた京都の家の近くには、よく時代劇のロケに使われる小さな通りがありました。
 石畳の道や木造の古い家の佇まいが、古き良き時代を醸し出していたのでしょうが、実はもうひとつ理由があります。ここには電信柱が(したがって電線も)ないのです。

 今の時代、コンピューターを駆使すれば電線を消すことぐらい簡単なのでしょうが、それにしてもコストのかかることには違いありません。初めから映り込みがないのなら、それに越したことはないでしょう。
 ロンドンで電線を見ることはあまりありません。少し離れた地域では見なくもないのですが、大抵のところは地下に潜っているみたいです。

 ところで、ベルリンの街を歩いていると、直径30cmもあろうかというピンクのパイプを見かけます。
 水道管?ガス管?いや、違うなぁ(そんなものを地表に出さないですよね)。何だろうと気に掛けながらいつも聞きそびれていました。




 で、今回そのピンクのパイプが見えるカフェに入った時に店の従業員に訊いてみました。あまり英語のできる女性ではなくて、いまいち要領を得なかったのですが、工事の際に設置される配水管だとのことです。



 ベルリンが実は海に近い海抜ゼロの地域にあるために、工事で地下を掘ると必ずと言っていいほど地下水が湧き出てくるらしいのです。それの排水のための設備がこれみたいです。

 それにしても、この街で見るとこういった設備でさえ、コンテンポラリー・アートに見えてしまうから不思議です。

クラシックとコンテンポラリーの対比~Twombly and Poussin

2011-09-27 | アート
 昨日書いたAPOCALYPSEは始まったばかりの展覧会なのですが、チェックしていたら終了間近のものもあることに気付きました。
 以前から気になっていたものの、つい行きそびれていたので、最終日の日曜日に出かけることにしました。

 この美術館に行く時は本当にちょっと旅をしている気分になります。以前も書いたことのあるDulwich Picture Galleryです(2009年4月6日&7日、2010年4月25日)。
 何しろここは“Village(村)”ですからねぇ。ロンドンの中心部とは全然雰囲気が違います。(とは言え、大きくて高そうな家があちこちに見られますが)




 さて、その展覧会というのが“Twombly and Poussin : Arcadian Painters”。
 バロック全盛期の17世紀に活躍したニコラ・プッサン Nicolas Poussinは、しかしバロックの特徴である激しい感情表現とは一線を画した、むしろ古典主義的な表現の多い画家です。
 かたや、今年の夏に亡くなったサイ・トゥオンブリー Cy Twomblyはコンテンポラリーの画家。無彩色の厚塗りやカリグラフィックな抽象画です。



 フランス人でありながらローマで活躍したプッサンと、同じくアメリカ人でありながらローマに定住したトゥオンブリー。実はトゥオンブリーはプッサンを敬愛してやまず、同じテーマでたくさんの作品を仕上げています。
 この同テーマの作品を一緒に展示するというのが、今回の展覧会の特徴です。

 以前ピカソとマチスの作品の類似性に着目した、Tate Modernでの素晴らしい展覧会がありました。
 この時は素人目にも“似ている”のに納得して感心したものですが、さて画風が水と油ほど違うトゥオンブリーとプッサン。おまけにその世代差は3世紀にも渡ってしまいます。「こじつけっぽくないか?」と思わず独り言で茶々を入れてみたくなるコーナーもありましたが(笑)、面白い試みには違いありません。

 最後の部屋にそれぞれが同年代の時に仕上げたという、大作の“Four Seasons”が展示されていたのですが、残念ながらプッサンの作品は小さなコピーでしか見られませんでした。
 それに、この美術感はもちろん素晴らしい空間なんですが、如何せん連作の大きな作品を鑑賞するには少しスペースが足りないような気も。

