HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

夏休み

2014-07-21 | 日常
 以前にも書いたことがあると思うのですが、どうにも「海辺のリゾート地」が似合うタイプだとは思われていないようで、その昔ハワイに仕事に行く、と言った時にプッと吹き出され、それはいくら何でもあんまりだろうと感じた覚えがあります。

 それはともかくとして、芸能人やスポーツマンでもないのに「ハワイに仕事」というのは確かにイメージが湧かないですよね。実はこの時はウェディングのプランで海外の式場を回ったんです。
 ところが、何が悲しいって、ハワイまで来て一度も海で泳げなかったんです(足を浸すことさえ)。次から次に車で式場を移動しては説明を聞く毎日。

 何でこんなこと思い出したかというと、この風景です。ビーチ・ウェディング。どうやらこの上にある高級ホテルの仕込みのものみたいです。



 そう、今年は3年ぶりにやっと夏休みを取れました。
 で、(また笑う人はどうぞご自由に)海辺に来ています。水着にサンダルです。
 とはいえ、ハワイとは大違いで、フィッシュ&チップスの看板が目立つような国内の田舎町です。泳ぐには低すぎる水温の海です。南に面したバルコニーからの陽当たりがいいホテルの部屋(言い換えればすごく暑い)は実はエアコンもなく冷蔵庫さえありません。



 ただ、気付いたんですが、ロンドンよりは涼しいですね。念のため各地の天気を見てみると、やっぱりイギリスで一番気温が高いのがロンドンなんです。あれだけのビルが建って、あれだけの人間が暮らしていて…やっぱりヒート・アイランド現象のせいでもあるのかな?(でも、ロンドンなんて世界の他の都市に比べたらまだしも緑は多いんですけどね。)

 まぁ、あくせくせずにのんびりしろという神様からの示唆だろうと思って、羽を伸ばします。
 もっとも、悲しいかな日本人、こちらの人の夏休みの長さとは競い合えるわけもなく....

Boyhood

2014-07-16 | 映画・演劇
 スガ シカオ氏がインディーズとして「Re :you」や「Festival」などを配信リリースする一方で、「アイタイ」はメジャーからCDリリースした時に、あぁこうやって垣根を越えた活動ってあるよな、と感心しました。
 その後完全にまたメジャー復帰しましたが、あのインディーズの頃に培った経験を活かして、自分のやりたい音楽を曲げずに追究して欲しいものです。かたやでメジャーであることのメリットも熟知しているわけですから、倍の力を備えたことになりますよね。今後に期待しています。

 ところで、映画界に目を向けて見ると、インディーズとハリウッドを股にかけて自在に力を発揮している監督がいます。
 リチャード・リンクレイター。僕の大好きな「Before~」3部作(Before Sunrise、Before Sunset、Before Midnight)の監督でもあり、ジャック・ブラックを起用してハチャメチャなロックコメディ「スクール・オブ・ロック」を撮った監督でもあります。

 その彼の最新作が「Boyhood」。
 もっとも、以前も書きましたが、僕は映画を観る際に予備知識なしに行くことにしているもので、事前には監督名はおろか映画の大まかな内容さえ知らなかったんです。ポスターとタイトルを眺めて(そう、これもコピーをじっくり読むと内容を知ることになるので「眺める」だけ)、よくある少年映画だと思い、他の映画は殆ど見ていたのでSFよりはいいかと思い選んだ次第です。



 ところがこれが大当たり!今のところ個人的には今年のナンバーワンです。
 どこがいいか?ううん、格別ドラマティックな出来事が起こるわけではないし、感情を大げさに表現して泣かせるわけでもないし、だからてっとり早く“感動”が欲しい人にはお薦めできるか分かりませんが、じわじわと各場面が沁みてきて、気が付くと体中に行き渡り、見終わってからも抜けません。そんな感じです。

 6歳の少年が、ある日家の壁をペンキで塗ります。そこにあるのはこの家で刻んだ自分の身長。両親の離婚のために家を離れることになり、そのための整理なのです。その傷と共に自分のこの家での思い出も消してしまい、新しい家や学校での生活が始まることになります。
 こんな小さな、でも印象に残るディテールが少年の成長に連れて淡々と描き出されます。そして驚いたことに18歳まで続く12年間をひとりの俳優(おそらく6歳を演じる頃には演技経験さえなかったのではないかと思われる)がずっと演じるのです。つまり本当に主人公の少年の成長に沿って12年間フィルムを回し続けたことになります。

