工場長の製作日誌

模型製作記録とか辺境の記録とか

上田丸子の木造電車を作る

2018-05-27 19:27:52 | 今日の製作所
いくつも同時に工作しているとある程度まとまったらブログ付けようと思うんですが、途中で作業が停まってしまうとどこまでブログにしたか、というかブログ書いたかすっかり忘れてしまうようなモノもありますね・・・

こいつも10月末に工作を始めて年末に作業停止、いつの間にか5月が終わろうとしていて慌てて再開w



TMS633号の小林信夫氏の記事に出ていた図面を基に製作の上田丸子電鉄モハ3130です。
私の16番ペーパークラフトの3作目になります。



材料は友人の香典返しの菓子の空き箱
・・・なんとなくただ捨てるのが勿体無く、ずっと残せたらなと。
いつもは方眼の印刷されたいさみやの車体用工作用紙を使っています。
でもコピーした図面を基に切り出すなら、方眼が印刷されている必要は全くありません。





菓子箱には予めラッカー塗料を缶スプレーで両面、厚めに吹付けます。
これでタミヤセメントで頑丈に接着できるようになります。
今回は余っているクリアラッカーを吹きました。
コピーした図面を余白を残してカット、四隅をテープで固定してデザインナイフで切り出します。
・・・内板と外板それぞれどの線を切るか考えて切りましょう。

※小林氏の工作法では外板のみこの工法で切り出し、それを内板に張り付けた上で内板の窓などを切るようになっています。これだと定規を当てる際、外板の厚み分の空間が出来てしまい正確にカットできないと思うんですが、まぁ慣れなんでしょうね。
一度試したのですが中桟の無い1枚窓なら十分いける工法だと思います。※



カットした車体
木造車の特徴の腰板の短冊状の板表現は、ボールペンでなぞって表現しています。
・・・ちょっと太すぎました。汗
前面は大きくカーブした半流型
折角内板を後から接着するので窓枠は実車通り平面に・・・
この場合、折り目は普通のカッターの背で筋を入れて定規を当てて折り曲げますが、窓と窓の間はキレイに曲げるのは難しい・・・
その場合は窓と窓の間だけ切ってしまうとキレイに曲がります。



内板と外板をタミヤの流し込み系セメントで合わせたら箱組みします。
骨は2ミリ角棒



扉の下部分は裏にさらに1枚紙を当てているので切欠いて、木工ボンドで接着





私はこんな具合で骨を入れます。
これで幅が決定します。
要所はアロンアルファで完全固定。





前面はそれに合わせて曲げて接着。

これで箱になったので続いて屋根を・・・



のぞみ工房の「ほぼピッタリ屋根板」を使用。
ピッタリではないwので、両脇をカットして幅を詰めています。
80番~の粗い紙やすりを使っての地味な作業です。







削り出したら一度溶きパテを塗布して削り、車体に接着。
今回試しに「溶きパテによるザラザラ屋根」表現をやってみました。
溶きパテをシンナーで薄め(パテが古いから大分濃くなっているせいもある)、筆で塗って上からトントン叩いて柚子肌にしていきます。
筆の硬さとパテの濃度に影響されますのでまだまだ修業が必要ですね。

※今回、屋根板を車体に接着する前に整形をしていますが、これだと端部が削りすぎになる恐れがあるので、車体と接着してから整形した方が良いかもしれません。
・・・そうすると車体を傷つける可能性もありますが・・・



つづいて車体の凹凸を。
雨樋(1段目)と扉両脇の縦筋?は車体を切り出した紙の余り、後はプラ帯材を使って表現しました。
・・・ラッカー塗料を塗っているのでプラ材はタミヤセメントで貼り付け可能です。







使っているのは写真の材料
※0.75と0.8はメーカーが違うというだけでほとんど同じ、むしろ0.75の方が幅があるように見えます(汗
実物の写真を見ながら厚さなど考えて表現しています。




パンタグラフは中古屋さんで入手の大型の物を使用予定。
・・・Nのパンタと違って非常に高いので、これが電車を自作する際のネックだと思います。


つづく

下津井電鉄の保存車を見る

2018-05-15 06:30:10 | 旅行


新幹線のガード下、おさふねサービスエリア裏に保存されている3両の下津井電鉄の保存車を見学しました。
下津井電鉄は大正2年から平成3年まで走っていた軽便鉄道です。

ここには3両の保存車があり、荒廃していましたが最近整備されて非常に美しい状態になっています。



・・・案内板
「種類 量産品」の記述は???である。

まずはクハ6



気動車改造のクハ
・・・ちなみに762ミリ軌間の鉄道で総括制御運転を始めたのは下津井電鉄が初。
日車製のバケットカーで、前後に荷台がついています。
どちらに連結しても運転できるタイプのクハかなと思っていたのですが、北側の運転台は撤去されており、こちら側に電動車を連結していたようです。





