工場長の製作日誌

模型製作記録とか辺境の記録とか

とある山の事務所

2017-01-29 19:41:27 | 日記


下伊那の古い峠道の途中から分岐する林道を車で数分進んだ山の中
・・・堂々の2階建ての建物がありました。
いわゆる「造林小屋」はたまに見かけるのですが、2階建てとなると「小屋」というよりは事業所であり、ちょっと珍しいので記録。

この場所は民有林ですが直轄治山事業が長く行われている地域なので、営林署関係の建物かなと思ったのですが、少なくとも今現在は市または財産区が管理しているようです。
もっとも、すぐそばに森林管理局の詰所があるので縮小に当たって地元に譲与された施設という可能性もあります。
ちなみに財産区と同名の廃集落(S41年集団移転)があるものの、古地図を見ると位置はさらに上流なので関係は薄そうです。
・・・まぁ詳しい事は私には分かりませんので、いつも通り「今の状態」を紹介。



正面玄関
2階建の建物の前部にくっついたような入口で、この部分だけ薄緑でペンキ塗りされています。
内部は事務所風。比較的新しい資材が突っ込んであったので、ここだけは物置として使用されているようです。



どこかで見たようなカサ



鬼瓦(トタンですが)部には地名「松川入」を図案化した意匠が使われているなど、結構いい作りです。
・・・営林署がこういうことするんだろうか?という疑問はあります。



側面
2階部分のみ瓦棒葺きで、あとは平板葺き。
庇が雪で壊れているものの、あとは概ね現役時代のままの模様(こちら側は)
2階建て部分は宴会できそうなw畳敷きの大部屋になっており、生活スペースの模様(恐らく二階も)。
・・・今は無人の山奥ですが、かつては山仕事の人々が大勢出入りしたものと思われます。



この古い窓ガラスの反射の具合が好きです。
太陽が出ている内は部屋の中は暖かそう・・・





裏手に回ると反対側の平屋部分は屋根が盛大に破壊していましたw
庇同様に、2階から雪が落ちるのでしょう。
内部の様子はわからないので、この正面向かって左に伸びた部分がどんな部屋なのかは不明です。
小さい窓は便所、あとは・・・風呂か台所か?あるいは事務室かもしれません。





オマケ



すぐそばにあった2階建ての建物
こちらは純然たる宿舎のようです。
妻面のオレンジ色っぽい部材は鋼材なのですが、見たことのない建て方です。
・・・今でいうプレハブなのでしょうか・・・?

木曽C型客車の車内

2017-01-19 07:00:38 | 今日の製作所


年末に発売されたトーマさんのC客

先回の木製運材同様の雰囲気の良いキットです。
お手軽にこの手の車両を入手したい方にはうってつけ、素組でも塗ってしまえばレイアウト栄えすることでしょう。

・・・しかし、床板が無い!笑
仕上げてしまえばあまり目立たないのかもしれませんが、窓から車内を覗けば地面が見えてしまいます。
※プラ板で塞ぐように説明書に指示あり。

せっかく床板を作るのなら、と内装にこだわり始める方もいるかと思いますので、長野市の中部森林管理局に置いてある車両の車内を。



このタイプのC客はここの他、開田と赤沢に保存車があります。





車内には転換式の座席が9席
椅子は緑に塗られていますが、赤沢のものは水色です。・・・水色が当時の色?
脚が結構凝った作りになっていることに注目
・・・まぁ自作で再現する方はいるか分かりませんがw

車内真ん中に電燈が1個、棚も両側に有ります。


※追記



赤沢の個体の車内の写真(腰板が抜けており中が見える)を確認したところ、脚の形状がかなり異なることが分かりました。


ところでこのキット、床板を入れようとすると屋根を塗装後に接着する必要が・・・
台枠部分をいったん切って組み立てるのが楽か?
「思い通りのモノ」を作ろうとすると色々考える所のあるキットです。

浦森林鉄道の面影(完)

2017-01-11 20:04:54 | 旅行


さて、旅日記の続編



前回の切通しを抜けると・・・



「スパッ」
路盤完全流出・・・
ここは獣道を頼りに頑張って進みます。

進みますと・・・





この路線唯一のトンネルが姿を現しました。
「瀬戸峡」と名の付いた極めて切り立った峡谷の岩山を貫いていました。
・・・反対側でも土砂崩れが起きており、残念ながら閉塞&湛水しています。