 その繊細な成長期間ですから、当然ちょっと逸れた道を歩きたがったり(お酒やマリファナ、ピアスなんかもね)、恋に悩んだりもするわけですが、こういったシーンも過剰にあざとい“青春物語”になっていないところが、より説得力を持ちます。
 もう途中からは、この少年が愛おしくなって、次にどういう変化を見せるか楽しみになってきます。

 少年の「成長」は、周りのおとな(これもまた12年間、同一人物が演じます)にとっては老いに向けて歳を重ねることになり、母親(パトリシア・アークエット)と父親(イーサン・ホーク)にとっての12年間の物語ともなります。
 その間にアメリカの社会情勢もさりげなく織り込まれ、FacebookやiPhoneやバラク・オバマの登場が、あぁこの間の話だったなぁと改めて思い起こされます。

 終演後に階段で、見知らぬ年老いた女性から「良かったわよねぇ。今でも身体が震えるくらい感動しているわ」と話しかけられました。そう、誰にとっても(年齢も性別も関係なく)あの少年時代は共有できる物語なのかもしれません。
 続編を見たいというのは欲張りですか?1本に12年かかるとすると、“Before~”シリーズみたいに3部作完結までにはあと24年 !

Tantrum

2014-07-09 | 日常
 「自分の人格の中で政治的意見に関わる部分はそんなに大きくはない。本当ならばたった今の政治の惨状などから離れて、人間というものを悠然と広く見る視点に立ちたい。下品で浅ましい争いに背を向けて一人になりたい。」

 これは数日前の朝日新聞のコラムにあった作家の池澤夏樹氏の弁なのですが、それでもなお「今は声高に言わなければならないことが多い。」との一文から始まっています。
 事実最近このコラムで取り上げられることは政治に関することも多く、いつも感心させられます。

 で、僕自身も残念ながら“政治的人格”はあまり持ち合わせず、このブログでも(多少の皮肉は込めてあっても)真っ正面から政治ネタを取り上げるなんてことはないのですが、遠くイギリスに住んでいても、今の日本のきな臭さは伝わってきて、何だか落ち着きません。

 そこで新聞を読んだり、ネットでニュース(動画も含めて)を確認したりするのですが、安倍首相の発言や行動に注目しても、あれっ?あれっ?と疑問符ばかりが浮かびます。いや、その内容が正しいとか間違いだとか言う以前に、何だか矛盾した内容や行動が多くて、どう解釈していいものやら分からないんですね。

 これは一体何なんだろう?
 なんて思っていた時に、こちらの児童本にtantrumという言葉を見つけました。英和辞典を引くと“不機嫌、かんしゃく”とか載っているんですが、よく小さな子供がモノをねだって床に寝っ転がってダダをこねていますよね。どうもああいうことを指すみたいなんです。

 で、こんなこと書くのは非常に失礼だとは重々承知しているのですが(本当にすみません)その時首相の姿が浮かんで、何となく僕の抱いた矛盾感の説明に思い至ったのです。
 
 そうか、あれは子供(首相)がどうしても自分の欲しい、例えば鉄砲みたいなおもちゃ(つまり自分は楽しめるけれど下手すると人を傷付ける)を手に入れたくて、大きな声でダダをこねて、その親たち(自民党と公明党)もそのむちゃくちゃな行動を持て余して、よしよしと買ってやろうとしているんだ。
 特に片方の親(自民党)は親バカか、あるいは子供に何か負い目があるか(首相の人気がなければ選挙に勝てませんしね)。もう一方(公明党)は普段平和的な親を自認しているだけに、それなりに子供を説得しようとしたけれど、結局妥協して、他のおとな(主たる選挙民である学会員)への言い訳に必死。「いや、本当にもう限定した場所と機会でしか使わせませんので…わかったわよね、●●ちゃん」
 そんなこと子供はその場しのぎでうんと言うに決まっていて、すぐに忘れて好き勝手に使いますよね。