北側前面はヘッドライト・尾灯が撤去され、窓下部に保護棒が取り付けてあります。
よく見ると運転台の仕切りなども確認できません。
ちなみに3両すべて扉は施錠してあり、車内には入れません。
(荒廃時のまま復元されていない様子)





その床下
エンジンを吊っていたはずですが、クハのまま保存されているのでガソリンカー当時の様子は分かりません。





クハ6の台車
運転台側の台車は明らかに改造の跡が見受けられるのが気になるところ。
恐らく気動車時代は偏心台車だったと思うので、それを普通のにしたという所でしょうが、
わざわざクハの偏心台車を改造するというのはちょっと疑問。

・・・という事で、Wikiを見てみると
・気動車改造電動車(モハ50~55)の2度目の更新に際して偏心台車を普通の台車に改造
・あわせてクハ7・8も改造したが手間が多くて小型のクハ5・6は改造見送り
とある。気になってクハ5の写真を見ると
・クハ5の保存車は偏心台車のまま
・モハとクハ7・8の台車はクハ5・6とは形状が違う(後世の振替ではない)
ということが分かりました。

~という事は、
Wikiには「改造見送り」とあるがクハ6は偏心台車の改造だけは実施
ということなんですかね?
制御車でもそんなに偏心台車で不都合があったのでしょうか・・・?




続いてホワ10
典型的な軽便貨車です。
・・・軽便では短い車両でもボギー車になっていることが多いです。



端面
非常にノッポな感じ。
下津井では貨車は最後までバッファリンク式の連結器でした。



ブレーキ装置
典型的な踏んで操作するタイプです。
・・・この車両は片側の台車にしかブレーキが付いていません。


最後は客車のホハフ2



下津井開業時に用意された客車のうちの1両だそうです。
・・・色はオリジナルではないけど、ここに来た時からこの色みたいです。



車内を覗くと南西側の1窓分だけ仕切りがあり椅子がありません。
車掌台か何かですかね?



台車。貨車も同型でしたが、車輪が面白い形状です。



トラスはコの字の鋼材を使った簡易なものでした。
・・・模型の参考に非常に変な視点でお送りしていますw

ところで、この客車はデッキ部の手すり類が一切付いていません。
現役時にこの状態では非常に危険wなので、昔は付いていた訳で・・・
当時は他では見ないちょっとオシャレな形状をしたものでした。

・・・それを参考に作ったのが私の模型



こんな感じの手すりが付いていた訳です。
で、いつの間に失われたのか気になって探してみたのですが、

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link247.html

1959年
まだ付いてますが、既に廃車されているようです。

https://umemado.blogspot.jp/2010/09/blog-post_15.html

1962年
3年後既に物置化し、手すりも失われています。
・・・この車両、55年も前にこんな状態なのに今も現存しているのちょっと凄くないですか??笑

http://satoyama.in/auto/sharyo/auto678.html

1975年
これは番号不明なのでこのホハフ2なのか分かりません。
しかしながら、ネットで調べる限りホハフ2の鉄道廃止の頃の写真が無いのと、62年の写真の13年後という事でこんなになっても不思議ではないという事で同一の可能性が・・・

創業当時の車両という事で大切にしていた、という事でも無いのか・・・?
ちょっと不思議な運命ですな。

猫屋線を改造する

2018-05-14 06:43:46 | 今日の製作所


先日岡山で下津井のガソリンカー改造クハを見学



バケットカー良いナァこれ猫屋線のキハそっくりなんだよナァ~
とか思ってしまい、早速作製w



使ったのはアルモデルの「猫屋線キハ1・ホハフ50改造パーツセットB」
出た時に買ってそのままでした(笑
使えそうなパーツをひたすら詰め込んだような板です。
・・・使い方の詳しい説明が無いパーツもあるので、その辺も含め創意工夫でしょうw

