昨日,名古屋市の就学指導委員会の言語・聴覚専門部会に出席させていただいたときのことです。会議資料を配ろうとしていた私に,校長先生が一言。『上着を脱ぎなさい』この場合の上着とはいわゆるコート(外套)のことですが,渋滞に巻き込まれてギリギリにしか会議場に入れなかった私は慌てていたので,コートを羽織ったまま建物の中にいることを忘れておりました。お陰様で一呼吸置いて落ち着いてから資料を配ることが出来たわけです。そのとき私の脳裏に大学時代の恩師の言葉が蘇りました。とても寒い3月の講義で,しかもその日はその先生の大学での最終講義でした。4年の私は本来受けるはずのない講義でしたが,3年の最後にテストで大失敗をして先生に『来年も私の講義を受け直せ!』と研究室を追い出されたという苦々しい記憶があります。そんな先生の,大學退職前の最終講義という記念の花道を,しかも先生にその場にいた全員で『ありがとうございました,お疲れ様でした。』と御礼の言葉を述べた直後に,私は今回と同じことをして怒鳴られました。『建物の中で外套を羽織るとは何事か!よそ様のお宅へ伺ったときに玄関の前で外套は脱ぐのが礼儀だ!外へ出てから着よ!』それはもうすごい剣幕で叱られました。一生忘れられないことです。その先生は大學の名物先生で,ジーパンを嫌い,彼がいたからうちの大學はスーツ&ネクタイ着用でなければいけなかったといっても過言ではありません。この先生にはジャージ姿でピアノの練習に励んでいるところを見つかり,着替えを命じられたこともあります。国語の先生なのにピアノ練習室の前に研究室があるため,よくのぞきに来られていたのは知っていましたが,とにかく礼儀作法と敬語法についてをやたらと厳しく指導される先生でした。まだ21歳の頃の私には,その先生が話す礼儀作法や敬語法が,正直とても鬱陶しく感じられたものです。しかし,卒業して就職してみるとその話の一つ一つが常に思い出されるのです。礼儀作法については特に感じます。そして若い人を見るたびに,おそらくその当時の恩師と同じ目線で相手を見ていることに気づきます。大東亜戦争(第2次世界大戦のことを彼はこう呼ぶ)時代に満州で中隊長代理として自動車部隊を率いて戦った少尉だった彼は,国語科の講義の時にいつも胸ポケットから『軍務手帳』を取り出して礼儀作法の講義から入りました。今の時代に軍務なんて古くさいことを,と思われるのが普通ですが,彼もその中から今の時代に必要な部分を抜き出して講義していたわけです。古い時代の話であっても,今の時代に受け継いでいかなければならない大切なものはたくさん存在しています。礼儀作法もその一つ。もちろん敬語法も。12月8日を過ぎ,戦争の恐ろしさを語る2度目の機会を得て,子どもたちにそんな話をしながら,ふと,恩師の言葉に思いを馳せる今日この頃でした。大學退職後に1年ほどですぐにお亡くなりになられた,と書くと二重敬語であると叱られた記憶もあるので,亡くなられたと敢えて書き直して,岡部直裕教授に合掌。
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