HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

靉光

2007-03-31 | アート
 靉光(あいみつ)を知ってますか?もしそうだとしてもシュルレアリスムの画家としての彼ではないでしょうか?あるいは戦時中の圧力にも負けずに自己表現を貫いた抵抗の画家?彼のことを紹介する時に使われるそんな文章とはそぐわないイメージを、代表作のひとつである『眼のある風景』を見ても、僕は感じていました。
 そして今日、ますますそれを確信しました。彼はただただ絵が好きで、そのために苦悩して、対象に没頭して、それがあのような表現になったのだと。

 千鳥ヶ淵の桜が満開な中、東京国立近代美術館に行って来ました。生誕100年を記念して“靉光展”が昨日から開かれ、決して多くはない彼の遺作から、書簡を含めた約120点の作品と資料が展示されています。
 おそらくは現存する最初期の作品である『父の像』(何と10歳の時に描かれています)、ルオーの画風に似た『コミサ』(妹を描いています)、ゴッホを思わせる『屋根の見える風景』と最初のコーナーは続き、その非凡な描写に圧倒されますが、ほぼ時系列に展示された作品群を追って行くと、同じ画家が描いたとは思われない画風の違いに戸惑います。と同時に、自分自身の画風を確立するために苦悩する彼の痛みも伝わって来て苦しいほどです。

 クレヨンを溶かして描いた独特の“蝋画”の時代を経て(この時期の『編み物をする女』は大好きです)、ライオンを主題にした一連の作品の後、日本を代表するシュルレアリスムと言われる『眼のある風景』に行き着きます。
 書き直しの後も構わずに、次から次に塗り重ねられたその迫力は凄まじい!ただ、ずっとこうやって他の作品を追って来た後にこれを見ると、やっぱり対象に迫って迫ってその結果がこのようになったんだという感想が強く、いわゆるシュルレアリスムとは一線を画しているように思えます。

 しかし、こうしてやっと自分の画風を確立したかに思えた彼を戦争という波が襲います。抽象画に対する圧力の中でまた画風を変えざるをえなくなるのです。その中で結成された“新人画会”からの作品群の後、最後のコーナーに並べてあった3枚の自画像が圧巻です。
 例の『眼のある風景』を代表として、彼の作品はどこか眼が協調された感じが付きまとっていたのに、同じ人物を描いたとは思えない3枚の人物画の絵は、皮肉なことに眼がごく矮小化されるかあるいは無くなってさえいるのです。ずっと対象に近づいて見つめて来た彼の観察が、自分の内面に向かって行った象徴なのでしょうか。

 展示会の最後は彼の使っていた飯盒の展示で終わります。これだけの才能を奪ってしまった戦争に静かに抗議するかのように。

御室の桜

2007-03-31 | 日常
 井の頭公園を横切って通勤しています。この時期は桜で日毎に景色が変わるのを楽しめて、歩くのが苦になりません。
 公園は特別な照明があるわけでもないので、夜桜を楽しんでいる人達の足元も薄暗いのですが、まぁそれくらいはお酒を楽しむ障害にはならないのでしょう。どこも盛り上がっています。

 京都にいる時は神社仏閣の桜を鑑賞していたせいか、お花見イコールお酒に直結していなくて、考えてみたらこの数年間普通の楽しみ方をした覚えがありません。明日にでもどこかに行こうかな。

 ところで、京都の人に「御室の桜みたいに綺麗」と言われたら、どんな意味だか分かります?
 ヒント。御室仁和寺の桜は木の高さが人の背丈くらいにしかならないので、すぐ近くで花を見ることができ、皆に親しまれています。そこでこんな歌があります。『わたしゃお多福 御室の桜、はなは低とも人は好く』
 “はな”にどの漢字を当てます?

マルハ ギター

2007-03-29 | 音楽
 ビザールなギターマニアには有名なんですが、昔マルハという日本のギターメーカーがありました。大抵の人が食品メーカーみたいだねと言います(笑)
 1946年に福岡県久留米市に創業して以来、ガットギター、ピックギター、ウクレレなどを作っていました。マーチンのコピーなどもありましたし、他社のものもOEMで作っていたのですが、マニアに人気なのは何と言っても初期の頃のアーチトップギター。独特のタンポを使った塗装で、薔薇の花のようなねじりの花弁模様が浮かび上がった綺麗なボディ。外環とサウンドホールの周りにはパールの象嵌が貼られています。

 随分昔に神戸の高架下で見つけたのですが、ボディは落ちてるし、ネックは反って、チューニングもまともにできずに、これではいくらなんでも実用的じゃない、と思って買いませんでした。
 が、何とも言えないそのB級的美しさには惹かれたまま心残りになっていました。

