夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

八段誕生の瞬間!

2018-12-03 03:49:37 | 剣道
 私の敬愛する、我が子たちの剣道の師匠が、秋の試験で念願叶って「剣道八段」を取得された。合格率が0.何%という過酷な難関を乗り越えて、子どもたちに「諦めずに挑戦し続ける姿勢」を示してくださった。私も自分のことのように嬉しくてたまらない。子どもたちが指導を受ける教室の先生が「剣道界最高段位」になられたのだ。そんな凄い先生に指導を受けていることが、いつか我が子の誇りに感じられるようになる。恐れ多くも娘が花束贈呈の係に選ばれて、昨日のお披露目に参加した。長男が習い始めたばかりの頃に「丸目蔵人戦」に出るほどの方だったので、いつかこの日がやって来るとみんなが信じていた。3兄妹がお世話になり、最後の娘が引退直前に成し遂げられた「八段」。その場に我が子を通じて関わることができたのは嬉しい限りである。
 思えば、大学2年の頃に、恩師・鷹尾先生が九段を授与された時以来の高段位だ。興奮度はMAXである。鷹尾先生に出会わなければ、剣道の八段というものが、そんなに凄い人なのだということに気づきもしなかっただろう。大学の剣道場に中京テレビが取材に来ていたのを覚えている。あの年に鷹尾先生は定年退職を迎え、皇學館大学名誉教授になられたのだ。大学から駅へ歩く途中で先生に出くわすと、いつも宇治山田駅の近くのうなぎ屋さんでうな重をご馳走になったものだ。先生が亡くなられた今でも、そのお店には先生の書や直筆の暖簾がかかっている。
 大叔父の東春雄氏が、当時三重県で3人しかいない「範士」に合格したと父に電話してきたのが、私が小学5年生の秋。昭和53年のことだ。しかし、「範士・八段」の凄さを知らない我が家の人々(私も含めて)には「ふ~ん、そうなんだ、おめでとう」位にしか感じられなかった。況してや大叔父だからそんなに凄い人だとは思わなかった。ご近所の剣道場の先生(後の剣友会館長先生・故人)に「何故お祝いして差し上げないの!?」と苦言を呈されたくらいだ。小学5年の夏に剣道部に入ったことを知らせた時、身内で剣道をやり始めた人間が私しかいなかったから、大叔父はとても喜んでくれたらしい。早速、竹刀に「贈 夢野翼君へ 範士八段 東春雄」とサインを書いて送ってきてくれた。私の名前の3倍くらい大きな文字で大叔父の名が書かれていたので、「誰の竹刀なんだ?」と笑っていたくらいだ。剣道に関わっていないと、範士八段の凄さは分からない。関わっていても、この頃の私のように、雲の上の神様の存在など知るよしもない。今の剣道部の子どもたちに「範士」と言っても「半紙?」と習字の紙と間違えるくらいだ。だから、師匠が八段に合格したことで沸いているのは、長い間師匠の元で稽古をしてきた中高生・大学生だけ。小学生や稽古に直接関わっていない大人では、その凄さは分からない。お祭り騒ぎに便乗しているだけなのだ。もっと価値のあるセレモニーをしたいところだが、師匠は派手な演出を嫌う。いつも控えめな方だ。その人間性が良いところとしてみんなの尊敬を集めるのだろう。本当に素晴らしいことだ。
 八段になると、ただ単に剣友会の指導をしているだけでは留まらない。全国に行脚して剣道普及に尽力しなければならないのだ。鷹尾先生もしょっちゅう出張と称して留守にされていた。これからはなかなか剣友会にも来ていただけなくなることが増える。現役の警察官である以上、鷹尾先生のようなことはないと思うが、少なくとも、県内の稽古会や段級審査には顔を出されることだろう。益々お休みがなくなっていく。身体を大事にしながら、八段としてのお役目を果たされることを切に願う。心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。5年後の選抜八段優勝大会と10年後の「範士」を目指して、修行に終わりはありませんが、次を楽しみにしています。
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