トンネルが通れないので、このまま進むと峡谷の中腹を歩く・・・という事になるのですが、とても無理!
なので直上を通る林道へ逃避!
・・・地図読みでは50mほど直登したようです。



生きている林道へ「生還」



写真がヘタクソですが、この岩山の中をトンネルが通っていました。



林道から見下ろす瀬戸峡
眼下の緑色の木の生えているあたりがトンネル反対側出口付近ですが、完全に埋まっているようです。
対岸もかなりの断崖です。




林道にはおなじみのレールで作られたガードレールが見られました。



そして、トンネルを抜ければ見事なアーチ橋があるはず、と見下ろすと・・・



ありました!
林鉄にしてはかなり立派です、前後もコンクリート製の桟橋?になっています。

しかし!降りられない!!
・・・林道に登っている途中から予感はあったのですがw
林道からこのアーチ橋へアプローチすることは不可能のようです。
戸草ダム調査用の足場が以前はあったようですが、現在は何もありません。


撤収!
林道からの接近は無理なので、戸草へ撤退。
時間もあるし・・・と河原を瀬戸峡方面へ向かいました。



幸い河床は堆積が多く、比較的平らになっていて安全に進めました。



が、トンネルの真下付近で渡渉が必要な場所があり(と言っても深さは20cmもありませんが)、氷点下ではちょっと危険なのでこれまた断念。
・・・写真奥のカーブの先にはアーチ橋があると思われます。

行くなら夏にしましょう・・・という事で今回の探検は終了です。


最後に、美和ダム管理所にて旧版の地形図が閲覧可能でしたので、今回の旅の答え合わせを。





森林鉄道が描かれた地形図は昭和27年の応修版。
実線の片側に棒が書いてある線が浦森林鉄道です。
やはり私が集落跡と見た場所は「奥浦」集落だったようです。車を止めたのが集落最上部、道を間違えたのは下の方のようです。
・・・想像以上に人家があり、桑畑や田んぼまであります。
「前浦」は現在の「浦」集落
浦分校が浦集落の一番奥に立地しているのはもちろん用地の関係もありましょうが、学校より奥から通う子供たちもあった事の証しなのでしょう。

「小瀬戸峡」には林鉄の橋が。これがアーチ橋です。
トンネルは書かれていませんが、あの断崖はトンネル無しで通過は考えにくいので、遺漏と思われます。
「小瀬戸峡」がいつの間にか「瀬戸峡」になっているのも面白い所。

「戸草」にはやはり橋が描かれています。
「戸草」「塩平」「割芝」といった集落の子供たちはこの橋を渡って学校へ通ったのでしょうか?

こうして古い地形図を見ると、今では無人と化した山奥の大勢の人達の暮らしが見えてきます。
海外産の木材と、やはり海の向こうからやってくる石油によって、これらの集落からは人が出ていきました。
三六災が引導を渡したのは確かでしょうが、既にそこに暮らし続ける利点が無かったのでしょう。
ここにいた人たちはどこへ行ったのか?
そんな事は分かりませんが、石垣だけがそこでの暮らしを伝えていました。


※今回探索した土地は県有林・国有林です。落石や野生動物など危険が多いので、万一真似して生じた結果については責任を負いかねます。
無理せず、迷惑かけず、自己責任で・・・

浦森林鉄道の面影

2017-01-07 16:08:15 | 旅行


工場長は遠山林鉄ばっかり行っている訳ですが、伊那谷には他にも森林鉄道が存在しました。

その一つが伊那市長谷にあった浦森林鉄道
昭和14年に浦国有林に敷かれた森林鉄道です。
昭和36年の三六災害で致命的な被害を受け、昭和39年には廃止となったようです。

使用された機関車は廃止後に遠山森林鉄道に移動し、現在梨元に保存されているものも浦森林鉄道を走った機関車だそう。
伊那谷と木曽谷の機関車は営林署間の移動が結構見られます。

沿革や全線にわたるレポートは他のブログ等には敵わないので、ワタシのはお散歩記事ですw



今回歩いたのは地図の部分(地理院地図にルートを手書き)
浦集落からこの鉄道唯一のトンネルと、一番の見せ場のアーチ橋を目指しました。
(ピンク線が往路、緑が復路です)

ホントは浦分校跡すぐの分岐から下に降りたかったのですが、
下へ向かう道が廃道っぽい&車を置く場所がない
という事でだいぶ離れたところからのスタートになりました。
・・・でも結果的に面白かった?