 で、今回東京で見つけたのですよ。612という型の50年代後期と思われるモデル。この型は大抵黒味がかった煙草サンバーストが多いのですが、これは珍しいヴァイオリンフィニッシュっぽい赤みがかった塗装です。
 何よりコンディションが良くて、弦高も丁度良くて弾き易く、チューニングもまともです。音はサスティーンのない、何ともチープな響きなのですが、これがまた味わい深いんです。随分と用途が限られそうなギターですが可愛いです。

 今夜はブルースでも弾いてみます。

散漫

2007-03-29 | 日常
 ブログが習慣化しているので、お風呂に入る前にはパソコンにちょっとだけ向かいます。
 いつもは特にテーマを定めなくても、とりあえず1行書いてみたら、あとはスラスラと続きが出て来て苦労することはないのですが、今日はどうにも気持ちが散漫で、なかなか方向が見えて来ません。こうしている間にもついまた違うことに神経が行ってしまって......ううん、特に原因もないんですけどねぇ。この一ヶ月間仕事も音楽活動もすごく慌しかったので、ちょっと疲れが溜まっているのかも。リフレッシュして、また動き始めます。

エコノミークラス症候群

2007-03-27 | 旅・イベント
 能登半島地震のニュースが続いています。避難所に集まったお年寄りを見ていると、神戸の地震を思い出すこともあって、本当に胸が痛みます。

 ところで、こういった避難所のような狭いところで動けないままでいるといわゆるエコノミークラス症候群になりやすいとのことです。
 長時間座り続けると血管が圧迫されて血のめぐりが悪くなり、そこに血栓ができて肺動脈に詰まる。そして呼吸困難に陥り心機能が低下するという怖い症状です。
 実際には飛行機だけでなく、車や鉄道でも起きるし、ファーストやビジネスクラスでもないわけではないので、“旅行血栓症”という別名も付いていますが、やはり起き易いのは狭いエコノミークラス。

 それにしてもあのサイズは一体誰を基準に作られたのだと思うことはないですか?僕は身長が高いのでことさらにそう思うのかもしれませんが、絶対に普通の人でも窮屈ですよね。あれで何時間も座らせ続けるというのがそもそもおかしいと思うのですが。
 (ついでにもうひとつ思い浮かぶのは、新橋からの『ゆりかもめ』の座席。仮にも“国際”展示場に向かう電車で外国人も乗ると思うのに、あれでは子供サイズですよ。)

 1回のフライトで人数を効率よく割り当てた広さなんでしょうが、効率からゆとりへ発想を逆転して広いシートを安く提供すれば、絶対に評判を呼んで毎回搭乗率が上がると思うんですけどね。それが長い目でみた商売上手ということにならないでしょうか。

美しい力士

2007-03-26 | スポーツ
 八百長騒ぎで始まった大相撲春場所。初日から朝青龍が2連敗したため、ますます異様な緊張感の中で取組が行われましたが、結果的には30秒、中には1分を超える熱戦が増え、見ごたえのある場所になりました。

 そんながっぷり四つの取組が続く中、前日の白鵬との対戦に勝ち、星を同じにした朝青龍が、千代大海相手に変わりながらのはたき込み。この一番に勝つことがまず優勝の第一条件とはいえ、横綱としては物足りない取り口と思う人が多かったでしょう。
 すると今度は、同じく変わってのはたき込みで白鵬が朝青龍を倒します。こりゃ、両者共新聞等で叩かれるだろうな、と思っていたら案の定。

 勝つだけでなく、勝ち方までもが問われる相撲というのは大変だな、と思います。優勝回数だとか勝ち星の数といった数字だけでは見えない取り口の美。自分の何倍もありそうな巨漢力士相手に真っ向からぶつかって行った初代貴ノ花の人気の理由はそんなところにあったのでしょう。

 それにしても最近は容姿、取り口共に美しい力士がいなくなりましたねぇ。

大分“旅行”

2007-03-25 | 旅・イベント
 実は昨晩再度携帯からの投稿を試みたのですが、やっぱりアップしていませんでした。もし毎日読んでくれている人がおられたら、本当にごめんなさい。昨晩はホテルにインターネットのできる環境がなく、近くにネットカフェもなく、最後の手段だったのですが、またも徒労に終わりました。

 今日大分から帰って来ました。随分長い間東京を離れていたような気がします。自分の故郷を訪ねるということは、単に物理的な旅以上に、想い出を遡る時間旅行の意味もあるからでしょうか。
 鍾乳洞、石仏、仁王座、.....野津、臼杵は京都に移るまでの幼年期そして10代を過ごした場所です。変わらないもの、大きく変わったもの、その全てが不思議な捩れ具合で記憶を刺激します。甥の少年野球を見学したこともまた拍車をかけたのでしょう。自分が本当に時間を遡って、思い出の場所を訪ねたら、懐かしい顔がそのままあるような気さえしました。