 イギリスにいると様々な展覧会で思うことですが、企画が面白いですね。確かな知識と教養に裏打ちされているので、厭味がなく、色んな発見に満ちていて楽しいです。(いや、もちろん中にはひどいのもありますが)
 僕もプランナーとしていつか美術館の展覧会を企画してみたくて、実際ひとつ漠然としたアイデアはあるのですが……無理かなぁ、やっぱり。

APOCALYPSE ~ ジョン・マーティン

2011-09-26 | アート
 夏の間あれだけ寒かったのに、皮肉なことに9月に入ってからはとても暖かな日が続いています。ネットや新聞でもインディアン・サマーの文字が躍っており、皆失った夏を取り戻そうとはしゃいでいる感じさえします。この気候、どうも10月に入っても続きそうな気配です。(もっともこの冬は厳寒だとの予報も出ていますが。)



 まぁしかし気分はだんだんと芸術の秋。美術館でも新しいプログラムが目白押しになってきました。そこで、とりあえずTate Britainから始めることに。
 この21日から始まったばかりの展覧会のタイトルは「APOCALYPSE」。
 物騒なタイトルですが、19世紀に活躍したイギリス人画家John Martinの作品を集めてのものです。



 彼の評価には浮き沈みがあり、絶大な人気にもかかわらず、いやそれ故に、批評家からは大衆に媚びた作品と批判されたこともあったようですが、近年はきちんと再評価されています。
 また浮き沈みは経済的な面も同様で、版画出版の成功で得た富を後年殆ど失って破産同然となっています。

 実はその理由というのが変わっていて、ロンドンの水道や下水道の改良による都市計画に巨費を注いでしまったからなんです。そのプランも規模が壮大過ぎて実現には至らなかったみたいです。
 多彩な才能のある人のこうした悲劇にはいつも心が痛みます。

 こうして忘れられた存在になっていた彼が、最後に取り組んだ大作が「The “Last Judgement”Triptych(“審判”三部作)」と呼ばれる油彩3点です。
 「The Last Judgement(最後の審判)」、「The Great Day of His Wrath(神の大いなる怒りの日)」、「The Plains of Heaven(天国の平原)」。この3作が今回の展覧会の目玉と言えるでしょう。

 Tate側も工夫を凝らして、今回特別な演出を試みています。
 これらの絵があるRoom 5を30分おきに暗くして、サウンドとライティングを用いた上に、かなりドラマティックなナレーションを添えて、さながら映画上映のような空間にしてしまうのです。
 下手したら臭くなりかねないベタな演出ですが、今回ばかりはそのくらい大げさな方が合っていると感じるくらいのスケールの大きな作品でした。

 来年1月15日まで開催されています。

人気の競技

2011-09-25 | スポーツ
 昨日書いた修理人のひとりは前日からロンドンを離れていて、彼が訪ねてくる予定は当初夕方6時半だったんです。
 ところが当日の朝に電話があって、それを2時半に変更してくれと。彼の話によると、フットボールの人気チームの試合があるので(おそらくチェルシーを指しているんだと思います)、夕方にはとんでもない渋滞が予想されるからとのこと。

 そう。こちらでのフットボール(サッカーのことですよ)の人気は凄まじいです。おまけに開場前から近くのパブで一旦盛り上がるので、早くから詰めかけるんでしょうね。

 ロンドンはいよいよ来年オリンピックを迎えます。一番盛り上がる競技は何なんでしょう?
 日本だとけっこうメインになるマラソンなんか、あまりスポットが当たっているようには感じないし…
 そうだ、意外と人気があるのが自転車競技。ポスターなんかでもよく見るし、街頭での競技となるとけっこう人が集まります。

 先週末もメインの通りを通行止めにしてレースが行われていました。歩行者としても、思い通りの方向に移動できないのは不便でしたが、車の規制で心なしか空気が澄んでいるような気が。