車を置いた場所は段々に平場の築かれた場所で、集落跡のよう。



特に深い沢ではないのですが、水がドンドン流れています。
そして下に降りる道に入りしばらく行くと、



石垣が現れました。
ちょうど車を止めた場所の下あたり。
やはりこの辺りには人が暮らしていたようです。



穏やかな朝日だけはここに人が住んでいた頃と同じ。
この地域特有の緑色の石の石垣・・・最高です。

さらに降りるとかなり開けた場所に・・・
そろそろ第一の目標である戸草にある吊橋が見えるかなと見下ろせば



お、ありました!
だがしかし!



比高がありすぎるw

道なりに行けばたどり着けると思ったのですが、道はどんどん南下するし、現在地の下は崖になっていて、折り返し吊橋へ向かうとは思えない・・・
ちょっと間違えたようです。
気を取り直して北へ戻り、吊橋への道を探します・・・



・・・正しい道はコレのようです。
橋の両側の路盤が流失したもの。
ここからは道幅が一気に狭まります・・・



が、所々にこのような路盤が現れるので、元々は荷車程度は通る道のようでした。
(自動車が通るには勾配・九十九折れがきつすぎる)



無事に吊橋へ。吊橋も健全な状態でした。
・・・どこにも銘板も橋名板も無いので「戸草の吊橋」としておきます(汗)
これを渡ると戸草という場所に着きます。
かつては停車場があり、三六災以降はここが終点だったとのことです。



吊橋から見た戸草
・・・現役時代の写真を見たことがないので、当時の面影があるかすら分かりませんw

戸草には河原から一段上がった所に広場がありました。
そこから上流側を見ると



上の道へ登っていく車道の下になにやら小さい平場が・・・
怪しいので進んでいくと



切通しになっており、やはり林鉄の路盤でした。



良い切通し!松の木が廃線からの時間を物語ります。


・・・次回、トンネルとアーチ橋は姿を見せるか!(前後2回予定)

初めて地面した

2017-01-06 21:00:35 | 今日の製作所


2017年が始まりました。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。
・・・たまに来たら新しい記事が色々・・・と言う具合に投稿していきたいと思います。

さて、今回は当工場初の地面ネタです。



とはいえこんな小規模!ナロー1両の「お立ち台」です。
とある企画のために100円ショップで購入した10センチ四方のショーケースにまとめました。



走らせないのだからという事で、毎度余る鉄コレのレールをカットしてケースに収めて使用。
車両はこないだ製作したカブースと運材台車としました。
・・・編成の長さをイメージさせたいので、運材台車は片方のみとして斜めにカットします。





材木はコレ!と100円ショップで買った木の枝?を使用。
・・・使ってみたのですが、使えるような太さ・長さ・カタチの枝があまり入っていないので、その辺で拾ってくるのが賢明だと思われますw
このサイズでは木を入れるのもどうかなと思いまして、その辺で拾った石を配置してみました。これは木工ボンドで固定します。



そして土を表現。
レールと枕木は予めこげ茶で塗装。
そこに、その辺の崖で採取した真砂土と石膏粉(画材屋で購入)を適当に混合した土を散布
刷毛などで均したら霧吹きで水をかけて濡らし、石膏で固めてしまう魂胆です。



水を撒いた直後。
一日乾かすとまぁ満足の固着具合でした。
・・・が、思ったより白い・・・ので、塗装!



Mrウェザリングカラーをエアブラシで吹き付け



タミヤの墨入れ塗料を線路周りに染み込ませるようにしました。
・・・結果は上々。個人的には満足です。ウェザリングカラー万歳(笑)


続いて草を生やします。

使用したのは猫じゃらし



根元からカットして行くと束になって取れるので、こいつを木工ボンドで地面に置きます。



いい具合です。
イメージは晩秋。もうちょっと早い時期をイメージするなら緑っぽく着色するのもアリでしょう。



最後にコースターフをまぶし、スポイトでボンド水を撒いて全体を固めて完成!
荒野を行く運材列車のイメージです。
・・・ちょっと西部劇の舞台なんかをイメージしているのは内緒ですw