HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

英・仏・独の大学の数

2007-08-31 | 日常
 昨日触れたロビュションは超の上に超がつく一流のシェフですが、一般的にヨーロッパでは料理人の社会的地位が高いと言われています。事実一流のシェフともなれば勲章を授与される人も出てきます。世間からもスター扱いです。そのせいか早くからしっかり目標を持って修業に入る人が多いように思います。
 これは別に食の世界に限ったわけではなく、例えばファッションの世界でも、デザイナーや職人など、一流になるために若い時から腕や感性を磨きます。こうした歴史が有名ブランドを支えているのかもしれませんね。

 ところで、日本の大学の数がどのくらいあるか分かります?約 1,200校です。ではイギリスは?フランスは?ドイツは?
 答は順に、(約)100校、100校、150校です。
 これはこれらの国での大学の役割がリーダー育成にあり、その意味では全体のほんの1割から2割あれば十分だからなのです。実学という意味ではさっき書いたように、自分の目標のために早くから修業しますからね。

 反対にアメリカでは大学の数は多いですが(約4,000校)、こちらは移民を迎えた経緯もあって、ハーバードなど一部のリベラルアーツ・カレッジ(こちらもヨーロッパの大学のようにリーダー養成の全人教育が目的ですね)を除くと、実学の意味合いが強いです。
 アメリカの大学は、入るのが易しく出るのが難しいとよく言われます。その通り、学期間のテストで70点を割ると退学させられます。だから皆本当によく勉強します。

 そろそろ夏休みも終わってキャンパスに戻る頃になりましたが、日本の大学生の皆さん、勉強してますか?(笑)


レストラン“予約”売買サイト

2007-08-30 | 日常
 昔、ジョエル・ロビュションがパリで『ジャマン』という店を開いて話題になっていた頃、グルメの友人からその噂を聞いて、旅行の相当前に日本から予約の電話を入れてみたのですが、満席で取れませんでした。3度の旅行で3度ともダメで、そのたった3年の間にジャマンはミシュランの星をひとつ、ふたつ、みっつと最短で増やして行き、やがてロビュション本人は自分の名を冠した『ジョエル・ロビュション』という威風堂々としたレストランを作ってそちらに移りました。
  いつの頃からか日本でも外食文化が定着して、まるでフランスのように各ジャンルのシェフ達がスター並みにもて囃されるようになりました。それに伴ってなかなか予約を入れるのが難しくなってきて、それがまた逆に評判を呼んで人気が高まり、ますます満席の日が増えるといった循環を作ってしまいました。

 ところで、ニューヨークではこれに輪をかけて人気レストランの予約が困難です。電話をしても大抵満席で断られるし、高級レストランの対応はどことなく高飛車だということで評判が悪いです。おまけに店によっては関係者しか知らない電話番号でしか受け付けなかったりするのです。
 そういった事情からか、ニューヨークではインターネットでの予約がかなり浸透していますが、最近他人が予約した権利を買い取るサイトが現れて話題になっています。権利を買った人は予約をした人の名前でレストランに行き食事をするわけですが、居心地悪くないんですかね。
 ちなみに、サイトを覗いてみたら、手数料20ドルくらいのところが多く、Nobuのような人気レストランは30ドルでした。

 それにしてもこの予約って本当に自分で行くつもりで取っておいたのがダメになったんですかね?よくオークションで売るのを目的に、自分では行くつもりもない人気アーティストのコンサートのチケットを買う人がいますよね。そのおかげで本当に行きたいファンの手元にチケットが行かずに、つり上げられた値段を払うことになったりします。
 どうにもこうした安易な儲け方が気に入らないのは僕だけですか。

こちらのスタッフは大丈夫?~世界陸上

2007-08-29 | スポーツ
 昨日スポーツ競技のスタッフにも目をやろうと書きましたが、もちろん趣旨としては競技者の功績だけでなく、バックアップしている裏方の力にも注目しようということでした。
 でも、今回の大会では逆の意味で注目しなければならないのかもしれません。直接競技に関連したスタッフだけでなく、運営のスタッフも。