 考えてみたら自転車競技って、第1回のアテネ・オリンピックからずっと途切れることなく続いているんですよね。ちなみに他に同じく最初から続いているのは、体操、陸上、水泳、フェンシングしかありません。
 最近のスポーツの道具の進歩は目覚ましいものがあるのはご存じの通りですが、1896年当時の自転車なんて、どんな形のものだったんでしょうね。

 それにしても、開催される国によって行われる競技の内容が決まるというのは、実際に真剣に競技に取り組んでいるスポーツマンにとっては納得いかないことなんじゃないかと思います。フットボールが騒がれる一方で、日本の得意な野球とソフトボールを来年は見ることができませんし。
 せめてこのままフットボールの男女両チームが活躍することを祈っています。

 もしイギリスのチームが出場することになったら、応援のノリはどんな感じなんでしょう?まさかパブで飲んでからということは……やっぱりありかな。

いつまで続く問題やら

2011-09-24 | 日常
 引っ越しに伴うバタバタがずっと続いていましたが、ようやく落ち着きそうです。いや、正確にはもう2点残っているんですが、これらは普通に生活するのにそう影響はなさそうなので、遅れもまぁよしと考えましょう。
 それにしてもひとつひとつ挙げたらここに書ききれないくらい問題があって、日本のサービスの水準と比べたらきっと皆驚くと思います。それがイギリス水準と割り切らないとここでは生きていけませんが。

 そのひとつ、シャワーの問題。お湯が出なくて次々と修理人が送り込まれるのですが、来る度に推測された原因と違うことが判明し、直るまでに結局2週間。その間に4人(アシスタントを入れると5人)が次々と我が家を訪れました。

 多分電気回線の問題だろうと、もう使わない前提でベッドを押しつけてしまったコンセントの辺りをいじったり、地下の部屋の住人と話を付けてそこにある機械を触ったり、水圧の問題だろうと水道局と交渉したり、バスタブの横にあるポンプを触ったり……まぁ何とかフィックスできました。

 でも、この修理の際にバスタブを囲った板が外され、その際にせっかく新たにペイントされた部分が剥がれたり、タイルが一部割れたり…でもこの修理のためにまた違う人が派遣されるのもなぁ…

 なんて思っていたら、今度はリフト(エレベーターのことです)が故障。2日間様子を見ても誰も修理を手配する様子がないので、結局僕が管理会社の電話番号を調べて依頼することに。
 なんで引っ越してきたばかりの人間がこんなことまでしなければならないんだろう(苦笑)

 今回はイギリス人が多かったんですが、通常こういった修理の人ってけっこうEU圏の他の国の人が多いんです。で、英語が殆ど出来ないなんて人も。(まぁそう言う場合は大抵ペアかグループになっていて、そのうちのひとりは喋ることができるんですが)
 それでもEU圏内の国というだけで、ビザなしで住むこともできるし、こうやって働くこともできるし…何だか秋になると2年前や4年前のビザで苦しんだ時期を思い出して、何となく不公平だななんて感じてしまいます。

 さて、そのEU,ギリシャ問題を機に揺れていますねぇ。それにしてもこの問題が表面化してから、もう随分年月が経つと思いますが、未だに有効な解決策を見いだせないまま右往左往の感が。
 以前、経済が悪くなるのを懸念して、「日本のようになる」という表現があちこちの記事で使われていましたが、今回も政治家の決断と行動が遅いことを例えて同じように「日本みたい」と言われているんだとか。
 少しは良い見本としてJAPANの名前を聞きたいですね。

