徳川園からメグールバスで「文化のみち二葉館」へ
文化のみち二葉館
大正時代に「日本の女優第1号」と言われた川上貞奴が
居住していた和様折衷の建物。
夫の川上音二郎の死後、女優を引退して
大正9年頃から電力王と呼ばれた福沢桃介と共に暮らした。
川上貞奴
明治4年生まれ。16歳で芸者となり、23歳で川上音二郎と結婚。
川上一座のアメリカ巡業で、女優として初めて舞台に立つ。ヨーロッパに渡り、
明治33年のパリ万博でマダム貞奴の名は、一躍有名になる。
音二郎の死後、福沢桃介の事業パートナーとして、
また自らも事業家として、「二葉御殿」で暮らした。
(リーフレットより)
福沢桃介
明治元年生まれ。福沢諭吉の次女ふさの婿。
名古屋電灯(株)の取締役となった頃から電力事業に乗り出し、
大同電力(株)を設立。名古屋を拠点として、
木曽川水系に多い発電所をはじめ7カ所の発電所建設。
電力王といわれた。(リーフレットより)
大広間の目を引くステンドグラスの窓
1階展示室には
ドイツ人画家ミュッラーが1900年頃に描いたポスター「サダ・ヤッコ」
貞奴の着物
花魁のうちかけと薙刀(レプリカ)
唯一現存する貞奴の舞台衣装と「深山の美人」の舞台で貞奴が使用した小道具
掛け軸は桃介の書
福沢桃介の直筆の書で、漢詩(唐代の詩人・崔 敏童作)を書いたもの。
火鉢(レプリカ)・座布団・三味線
貞奴が愛用していた品々。
貞奴が愛用していた着物と帯
螺旋階段を二階へ
二階展示室には名古屋生まれの城山三郎の書斎が復元されていました。
洋室から見た和室の棟
二階からの螺旋階段
二葉館を後にしたのが12時を過ぎていたので
太閤本店主税町店で昼食
古い民芸造りをイメージした落ち着いた雰囲気の店内で日替わりの太閤定食