今では10両編成の電車がドシドシお客を捌いている京王線
終戦後はこんな電車が2、3両編成で甲州街道の真ん中をゴロゴロ走っていました。
この2118は2119と共に東京大空襲で焼失した車両を桜上水の工場で復旧した第1号で、屋根が異様に深く「蛸坊主」などと渾名されたようです。
2118は車体中央が垂れ下がっていたものの1960年代まで使用、2119の方は最初から台枠が歪んでいてしょっちゅう脱線、早期に売却されています(それでも買い手があるのが資材難の当時w
が、初めて個室式の運転室が付き、超満員でお客が運転台にまで押寄せる中で乗務員には人気だったとか。
http://drfc-ob.com/wp/archives/38607
さて、模型の方はケント紙によるフルスクラッチ!
高校時代に初めて作ったもので思い出の作品でもあります。
・・・今更完成なのかって?
実は一度(半)完成していたのですよ。
当時はタコ坊主が京王引退後に庄内交通へ譲渡された姿を作ったのでした。
(京王2119→庄内7)
学園祭ではこんな感じで走行しました。
・・・しかし、やはり当時の施工能力では満足のいく物が作れず、暫くの後に金属キットを入手(まだ作っていないw)したため引退。
動力など取り外してジャンク箱に長く放置されていたのでした・・・
先日ジャンク箱の整理の際に出土
当工場の記念すべきスクラッチ第1号ですので、出来がイマイチなのには目を瞑りレストアする事としました。
・・・というかイチから作れと今言われても気力が無いww
まずは下地処理。
元の塗装の上にサフを吹いて削っているので元の塗装がまだらに見えます。
屋根はペーパールーフで綺麗なRが出ておらず出来る限り整形しました。
・・・ペーパールーフ工法はとりあえず初心者でも完成させる事は出来ますが、綺麗に作ろうとした時他の工法より難しい様な気がします。もし今やるならプラで作るかな?
屋上にはキッチンさんのキットの余りのランボードなどをそれらしく追加してみました。
扉上の水切りはランナー伸ばし棒です。
前面、側面は殆ど弄らなかったため仕上げの甘いボコボコ車体です。
が、戦災復旧車らしくて良い?w
床下はMODEMO動力を使用していましたが既に無く、割り切ってトレーラーとして復元。
鉄コレ能勢電50の床板をそのまま流用。床下機器は鉄コレの京王2400から持ってきました。
能勢電のブリル台車にKATOのスポーク車輪
良く似合います。
この台車はセンターピンと側面部分がすぐ外れてバラバラになってしまうので、これは接着剤で固定しています。
そして塗装
時代設定は1950年ごろまでの尾灯が1個の時代としました。
・・・進駐軍の命令で2個となったそうですが、しばしば球切れしてたんでしょうね・・・汗
この当時の鋼板屋根の車両は鉛丹色ですが、コレがうまい色が無いんですよね。
クレオスの茶色(基本色)に赤や濃茶を混ぜてみましたがまだ明るすぎる?ような気がします。
まぁこの辺は個人の好みですね。
ダークグリーンにはクレオスの三菱系濃緑色を使っています。
インレタはGMの5000系用(一畑用?)を使いました。
白い京王の社紋はこれだけかなと思います。
車番の書体も違うし、KTR(京王帝都)もホントはもっと大書きしてありますが・・・汗
リアルにウェザリング・・・すると実車はガラスが割れていたり板で塞いでいたりしていると思うのでw全体を艶消しにして仕上げました。
ちょっと博物館などにある模型のようです。
この年代の京王電車のNゲージを持っている人は余りいないのではないでしょうかw
片運なので相棒も欲しいし、金属キットの庄内交通も作りたいのですが、まぁ急がずやっていきたいと思います。
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