GREEN MIND from Fukushima ~ 秦 基博アコースティックライブ

2011-09-21 | 音楽
 秦 基博くん自主企画のGREEN MINDというライヴがあります。
 木があって(時々会場のセットに使われます)、森があって(ある時は屋外で催されます)、いやそんな細工はなくても、彼の原点であるアコースティック・ギター1本の弾き語りを中心にしたライヴからは、文字通り“みどり”の爽やかさや温もり、そして時に悲しみが感じ取れる、ナチュラルなライヴです。
 そこにはおそらく彼なりの自然環境に対する問題意識が存在するのでしょうが、決して大仰に構えたメッセージを投げたり、観客を“環境活動”といった敷居の高いエリアにいざなったりすることはありません。
 ライヴに参加した人達は、歌の持っているやさしさや強さに触れて、結果的に自然への(そして人への)思いやりを感じ取り、自らの環境に対する(そして大げさに言えば人生に対する)姿勢を問いただすことになると思うのです。
 それを自然体でやれるところに秦 基博というアーティストの偉大さを感じます。

 2011年。この年を振り返る時、決してあの東日本大震災の悲しみや痛みを避けては通ることができないと思います。この年に行うイベントの締め括りとして何を企画しようかと考えた時、心に浮かんだのが秦くんの存在です。
 「鋼と硝子でできた声」と評される、繊細かつ剛胆な彼の天性の声質。そして同様に、傷つく魂を描きながらもそこから踏み出して行く勇気を与えるソング・ライティング。さらには彼の飾らない、素直で真面目な人柄。それらが相俟って伝えられるパフォーマンスこそ、この年にあるべきイベントの姿だという思いに至りました。
 かつて歌に存在した暖かさと強さがこれほど求められる年はないんじゃないかと思っています。そしてそのことを今また信じさせてくれるアーティストが秦 基博だと感じています。

 あの悲惨な状況の直後には、誰もがボランティアだとか寄付だとかに邁進したと思います。でも本当に大切なのは、そういう一種の昂揚状態が落ち着いてからも続けることができるかということだと思います。そういう観点から、さり気なく、しかし参加した人が皆きちんと自分の内面に向き合うことのできるライヴを企画したいという願いがあります。
 GREEN MINDが示してくれた自然体の姿勢は、その意味でも僕の思いに合致します。必要以上に感傷的にならないよう“チャリティ”という言葉は前面に出さず、でもきちんとやれる範囲で冷静に支援に目を向ける、そんなライヴ。



 秦 基博と千趣会共同企画という形で“GREEN MIND from Fukushima”を12月17日(土)に、福島県いわき市芸術文化交流会館で開催することになりました。
 意識的に from を使ったのは、福島の地のみで完結させるというのでなくここから発信して行きたいという思いからです。事実その言葉通りに、USTREAMで全国、いや全世界に向けての同時中継を計画しています。
 そして、ライヴの収益金は、東日本大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付されます。

 只今この公演のチケット先行予約受付中です(9月21日正午から28日午後6時まで)。詳しくは下記をクリックして下さい。
 千趣会ベルメゾンネット特設ページ
 秦 基博オフィシャルホームページ

今年のOpen Houseは

2011-09-18 | 旅・イベント
 意外と観光客には知られていない秋のイベントにOPEN HOUSE LONDONがあります。
 文字通り、普段は見られない建物を一般に開放する(あるいは普段有料のところが無料で見られる)催しで、地元の住民にも人気があります。

 僕も毎年楽しみにしているんですが、何故だかこの時期は忙しいことが多く、事前に予約が必要な人気の建物をつい見逃してしまいます。
 それでも時間帯によってはキャンセルが出て、運良く入れたりすることもあるので、駄目元でトライしています。

 毎年地域を決め打ちして出かけているんですが、今年はWestminster地区に狙いを定めて…と言っても、殆ど下調べなしで、電車の中でリストを見る有様だったんですが。

 いつも外観はたくさんの観光客に晒されているHorse Guardsも、その建物の中に入る機会なって滅多にないですよね。こういったところがこのイベントの楽しみ。内部から外に溢れる観光客を眺めるといういつもと逆の光景です。
 列に並んでいると、丁度衛兵交代の時間に当たって、何だか観光客気分です。