これの荷台を猫屋線キハ5に取り付けます。



組立は荷台のみなので至って簡単
動力は指定の17m級では少し内股・・・バケット付のクルマはバケットの付け根あたりに前の車輪が来るくらいのオーバーハングのが多いです
ということで、19m級の動力を使用しています。
※車輪径6mmのものが19m級しかなかったのでコレにしましたが、18m級の方がバランスは良さそうです。



猫屋線は猫屋線の色のままにしたいという思いがあり、そうは言ってもバケットは塗らねばならず、青を調色して塗装しています。



車体の腰板と幕板も再塗装したのですが、社紋も残したかったのでマスキングゾルで丸くマスキング。
内側は元の塗装のままですが、違和感ほぼ無く仕上がりました。
青はGMの6番に22番を混ぜて使っています。
・・・この言っちゃなんだけど薄汚い緑っぽい水色?って市販でなかなか無いんですよねw



仕上げはMr.ウェザリングカラーで窓部などスミ入れ+全体にウォッシング、さらに原液をエアブラシで裾部に吹付けています。
盛大に砂埃を舞い上げて走るイメージで。キハは黒で排ガスの煤も表現しました。

軽便私鉄にしてもややきつめの汚し。
この会社の車両の整備状況はあまり良くないようですw





加悦SL広場へ行く

2018-05-11 06:20:16 | 旅行


GWのイベント、加悦鉄道まつりに行ってきました。
・・・大人気でちょっとびっくり(笑





前回訪問時にはレストア中だったハ10は修繕完了して展示されていました。
ちょっと大きめで膨らみのある銘板が良い感じです。






本日の主役のDB201
昭和28年森製作所製。戦後製とは思えないゴツイ仕上がりが特徴?w
「DB201入線時の試運転を再現」ということで、キハ101をけん引する格好で構内を120mほど往復するイベントでした。




けん引されていたキハ101(昭和11年製)
日車の標準的な小型気動車ですが、国内に残る唯一の片ボギー車。





1軸側が駆動軸になっています。
「コスト削減のため両側ボギー台車にせず片ボギーを採用した」というケチな理由で片ボギー車が誕生したと思っていたのですが、どうも違うようで・・・
こうすることで駆動軸の軸重を増やして牽引力をアップさせるのが目的だったようです。
実際このキハ101は貨車を1,2両牽引して活躍していたとのこと。
・・・戦前のショボいエンジンと小型軽量な車体の小型車にとっては重要な問題だった模様。
(Wikiより



前後の荷台には郵袋が積み荷として搭載されていました。
・・・自転車なども載せてみたいものです。



運転台
ハンドルはステアリングではなくハンドブレーキ(自動車でいうところのサイドブレーキ)





車内の様子
模型資料ですw
いつかフクシマのキットでも作ってみたいものです。

草履を吊るすということ

2018-05-08 20:44:06 | 旅行


旅行記は切り出し切り出し…

連休中に立ち寄った場所の一つの兵庫県朝来市の神子畑(みこばた)

目的はモチロン神子畑選鉱所※なのですが、時間に余裕があるのでブラブラ散歩…

※金属鉱山の多くは多種類の鉱石を採掘するため石を種類ごとに選り分ける必要がある






建物本体は既に解体撤去されていますが、シックナー等のコンクリート構造物が残されていて何とも言えない空虚な雰囲気に包まれています。






選鉱所より谷の上の方へ行くと小学校跡
施設操業時には集落も相当な賑わいだったのでしょう。




小学校の前から道の先を見れば小さな橋
袂には銀杏の古木と赤い帽子を被ったお地蔵さん
そしてそこから集落が始まるようです。

・・・なんとも日本的な景観、なのですが、ちょっと見慣れない物を見つけてしまいました。



銀杏の古木(気根も出ている!)に大きな草履が吊るしてあります。
対にはなっておらず、また紐には削った枝が刺してあります。

・・・この草履を吊るすというのは下伊那でも一度どこかでみたような記憶があり、どこかで聞いたような気もする・・・

という事で調べてみると、
「ミチキリ」といって集落の前後の入り口に大きな草履を掲げ、
謂れは色々あるけれど厄除けの意味があるそうです。
https://blog.goo.ne.jp/trx_45/e/0b188af28547ce5ab1f31b51833ce143

周囲は全くの無人だったため由縁などは不明ですが、もしかしたらムラの反対側の出口にはもう片方の草履があるのかもしれません。
・・・でも片足の神さまなら面白いななどと



山深い人里
忘れられたような文化が今も息づいていました。