日本サッカーの日本化は行われない
ハリルのサッカーは、まず自分のスタイルが先にあるのではない。相手を見て考えるサッカーだ。まず対戦相手の特徴をつかみ、彼らの良さを消す。相手に力を発揮させないためにはどうすればいいか? を考える。そしてスカウティングに基づき、対戦相手に応じてその都度カメレオンのようにやり方を変える。まず相手ありきのサッカーである。
ではこのサッカーを2年続けたとき、日本には何が残るのか?
少なくとも、これまで代表監督が替わるたび毎度続いた「日本が世界で勝つための、日本らしいスタイルとは何か?」のような遠大な問いに対する答えは得られないだろう。日本サッカーの日本化は行われない。なぜならハリルは特定のスタイルで戦うわけじゃないのだから。
とすればハリルジャパンは日本に何をもたらすのか?
あえてネガティブな言い方をすれば、「目先の1試合」に勝つためだけの小細工が手を変え品を変えロシアW杯まで続いていく。「日本サッカーがめざすべきスタイルは?」のような総論に対する答えは出ない。収穫があるとすれば各論の方だろう。つまり相手に応じたさまざまなやり方を学べることだ。戦況に応じた試合運びもあれこれ経験できる。そしてロシアW杯が終われば、いろんなバリエーションの戦い方がデータベースとして日本に残る。それはそれで有意義なことだ。
だが大きな木の幹が根付くのでなく、得られるのは枝葉の部分(ディテール)ではないか? いや別にだからハリルを解任しろとかいう話じゃなく、「ハリルと仕事をする」ということが何を意味するのか、日本人はしっかりわかった上でやったほうがいいと思うのだ。
とすれば逆に、今度は選手が自分で考える必要が出てくる。日本人の特徴を生かした、日本がめざすべきサッカーとは何か? 人に教えられるのでなく、自分の頭で考えるーー。能動的に考えることこそが日本人には決定的に欠落している。それをハリルに気づかされるような気がしている。
ハリルのサッカーは、まず自分のスタイルが先にあるのではない。相手を見て考えるサッカーだ。まず対戦相手の特徴をつかみ、彼らの良さを消す。相手に力を発揮させないためにはどうすればいいか? を考える。そしてスカウティングに基づき、対戦相手に応じてその都度カメレオンのようにやり方を変える。まず相手ありきのサッカーである。
ではこのサッカーを2年続けたとき、日本には何が残るのか?
少なくとも、これまで代表監督が替わるたび毎度続いた「日本が世界で勝つための、日本らしいスタイルとは何か?」のような遠大な問いに対する答えは得られないだろう。日本サッカーの日本化は行われない。なぜならハリルは特定のスタイルで戦うわけじゃないのだから。
とすればハリルジャパンは日本に何をもたらすのか?
あえてネガティブな言い方をすれば、「目先の1試合」に勝つためだけの小細工が手を変え品を変えロシアW杯まで続いていく。「日本サッカーがめざすべきスタイルは?」のような総論に対する答えは出ない。収穫があるとすれば各論の方だろう。つまり相手に応じたさまざまなやり方を学べることだ。戦況に応じた試合運びもあれこれ経験できる。そしてロシアW杯が終われば、いろんなバリエーションの戦い方がデータベースとして日本に残る。それはそれで有意義なことだ。
だが大きな木の幹が根付くのでなく、得られるのは枝葉の部分(ディテール)ではないか? いや別にだからハリルを解任しろとかいう話じゃなく、「ハリルと仕事をする」ということが何を意味するのか、日本人はしっかりわかった上でやったほうがいいと思うのだ。
とすれば逆に、今度は選手が自分で考える必要が出てくる。日本人の特徴を生かした、日本がめざすべきサッカーとは何か? 人に教えられるのでなく、自分の頭で考えるーー。能動的に考えることこそが日本人には決定的に欠落している。それをハリルに気づかされるような気がしている。