 今回はラジオ出演、ライヴ、それから墓参りが目的でしたが、会う人すべてがとても暖かくて、故郷ながらちょっと感動してしまいました。ホーバーのチケットも余ってるし(これって大分空港に詳しくないと分からないかな<笑>)また戻りますね。

OBS & 十三夜

2007-03-24 | 音楽
 お昼からOBS大分放送に生出演。ツルさんにも空港到着後駆けつけてもらい、『この人生にYes!と言おう』を3人で演奏しました。OBSのスタッフが放送スタジオの中では狭すぎると気遣ってくれて、オフィスの一角にセットが組まれました。

 夜は“十三夜”でライヴ。満員のお客様の中で7時にスタート。第二部の前には森さんも歌ってくれました。
 久しぶりに会う面子も多く、ライヴ終了してからもひとしきり盛り上がっていました。メンバーとスタッフと森さんとはさらにその後も酒盛り。非常に楽しいひと時でした。

 OBSの出演も十三夜のライヴも、東京に帰ってから改めてHOBNOBのホームページにアップさせてもらいます。(25日まで大分に残ります)
 佐藤さん、森さん、今回は本当にお世話になりました。ありがとうございます。

大分から

2007-03-22 | 旅・イベント
 大分に来ています。明日OBS大分放送生出演と“府内フォーク村 十三夜”でのライヴがあります。夕方早速“十三夜”の開店前に森さんを訪ねて挨拶して来ました。立派なお店です。サウンドも素晴らしい。良いライヴにしたいと思います。
 余談ですが、先日元オフコースの鈴木さんが、同じくOBSに出演して、その夜に“十三夜”に立ち寄って、ちょっとプレイしたらしいです。

 夕食にはOBSの佐藤ディレクターに教えてもらった某店へ。魚料理のお店でしたが、どれもとても良い味でした。おまけに安い。やっぱり大分は美味しい。

 ここまで楽しんだら後はやっぱり温泉かな。食後別府まで足を伸ばしました。といっても、特別に当てがあるわけでもなく、駅からとぼとぼと歩いて適当な温泉を探しました。
 で、見つけたのが竹瓦温泉。なんと言ってもその外観が凄い。唐破風造りの屋根が乗った威風堂々とした入り口。何でも創業が明治時代の初めだそうな。そして入浴料がなんと今時100円!何だか子供の頃の銭湯を思い出しながら浸かって来ました。

 さてこのまま寝られたらいいのですが、いつもの悪い癖で直前までライヴの進行を考えていない。これからちょっと練ってみます。

 では、ライヴに来られる方、明日よろしくお願いします。

ジェフ・エメリック

2007-03-22 | 音楽
  『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』という大仰な邦題(ちなみに原題はポールの名曲から取ったHERE, THERE AND EVERYWHERE)のついた本があります。『リボルバー』以降のビートルズ作品のエンジニアをやっていたジェフ・エメリックの書いた本ですが、これが面白い!ビートルズ・ファンなら必ず夢中になって読むはずです。あの頃のビートルズのスタジオ内の熱気やその後の確執、表には出なかった音作りの真相などが、これでもかというくらい“暴露”されます。

 ビートルズ本が出ると、必ずメンバーの誰かが悪者になったりするのですが、ジェフ・エメリックは(どちらかというとポール派ですが)その時々の彼等の様子をその時の感情であからさまに書いているので、同じ人物を褒め称えたり、心底嫌った様子を見せたり、ものすごく生身の人間像が見えてきます。
 
 もちろん肝心のレコード制作の様子が一番面白い。まだ4チャンネルだった『リボルバー』の時代によくあれだけの工夫ができたものだと感心します。
 その中で思うのは2点。まず、これまで常識とされていた制作の仕方に囚われずに、新しいことはどんどん積極的に取り入れたことがひとつ。今でこそ当たり前になっている、アンプへのオンマイクやドラムの複数マイクを始めとしたセッティングの仕方はここから始まっているんですね。簡単に思うかもしれないけれど、EMIの規則として禁止だったことを破ってまで実行するのは勇気がいったと思うのです。
 もう1点は、どんなに面白い発明発見でも同じことは続けてやらずに、また新しい方法にチャレンジしていったこと。『リボルバー』でテープの逆回転はやったから、もう『サージェント・ペパー』ではやらないとか。

 もちろん前衛的かつ我侭なビートルズ相手だったからこそできたことではあるでしょうが、逆の見方をすればジェフのようなエンジニアがいなければあれだけの音作りがビートルズにできたかどうか。
 偉大な作品の影には、ピタッとはまった人間パズルがあるんですね。