 今のところ日本勢はメダルとは無縁のところにいます。注目された選手も皆意欲が空周りして、思ったような動きを見せていません。暑さのせいだとしても、それは他の国の選手にとっても同じことだし、むしろ地の利という意味では、大阪の暑さ・湿度は配慮済みのはずです。
 そう考えると、調整の失敗は否めないものがあります。もちろん競技者本人の責任が一番ではありますが、監督やコーチの責任も大きいのじゃないでしょうか。

 それからマスコミの報道時の甘さ。気持ちは分かりますが、明らかに劣っている競技の時でも、日本勢に対しては決まりきったように「いいですよ」。え、あれで本当にいいの?と思っていると案の定最下位になったり.....別に日本勢だけを見たいわけでなく(もちろん日本選手が活躍してくれればそれに越したことはないですが)世界のトップレベルの技を見たいと思っているのだから、しらけさせる解説は止めて欲しいと思います。

 そして、けっこう問題じゃないのかなと思っているのが、TVで見ていても競技場にあんまり観客が入っているような様子ではないことです。
 理由は色々あるでしょう。これまた暑さのせいもあるでしょうし、それと関連してなのか異様に遅い時間帯の競技が多いこと。普通の生活をしていて11時近くまで競技を見て帰宅するというのは大変じゃないのかな。
 入場料が高いとも聞きました。まだまだ他の球技等に比べると人気が定着しているものではないので、まずは広く馴染んでもらうためにも安く設定してもいいんじゃないでしょうか。
 それから、これは陸上に限ったことではないですが、1局で中継を独占するのもどうなんだろうと思います(すみません、TBSさん)。結局事前に知らせが浸透していたようには思えないし、いまひとつ事後の報道も盛り上がりに欠けるように感じます。

 不振だった昨年のトリノ・オリンピックで最後の最後に荒川静香が金メダルを取ったように、女子マラソンとかの残りの競技、でこれまでの鬱憤をバーンと晴らしてくれるのを期待します。

棒高跳びのポール

2007-08-28 | スポーツ
 他のものと比較しないと、なかなかその高さが実感できにくいものでしょうが、棒高跳びのバーの高さ!あれをビルの何階に当たるのかと考えると、高所恐怖症気味の僕なんかゾッとします。

 ついさっきイシンバエワの金メダルが決まりました。世界記録5m2cmへの挑戦は失敗しましたが、それにしても凄い。
 他の選手が段々とバーを上げて行く中、ひとりタオルを被り寝転んで瞑想するあの姿、他のものを寄せ付けそうにないピリピリした空気を発散させる助走前の姿、それが成功すると一転、にこやかな笑顔と投げキス。ファンは皆あの氷のような雰囲気とキュートな姿の落差に惹かれるんだろうな。

 ところであんなにしなるポール(棒)の材質は、これまでにいくつかの変遷がありました。ヒッコリー、竹、金属と続いて、竹の時代には日本製が優れているということで、たくさん生産されていたようです。
 そして今はグラスファイバー。その前の金属ポールの時代には棒高跳びの高さの限界は 4m87cm(16フィート)と言われていたのが、今や女性のイシンバエワが5m1cm、ブブカは6m14cm跳ぶ時代です。

 そう考えると、アスリート本人の力だけでなく、器具の力も大きく作用します。他にも、短距離のシューズにしろ、水泳のスーツにしろ、速さを追求するために選手のバックにいるスタッフの力が、記録の更新を支えているともいえます。
 映画や音楽だったらプレイヤーだけでなくて、スタッフもけっこう注目されるものですが、スポーツでもちょっと違うところに目をやってみたいですね。

世界陸上&内閣改造

2007-08-27 | スポーツ
 先月、南仏に旅行のための飛行機がアムステルダム経由だったのですが、その時に棒高跳びの澤野大地くんが同じ機内でした。乗り込む前にTVの取材を受けていたので、おそらく遠征だったのでしょうが、ひとりきりで荷物を持って臨む姿は、アスリートの孤独な決意みたいなものを感じてカッコ良かったです。