 だから僕は首相をかばうことにしたんですよ。子供だったら例えば以下のような行動を取ってもまぁ仕方ないと許されるんじゃないかと。

 放送で批判されるのがイヤならそこの会長や委員に自分の肝煎りの人間を据えて睨みを利かせればいいし、
 原発を再稼働したければ原子力規制委員会に(内規には違反するけれど)業界から報酬をもらっているような利害関係の一致した人間を入れればいいし、
 幹事長が閣議決定を急ぐなと諫めるようならそれをすげ替えて別の人間を交渉相手に据えればいいし、

 かつて「国民の半数以上の思いを反映しなくていいのか」と叫んで、憲法96条の要件を三分の二から過半数に改正しようとしたけれど、その試みに失敗したら、その国民の半数以上が反対、あるいは「検討不十分」と思っている集団的自衛権は、勝手に閣議だけで決めればいいし、(だから「国民の半数以上の思いを反映しなくていいのか」という自分の言葉がブーメランのように戻ってきても無視すればいいし。)
 同じく半数以上の国民が反対している原発再稼働だって、無視して進めればいいし、

 それに秘密保護法の成立の後、「もっと時間をかけて審議すべきだった」と反省してみせても、そんなこと次のことを決める時にはもう忘れてもいいし、

 「日本の原発は世界一厳しい基準だ」とさえ強調しておけば、具体的な内容も説明せず、テロ対策もなく、避難路も確保しておかなくてもいいし、

 「米軍の船に乗っている日本の女性やお子さんを助けなくていいのか」といつも同じ台詞を用いて勇ましく自己陶酔しておけば、いくらそのリアリティのなさを専門家に指摘されても、集団的自衛権の具体例を説明したことになるし、

 臨機応変に質問に答えるのが苦手ならば受け付けずに(幹事社の質問は事前に通告させて回答を紙に書かせて準備すればいいし)用意した自説で殆ど時間を費やして、広報官に予定時間を過ぎたと言わせればいいし、
 そんな風に不測の事態への対応が苦手でも、有事の際の最高責任者は自分だし、

 ……etc. etc. まぁ子供だからということで、許してあげましょうよ。
 えっ、やっぱりそんな子供はいやだ?でもそうやって甘やかしたのは経済成長の一点欲しさに他のことに目をつぶって投票した僕ら選挙民なんですよ。
 いや、違うか。こんなことは全然選挙の時には争点にしなかった彼の方が一枚上だったのかも?子供といってもあなどってはいけません。

 あぁ、今日は一気に書いちゃったから、お叱りを受けることもあるだろうな。でも僕も政治的人格から見たら子供だから、まぁそこは大目に見て下さい。

PRIDE

2014-07-05 | 旅・イベント
 政治家でさえ(いや、もしかしたら“政治家だから”かもしれないけれど)、建前としては女性の権利を謳いながらも、本音ではあんなものだというのは都議会や国会のヤジでもよく分かると思います。
 その意味では、現代では「市民権」を与えられているはずのゲイの人達も、同様の差別に苦しんでいるのは想像できるかと思います。

 未だに存在するこういった偏見に対する抗議や、平等の待遇を求めて、1年に一度彼らが一堂に会してパレードを行うのがPride Parade。正確にはゲイの人のみならず、LGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの頭文字を取ったもの)全ての人達が集まるので、バラエティに富んでいます。

 ロンドンでも丁度1週間前の6月28日に行われたのですが、ノッティングヒルのカーニバルと比べられるくらい大きな行事で、市内の主要な通りから車がシャットアウトされて大がかりに実施されました。

 このところのロンドンは普段の好天にもかかわらず、何故だか週末になると雨模様という悪循環で、この日も決して“パレード日和”とは呼べない、降ったりやんだりの寒い一日だったんですが、参加した人達は文字通り誇らしげに行進していました。





 さて、僕には自分が誇れるアイデンティティがあるのかな?
 日常的に戦争やテロのニュースが流れるイギリスに住んでいる身としては、平和憲法を持つ日本人というのはかなりPRIDEを持てることだったんですけどね。