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ロンドンから徒然に

20年ぶりのエディンバラ

2017-06-30 | 旅・イベント
先日一週間ほど旅をした。
諸事情から(と言ってもたいした理由ではないんだけれど)街の中心部からは離れた宿泊先。30分に1本の電車を捕まえるのも煩わしく、あまり時間を気にせずのんびりと、朝はプールで泳ぎ、夜はビーチ沿いのカフェで食事……
なんて書くと、一体どこの南国での優雅な出来事かと思われそうだけれど、実はこれがロンドンより遙かに北のスコットランドはエディンバラ。

ともかくそういうわけで、“観光”のための街歩きは2日間程度だけ。しかしながら、名所がコンパクトに凝縮された街並みのおかげで、目的なしにぶらぶらしても、主立ったところにはぶつかる。近頃は特に事前情報収集を怠りがちなもので、後から「あぁ、あれが」。







実はエディンバラはこれが2回目。とはいえ、最初に訪れたのが20年以上前。自分の中でしっかり記憶していたつもりの映像も、どうやらその長い期間に自分で創り上げたものなのか、どこにも見当たらない。それとも街自体が変わってしまったのか。
まぁ、仕方ない。20年と言えばそれなりの歳月だ。無くなるものもあれば、新たに生まれるものもある。

エディンバラでこの間に生み出された最高の財産はもしかして『ハリー・ポッター』じゃないだろうか。
シリーズ第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』が発売されたのが20年前。作者のJ.K.ローリングがそれを執筆した場所として有名になったThe Elephant Houseも今やエディンバラの観光名所に。ここも何度か通りかかったんだけれど、時間帯によっては店の外に長い列が出来ていた。

それにしても、全世界での売上4億5,000万冊!何だか桁が違い過ぎてイメージ出来ない。印税は幾らになるんだろう。
その初版がわずか500部。これ昔チェルシーの古本屋で見つけたことがあるな。あの時買っておけば今頃幾らになっているだろう。
……あ、ダメだ。せっかくエディンバラで澄んだ気持ちになったのに、また俗っぽいこと考えてる。

マイナー・メジャー

2017-06-25 | 文学
“僕としては、スガシカオという人は、世間の知名度はそんなに高くないけれど、僕は個人的にけっこう好きだな……みたいな親密なシチュエーションを勝手に設定していたんだけど、それはかなり大きな間違いだったようだ。”
これは村上春樹の『意味がなければスイングはない』からの引用。彼が周りの人間に尋ねたところ、「スガシカオを知らない人って、世間にまずいませんよ。有名なんですから」

スガシカオの不思議さはどこかこういう風に、実は世間的にはけっこうメジャーなのにもかかわらず、自分にしかその良さ・凄さを分からないだろうな、と思わせるマイナー感。
いや、“自分にしか分からない”なんて書くと、ちょっと不遜にも響くな。言い直すと、せっかく良いものが世間には認められないかも、残念。でも、その裏返しで、自分は密かにこんな良いものを知っている、しめしめ、といった満足感。

メロディーにしろ、詩にしろ、他とは一線を画す気持ち良い違和感がそう思わせるのかも。
考えてみたら、その意味で僕にとっては当の村上春樹自身が『ノルウェイの森』(5作目だっけ?)で超有名になるまでは、けっこうそんな存在だったけれど、それこそ彼は今や知らない人のいないほどの巨匠となってしまった。

そんな中、まだまだ密かに自分の中でマイナー感覚を持って愛読している作家が……実は佐藤正午。
1984年のデビュー作『永遠の1/2』以来ファンだから、もう長い間読んでいるんだけれど、このところの作品の辛辣でちょっとねじ曲がった(?)迫力には圧倒されっぱなし。2〜3年前の『鳩の撃退法』なんて、もう小説の概念を根底から変えてしまった、とうならされた。
そして今年新刊が出たのだけれど、日本帰国とタイミングが合わず、先月高い送料覚悟で取り寄せてしまった。



『月の満ち欠け』……詳しく書くのは憚られるけれど、輪廻がテーマゆえ、それこそ時間軸も登場人物も幾層にも重なる複雑なストーリーが、思いがけない方向に展開し、そして見事に収斂している。
これをファンタジーと呼ぶか、ラブストーリーと感じるか、はたまたシリアスな人生模様小説と捉えるか……そう単純にジャンル分けできず、佐藤正午ワールドと呼ぶしかないところに凄さがある。

読後はまたまた「しめしめ」の感覚を味わっていたのに、昨日この作品が直木賞候補になっていることを知った。あぁ、これでメジャーに向けて一直線か。
良かった……残念……複雑な心境。

ダック・ポンド

2017-06-22 | 日常
冬のコートを着ている人さえ見かけていたのはつい最近のことなのに、打って変わってここ数日は30度を超す暑さが続いている。
それでも日に何度かは子犬を連れての散歩には出かけざるをえず……ところがこの子自身があまりの暑さにちょっとバテ気味。あの旺盛な食欲も少し減退しているように見える。

それでも一旦出かけてしまえば、彼の好奇心を満たすものはまだまだ外の世界には多く、すぐに元気を取り戻す。ある意味その単純さが羨ましくもある。

いつもの散歩コースを逆に辿ると小さな沼があって、そこにはこの地域独自の交通標識が。
そう、ここに鴨やガチョウ達が毎年訪れては子供達を生んで育てる。生憎この日は草の茂みに隠れていて見られなかったが、道路を横切る小鴨の行進はいつ見ても愛らしい。




のどかな風景でしょ?
でも、同じロンドンなのに、このところのセントラルでの悲惨な出来事の数々はどうしたことか。
中でも忌まわしいのはテロ。3月のウェストミンスター・ブリッジ、今月初めのロンドン・ブリッジとバラ・マーケット(ロンドンではないけれど、そのふたつに挟まれた5月のマンチェスターも、もちろん忘れてはいけない)......これらは全部いわゆるイスラム過激主義者によるものだ。

ここできちんと認識しておかなくてはならないのが、彼等と普通のイスラム教徒とは違うということ。そもそも本来のイスラム教の教義では殺人や自殺を禁じているというではないか。
その意味で、つい先日フィンズベリー・パークで起きたテロは怒りの矛先を間違っていると言える。

ロンドンはその多様性が何より魅力的な街だ。民族、言語、宗教、文化……一見相容れそうにないアイデンティティがごちゃ混ぜになって、街のカラーを創り上げている。
上に挙げた小さな沼はその縮図みたいなものなのかもしれない。様々な種類の鳥たちが同じ場所で子供を育て、そこから旅立っていく。もっともそこには狐や車などの危険も多いんだけれど......負けるな!