 大阪で世界陸上が行われています。地元開催ということで、日本人選手の張り切りようは分かるのですが、今のところそれが裏目に出てるみたいですね。為末はまさかの予選敗退だし、室伏もメダルに手が届きませんでした。その他の選手も、すごい緊張感がこちらにも伝わって、よく彼等のコメントにある『競技を楽しむ』雰囲気が全然見られません。
 スポーツをした経験のある人はよく分かると思いますが、力が入りすぎるとどうしても思ったように身体が動きません。理想は八分の力なのですが、この力の抜き方が意外と難しいんです。余裕がないことにはできないですしね。

 今日、内閣改造が行われましたが、こちらもやっぱり余裕の全然感じられない布陣で、演説もあまりインパクトがなく、何だかおどおどしたイメージです。
 見渡してもあまり新鮮な人材あるいは切れそうな人材はいなくて、舛添氏を入閣させて、反対勢力も取り込んだ懐の広さを見せかけるものの、同じ反対勢力でも、難しそうな福田氏や谷垣氏は避けていますものね。
 
 いずれにしろ、世界陸上のようにハイレベルの技を見て興奮することはできそうにありませんね。

国立西洋美術館

2007-08-26 | アート
 昨日の話の続きになりますが、『パルマ展』の開かれた国立西洋美術館は常設展も見応えがあります。普段でも観覧料が安い(一般420円、大学生130円、高校生70円)のに、毎月第2、第4土曜日には無料で観覧することができてお得です。昨日はその無料観覧日に当たったこともあってか、常設展も賑わっていました。
 マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ロダン、...........素晴らしい作品が勢ぞろいしていますので、是非!

 所蔵作品は有名な松方コレクションが核になっています。
 良く知られた話だとは思いますが松方コレクションの話を少し。首相も務めた松方正義の三男で川崎造船所の社長であった松方幸次郎が、軍需で得た莫大な資金で集めた数千点にも渡る美術品。これには日本の若者に西洋の“本物”の美術品を見せたいとの心意気もあったのだとか。
 ところが経済恐慌の波に直撃されて銀行の差し押さえを受け、コレクションは流出してしまいます。その一部は大原美術館やブリヂストン美術館で観ることができますが。
 そのうちフランスにあったコレクションで、サンフランシスコ講和条約によって一旦はフランスの国有財産となったものの、その後日本に寄贈返還された作品群が国立西洋美術館の核になった松方コレクションです。
 なんでも返還の際のフランス側の条件が、“コレクションを一箇所にまとめて保管・展示すること”だったそうで、それに基づいて建設されたのがこの美術館なのです。
 残念なのはロンドンにあったコレクション。倉庫の火災で焼失し、膨大なコレクションの詳しい中身さえ分からないままなのです。

 ところで、この美術館を設計したのがル・コルビュジェです。彼が日本に残した唯一の建物ということになります。
 先日『ル・コルビュジェ展』に行った時に国立西洋美術館の設計図と模型がありました。それを見ると、本館のみならず付属施設として“傘状”の展示施設と『不思議の箱』と名付けられた劇場がある、公園と一体となった文化複合施設として提案されたのが分かります。
 これが実現していたら、上野は日本を、いや世界を代表する文化村となっていたでしょうね。

スケドーニ

2007-08-25 | アート
 会期が明日までとなった『パルマ展』を観て来ました。
 パルマと聞くと、どうしても生ハム(プロシュット・ディ・パルマ)やチーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)が浮かんでしまいます(笑) でも『パルマ イタリア美術、もう一つの都』と銘打ったこの展示会のコピーのように、イタリア美術の歴史を語る上で欠かすことのできない都市でもあるのです。

 ルネサンス期の優美なコレッジョとパルミジャニーノの作品を楽しむもよし、不自然に曲がりくねり引き伸ばされた人体表現である独特のマニエリスムの作品を楽しむもよし。とはいえ、日本人にとってあまり馴染みのある絵が多いわけではありませんよね。

