靉光(あいみつ)を知ってますか?もしそうだとしてもシュルレアリスムの画家としての彼ではないでしょうか?あるいは戦時中の圧力にも負けずに自己表現を貫いた抵抗の画家?彼のことを紹介する時に使われるそんな文章とはそぐわないイメージを、代表作のひとつである『眼のある風景』を見ても、僕は感じていました。
そして今日、ますますそれを確信しました。彼はただただ絵が好きで、そのために苦悩して、対象に没頭して、それがあのような表現になったのだと。
千鳥ヶ淵の桜が満開な中、東京国立近代美術館に行って来ました。生誕100年を記念して“靉光展”が昨日から開かれ、決して多くはない彼の遺作から、書簡を含めた約120点の作品と資料が展示されています。
おそらくは現存する最初期の作品である『父の像』(何と10歳の時に描かれています)、ルオーの画風に似た『コミサ』(妹を描いています)、ゴッホを思わせる『屋根の見える風景』と最初のコーナーは続き、その非凡な描写に圧倒されますが、ほぼ時系列に展示された作品群を追って行くと、同じ画家が描いたとは思われない画風の違いに戸惑います。と同時に、自分自身の画風を確立するために苦悩する彼の痛みも伝わって来て苦しいほどです。
クレヨンを溶かして描いた独特の“蝋画”の時代を経て(この時期の『編み物をする女』は大好きです)、ライオンを主題にした一連の作品の後、日本を代表するシュルレアリスムと言われる『眼のある風景』に行き着きます。
書き直しの後も構わずに、次から次に塗り重ねられたその迫力は凄まじい!ただ、ずっとこうやって他の作品を追って来た後にこれを見ると、やっぱり対象に迫って迫ってその結果がこのようになったんだという感想が強く、いわゆるシュルレアリスムとは一線を画しているように思えます。
しかし、こうしてやっと自分の画風を確立したかに思えた彼を戦争という波が襲います。抽象画に対する圧力の中でまた画風を変えざるをえなくなるのです。その中で結成された“新人画会”からの作品群の後、最後のコーナーに並べてあった3枚の自画像が圧巻です。
例の『眼のある風景』を代表として、彼の作品はどこか眼が協調された感じが付きまとっていたのに、同じ人物を描いたとは思えない3枚の人物画の絵は、皮肉なことに眼がごく矮小化されるかあるいは無くなってさえいるのです。ずっと対象に近づいて見つめて来た彼の観察が、自分の内面に向かって行った象徴なのでしょうか。
展示会の最後は彼の使っていた飯盒の展示で終わります。これだけの才能を奪ってしまった戦争に静かに抗議するかのように。
そして今日、ますますそれを確信しました。彼はただただ絵が好きで、そのために苦悩して、対象に没頭して、それがあのような表現になったのだと。
千鳥ヶ淵の桜が満開な中、東京国立近代美術館に行って来ました。生誕100年を記念して“靉光展”が昨日から開かれ、決して多くはない彼の遺作から、書簡を含めた約120点の作品と資料が展示されています。
おそらくは現存する最初期の作品である『父の像』(何と10歳の時に描かれています)、ルオーの画風に似た『コミサ』(妹を描いています)、ゴッホを思わせる『屋根の見える風景』と最初のコーナーは続き、その非凡な描写に圧倒されますが、ほぼ時系列に展示された作品群を追って行くと、同じ画家が描いたとは思われない画風の違いに戸惑います。と同時に、自分自身の画風を確立するために苦悩する彼の痛みも伝わって来て苦しいほどです。
クレヨンを溶かして描いた独特の“蝋画”の時代を経て(この時期の『編み物をする女』は大好きです)、ライオンを主題にした一連の作品の後、日本を代表するシュルレアリスムと言われる『眼のある風景』に行き着きます。
書き直しの後も構わずに、次から次に塗り重ねられたその迫力は凄まじい!ただ、ずっとこうやって他の作品を追って来た後にこれを見ると、やっぱり対象に迫って迫ってその結果がこのようになったんだという感想が強く、いわゆるシュルレアリスムとは一線を画しているように思えます。
しかし、こうしてやっと自分の画風を確立したかに思えた彼を戦争という波が襲います。抽象画に対する圧力の中でまた画風を変えざるをえなくなるのです。その中で結成された“新人画会”からの作品群の後、最後のコーナーに並べてあった3枚の自画像が圧巻です。
例の『眼のある風景』を代表として、彼の作品はどこか眼が協調された感じが付きまとっていたのに、同じ人物を描いたとは思えない3枚の人物画の絵は、皮肉なことに眼がごく矮小化されるかあるいは無くなってさえいるのです。ずっと対象に近づいて見つめて来た彼の観察が、自分の内面に向かって行った象徴なのでしょうか。
展示会の最後は彼の使っていた飯盒の展示で終わります。これだけの才能を奪ってしまった戦争に静かに抗議するかのように。