 あとはこれまた普段僕らにはあまり縁のないお役所とかの固い場所。旅先では好奇心からよく訪ねるのに、地元では必要最小限のところしか行くことがないので、こんな機会にでも。
 ということで、Foreign Office & India Office、26 Whitehall and Admiralty House、Dover House (Office of the Secretary of State for Scotland)。そしてルーベンスの天井画で有名なBanqueting Houseなどを訪ねました。





 それにしても、こちらの建物を見ていると、やっぱり「骨組み」が太いなと感じます。それは人間も一緒で、列の目の前にいるイギリス人を見ても、何だか根本的な違いを見せられているようで…もっと鍛えなきゃ、なんて全然場違いのことを考えている僕でした。

アコースティック・ギター・ショー

2011-09-18 | 音楽
 皮肉なことに、先日のブログに夏が完璧に終わったと書いた途端、暖かな日が続いています。もっとも日本の残暑みたいに厳しい暑さではなく、むしろ穏やかで過ごしやすい日々です。

 となると、週末くらい終日あちこち出かけたいものなんですが、気になる仕事や引っ越したばかりの家の雑務が続いて、なかなか思うようなりません(とうとう今年も「夏休み」は取れそうにないな)。
 でも、まぁ少し前の余裕のない忙しさに比べれば楽なもので、時間を見つけて好きなことはやっています。

 このところさぼりがちで、少しずつここに載せるのが遅れてしまうんですが、先週末はロンドンで初めてのAcoustic Guitar Showが開かれました。

 ブースはブランドとショップによるものがメインでしたが、アメリカや日本のショーに比べたら、まだまだ規模は小さく、質もいまいちかな。でも、ともかく好きなアコースティック・ギターが展示されるし、ミュージシャンによる演奏もあるので、幸せな時間には違いありません。

 その他に講演会みたいなものがあって、僕が出かけた日曜日にはMartin社のDick Boak氏によるMartin Guitarの簡単な歴史が披露されました。
 面白かったのは、段々と開発されていくボディシェイプの違いに応じて、実際にそのボディのギターで音色を披露してくれること。しかもそれを弾くミュージシャンがJohn RenbournとStefan Grossmanというふたりの重鎮ということで、なかなか楽しめる催しでした。



 このふたりの演奏はオーソドックスながら素晴らしいものでしたが、驚いたのはRodney Braniganというギタリスト(いや、歌も歌うのですが)。
 何しろ2本のギターを同時に演奏するんです。これ、うまく説明しにくいんですが、オープンチューニングにした1本を足で支え、あるいは抱えたギターの上に乗せて、左手で1本を右手でもう1本を弾いたり、片方のギターを弾きながらもう片方を肘でヒッティングして音を出したり…
 決してアクロバティックな弾き方自体を見せ物にしているんではなく、色んなジャンルを上手く組み合わせたようなスリリングなオリジナリティがありました。また一度どこかでライヴを見てみたいものです。



 ギターの方も色々ありましたが、ブライトンの高級ギター・ショップのブースに展示されてあった日本人ルシアー(アメリカ在住)の松田倫宏氏のギターが印象的でした。
 松田氏はかつてErvin Somogyiの弟子だった方ですが、他のお弟子さんの作るギターが割とSomogyiのギターに似ているのに比べて、彼のギターは本当に独創的で、アメリカでも評判は高く、2万ドルを超す作品もあります。
 今回展示されていたSkunk(!)という名称のギターを見て下さい。一体どんな音色なんだろうと興味がわきますよね。試奏?いや、これまた高い値段だったことと、御本人がブースにおられたので、ちょっと気が引けてしまって…(笑)



 それやこれや楽しいひとときでした。もちろんギター買ったりはしていませんよ。普段高い弦がセール値段だったので少し余分に買っただけ。
 でもこのところ(というよりロンドンに渡って以来の4年間近く)あまりギター弾いていないもので、もう左指さえ柔らかくなってしまっています。弦を買いだめする必要もないのが、ちょっと寂しくもあります。