 そんな中で僕が注目したのがバロック期の画家バルトロメオ・スケドーニ。彼も日本では殆ど知られていませんが、光と影の強烈な対比が主題を際立たせ、鋭い直線的な描写があの時代の枠を超えて現代の画風にも通じるような感覚をもたらします。その意味で今回の展覧会の中にあって一際異彩を放っていました。
 特に凄かったのが『キリストの墓の前のマリアたち』。キリストの復活を告げる天使の白い衣装がひと際輝く中で、大胆に配置されたマグダラのマリアたちの黄、緑、臙脂色彩の組み合わせ。遠くから観てもこちらに迫って来るような迫力がありました。

 ところでバロック期と言えば何といっても有名なのはカラバッジョでしょう。実はスケドーニは画風のみならず、その奇異な生涯の類似性においてカラバッジョと比較されることが多いのです。
 激情型の性格の持ち主というのが共通していて、女性問題や脅迫、賭博などで度々裁判沙汰になる事件を起こし、その度に彼の才能を惜しむ貴族達が仲介に入ったらしいのですが、結局は賭博での負けによる“激情の発作”を起こし自殺してしまいました。カラバッジョの死とほぼ同じ年齢の37歳の時です。またカラバッジョが殺人を起こす原因になったテニス(に似た球技)に彼も夢中になって右手の機能を失いかけたとも言われています。

 天才と激情というのは付き物なのでしょうか。こんな天才ふたりがもしも長生きしていたら、どんな作品を残してくれたのでしょう?

なれるものなら

2007-08-24 | 日常
 小さな頃、描いた絵がよく大きなコンテストに入賞して飾られたりしていました。クレパスを厚く塗りたくった絵ばかりだったと記憶しています。ところが、そちらの才能はやはりなかったとみえて、いつの間にか描くということが苦手になりました。
 何が境だったのだろうと考えると、ものをちゃんと見て描写するという当たり前の段階からなのです。

 小さな頃なんて、例えばどこかの風景を描くとしても、そんなものいちいち見て描くわけではなく、自分の心の中にある印象みたいなもので、実物とは違う色を自由に塗っていたのです。
 ところがスケッチ~水彩の頃になると、“実物そっくり”が一義的な価値と捉えられがちです。僕もトライはするのですが、どうにも違和感を感じて仕方なく、思うような色に仕上げられずに、かといってその訳を説明できるほどの言語能力がある年齢でもないもので、段々と美術が嫌いになってしまいました。

 今、考えてみると、つくづく細部の観察力がないのです。獏としたイメージを感じ取りはするのですが、いざ細部を思い出そうとすると全然ダメ。
 話は違いますが、例えば事件が起きて怪しい人物の目撃者となったとしても、どんな風貌だったかを細かく説明することができそうにありません。

 その点、もともとイメージの世界である作曲は楽です。ただ、うまく説明できませんが、与えられた具体的な詩のイメージがすぐに曲のイメージに置き換えられるのではなく、僕の場合その間にひとつ挟まって、色だとか臭いのイメージが浮かぶのです。そのように生まれた抽象を別の次元の抽象に置き換える、といった感じかな。分かりませんよね(笑)

 あぁ、それにしても今もしどんな才能でも許されるのなら、画家になってみたかったなぁ。

決勝戦のあの1球

2007-08-23 | スポーツ
 昨日の高校野球の決勝戦。すごかったですね!夜のニュースでさえ甲子園全体の熱気が伝わる感じでした。7回まで見ていた人は次の回のあの展開なんて絶対予測できなかったでしょうね。
 2点差の時点では、毎回あれだけピンチになりながら何とか凌いだ佐賀北の方に、もしかしたら一気に逆転のチャンスもあるかなと思いましたが、追加の2点が入って差が4点に広がった時点で、おそらく皆(諦めるなと言わなければいけない立場の監督でさえ)勝負あったと思ったでしょう。
 それが8回にあの結果!本当に野球は恐ろしい。

