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ma_kunの徒然日記

日々の出来事を綴っていきます。

日帰りバス旅行

2015年12月07日 | 旅行


12月4日


『コース』舞子公園(海上プロムナード)⇒マリンピア神戸⇒めんたいパーク(工場見学・試食・買物))

区の老人連合会の主催の歩こう会のバス旅行です。
大型バスが8台で364名の参加者で男の参加者が80名程度とか
男女の平均寿命の差が此処でも現れています。




舞子公園海上プロムナードを楽しみで参加したのですが
高齢者が多く、この日は冬型の気圧配置が強まって暴風で
プロムナードへ行くのが中止になりました。



舞子海上プロムナードは、海面からの高さ約47m、陸地から約150m、
明石海峡へ突出した延長約317mの回遊式遊歩道です。
プロムナードは写真の様に風には影響が無いと思うのですが・・・




行き先を急遽変更して三田市の中心街からすぐのところにある有馬富士公園へ
ここは公園内で食事が出来ないとかでバスの中で食事です。




有馬富士と福島大池

有馬富士公園はいくつかのゾーンに別れていて、
大きすぎてとても一日では回りきれないほどの広さです。
食事時間を入れて約2時間公園を散策。

有馬富士は兵庫県三田市にある標高374mの山で
今までにma_kunは三回登っています。




相変わらず風が強く寒いので三田市立有馬富士自然学習センター




子どもたちのための体験型自然学習施設
巨大なクワガタ「つよし君」に出迎えられ屋内に入ると、
三田の自然をテーマに、見る、聞く、触るなど、
五感を使って感じることのできる展示(常設展・企画展)がしてありました。


 

里山の地下をくぐりぬける「地中トンネル」
コナラの地中から空を見上げるようになっています。

平日では親子連れの姿もなく、老人達が子供に返って楽しんでいました。


次は中国自動車道 神戸三田ICすぐにある 明太子専門テーマパークへ



明太子メーカー・かねふくが営業する「めんたいこのテーマパーク」
今年の3月13日グランドオープンしたそうです。




係の人の案内で工場見学です。




たらこの親のタラの勉強
明太子はスケソウダラの卵です。
朝鮮語で明太(ミョンテ)と言い
その卵なので明太子となったそうです。




工場見学
工場内は手作業でとっても地味・・・




試食コーナーでも女性の勢いには負けます。




とても正面から写真は撮れず、横からの一枚
皆さん生き生きして老人とは思えないです。




出発の15時15分が近づいても未だレジに並んでいます。

残りの「マリン神戸」へ行くかと思っていると大阪へ帰ります~~だって

予定より約1時間早く着

来年あってももう行かないよ!!


奈良・明日香の里 (続)

2015年12月05日 | アウトドア



聖徳太子創建七寺の一つ橘寺から亀石へ





(13:30)

亀石

重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が巧みに彫られてあり
何のためにここにあるのか謎とされています。



亀石は、以前は東向き、現在は南西を向いていますが、
西の方を向いたとき、大和一円は泥の海と化かす、という伝説があるそうです。




亀石横の休憩場兼売店では子供達の賑やかのこと・・・・



鬼の俎・鬼の雪隠方面へ



収穫しないのか柿がすずなりに実を付けています。



(13:55)

天武・持統天皇陵

持統天皇の遺言により、夫の天武天皇とともに夫婦仲良く同じ陵に納められています。



(14:00)

鬼の俎



すでに江戸時代から観光名所だったそうです。



鬼の雪隠




高松塚古墳へ



(14;15)

国営飛鳥歴史公園館



石舞台地区、 祝戸地区、甘樫丘地区、高松塚地区の4地区の
施設や催し物の案内をはじめ、飛鳥地方の史跡や歴史を
立体模型や映像を用いて紹介されています。



高松塚古墳が、鮮やかな壁画の発見とともに
大スターになったのは昭和47年3月の事でした。


(14:40)