 どんな試合も振り返ってみると、あの1球が、という場面は必ずあるものです。
 もちろん実質的にはあの逆転満塁ホームランになった、ちょっと高めに浮いてしまったスライダーでしょうが、試合の流れという意味では、その前の打者を歩かせてしまったカウント1-3からの低めの直球でしょう。
 あの球は良かった!微妙なコースをついた力のある球で、バッターも手が出なかったというのが正直なところだと思います。球審にボールと判定された時の広陵のピッチャー野村くんの表情を見ても、多分本人は絶対に決まったと思ったに違いありません。
 でも、これが野球の恐さです。試合全体の流れみたいなものが、あの時点では明らかに佐賀北の方に行っていて、どちらとも取れるような球はその流れを呼び寄せている側に有利に働いてしまうのです。
 余談ですが、昔、王選手の全盛期には、彼が自信を持って見逃した微妙なコースの球は、審判は皆ボールと判定したという伝説を思い出しました。

 この球に関してどこも何も言わないので、やっぱりプロ野球とは違うんだな、とある意味感心していたら、広陵の監督が審判を批判して高野連から注意を受けたというニュースを今見つけました。
 監督の弁:「(審判批判は)いけないことと分かっていたが、選手に言わせるわけにはいかないと思ったので、あえて自分が言った」

 う~ん、難しい問題ですね。どういう行動を取るのが選手達のためになるのか、僕が監督だったらどうしただろうと考えてみるのですが、納得のいく答が出て来ません。
 いずれにしても、両校の頑張りは本当に素晴らしく、心から称賛を贈りたいと思います。思い出に残る試合をありがとう!

シアトルの思い出

2007-08-22 | 旅・イベント
 ちょっとわけあって過去のアメリカ入国記録を提出しなければならなくて、昔のパスポートのスタンプを見ながら書き取っています。
 ホノルル、ニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコ、ボストン、シカゴ、ダラス、.........けっこうあちこちに行ったものだと思いながら、ふと1993年1月のシアトルのスタンプに目が行きました。今でこそイチローの活躍で有名な土地ですが、その年は(イチローもまだオリックス入団2年目です)それほど観光客も多くはなかったと思います。

 その時は仕事での渡米でした。英会話の教材を企画して、現地でスタッフを雇って録音したのです。ぎりぎりまで他の仕事を日本で抱えていたので、到着したその日にスーツケースを持ったままスタジオに直行。録音の1日目が終わったのが夜遅く。それからタクシーでホテルに行ってチェックイン。もう深夜12時を回っていました。
 我慢していた眠気が一気に襲って来て、さぁ明日に備えて寝るぞ、と思ったら日本から山のようなFAXが。残して来た別の仕事に関するもので、それからまた何時間か書類作成に取り組んで、睡眠不足のまま翌朝スタジオに駆けつけたのを覚えています。

 このスタジオというのが、シアトル出身の世界的なバンド、ニルヴァーナやハートが使ったことがあるということで、彼等の写真が通路に貼られていました。音楽の仕事でこんなところを使えたらいいのにな、と思いながら英会話の録音をやりました(笑)

 ところでこの時、道行く人達がコーヒーの紙コップにふたをして小さな穴から飲んでいるのがすごく目立ちました。実はこれがスターバックスのコーヒーを見た初めての経験でした。そうです。今や世界中に広がったスタバの発祥の地がシアトルなんですね。なんでもその名前の由来はシアトル近くにあったスターボ(Starbo)採掘場と、小説『白鯨』に登場するスターバック(Starbuck)からだそうで、それでロゴが船乗りに関係したギリシャ神話の人魚セイレーンなんですかね。

 日本にスタバが進出したのは1996年だそうで、それから10年以上。どの街に行っても見かけるほど浸透しています。
 アメリカ人から聞いた笑い話です。もしかしたらよく知られている話なのかもしれませんが; ロスで待ち合わせをした友達同士がいました。“○○丁目の角のスターバックスで”と場所を指定された男がそこに行って途方にくれました。その四つ角全てにスタバがあったのです。