高松塚壁画館

古墳の中には入れないので、隣接の高松塚壁画館にて、
実物大の模型やパネルなどで、内部の様子を
見る事ができるのに誰も入ろうとしない。
入館料250円



築造当時の状況に復元整備された高松塚古墳の墳丘




飛鳥駅へ・・・


(15:00)

飛鳥駅着
此処で子供達とはお別れ・・・




解散後は大人達の時間でした。


奈良・明日香の里

2015年12月03日 | アウトドア


11月29日

のどかな田園風景を楽しみながら史跡巡りです。

『コース』近鉄橿原神宮駅→甘樫の丘→橘寺→飛鳥駅



(10:10)

今回は子供が9人も参加で総勢27名です。



剣池 に沿っていく


(10:48)

豊浦宮跡・豊浦寺跡(現 向原寺)






田園の中を行く

(11:00)

甘樫丘

標高150m・・・明日香村と大和三山が一望できます。




川原展望台へ


(11:25)

川原展望台より畝傍山(198.8m)  耳成山(139.7m)



(11:30~12:30))

東屋で昼食でしたが子供が9人も居ると賑やかでした。




今年は此処でも紅葉は今一つ・・・・落ち葉を踏みしめて川原寺へ




川原寺寺域北限遺構



(13:00)

仏福寺






橘寺背景に記念撮影

川原寺とは反対側に白壁の築地塀をめぐらした寺が、「橘寺」です。




橘寺の近くに立つ「聖徳太子御誕生所」の石碑



(13:22)

橘寺

聖徳太子創建七寺の一つ、聖徳太子誕生の地とされている古刹
当時は、66の堂があった大きなお寺で、
法隆寺にある玉虫厨子も、もとはここにあったのだとか・・・

境内には、明日香の謎の石造物のひとつ『二面石』があるのですが
誰も拝観料を払ってまでもして見に行こうとしないので・・・




亀石へ


《続く》

 


ミニオフ会・名古屋(二葉館)

2015年12月01日 | 風景・風物

 

 

徳川園からメグールバスで「文化のみち二葉館」




文化のみち二葉館

大正時代に「日本の女優第1号」と言われた川上貞奴が
居住していた和様折衷の建物。
夫の川上音二郎の死後、女優を引退して
大正9年頃から電力王と呼ばれた福沢桃介と共に暮らした。


 


川上貞奴
明治4年生まれ。16歳で芸者となり、23歳で川上音二郎と結婚。
川上一座のアメリカ巡業で、女優として初めて舞台に立つ。ヨーロッパに渡り、
明治33年のパリ万博でマダム貞奴の名は、一躍有名になる。
音二郎の死後、福沢桃介の事業パートナーとして、
また自らも事業家として、「二葉御殿」で暮らした。
(リーフレットより)


福沢桃介
明治元年生まれ。福沢諭吉の次女ふさの婿。
名古屋電灯(株)の取締役となった頃から電力事業に乗り出し、
大同電力(株)を設立。名古屋を拠点として、
木曽川水系に多い発電所をはじめ7カ所の発電所建設。
電力王といわれた。(リーフレットより)




大広間の目を引くステンドグラスの窓






1階展示室には
ドイツ人画家ミュッラーが1900年頃に描いたポスター「サダ・ヤッコ」

貞奴の着物
花魁のうちかけと薙刀(レプリカ)
唯一現存する貞奴の舞台衣装と「深山の美人」の舞台で貞奴が使用した小道具




掛け軸は桃介の書
福沢桃介の直筆の書で、漢詩(唐代の詩人・崔 敏童作)を書いたもの。

火鉢(レプリカ)・座布団・三味線
貞奴が愛用していた品々。




貞奴が愛用していた着物と帯




螺旋階段を二階へ





二階展示室には名古屋生まれの城山三郎の書斎が復元されていました。

洋室から見た和室の棟



二階からの螺旋階段

二葉館を後にしたのが12時を過ぎていたので
太閤本店主税町店で昼食



古い民芸造りをイメージした落ち着いた雰囲気の店内で日替わりの太閤定食