世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

旧石器時代の出雲・砂原(すなばら)遺跡

2022-03-27 08:31:51 | 古代出雲

東北地方での旧石器時代前期・中期の旧石器捏造事件は、記憶に新しい。10万年や20万年前の石器発見など、そうざらにあるわけでもない。

ところが、我が出雲に旧石器時代中期の砂原遺跡が存在する。何と12万年前というから驚きだ。発見された石器は、当初自然石であろうとも云われていたが、それにしては加工痕らしきものがあり専門家の分析の結果、人工的に加工されたものであることが判明したという。砂原遺跡の場所は、多伎の海岸近くで崖下は国道9号で、下にGoogle Mapを貼り付けておく。

その砂原遺跡からは、加工石器が30点出土し、石材は多様で珪化流紋岩を主体に玉随、石英であったという。専門家である上峯篤史氏が開発された斑晶観察法という手法により、人為的な加工パターンが見いだされたという。それらの加工石器は、12万年前の地層であることがFT法(どのような分析手法かわからないが)にて、年代を直接測定することができたとのことである。

『広報いずも』掲載の石器が出土したとのことである。Paが出土層のようである。現在は埋め戻され、写真のような平地になっている。

そこからは、国道9号を隔て道の駅キララ多伎の駐車場の先が日本海である。

砂原遺跡が営まれていた12万年前は寒冷期で、海岸線は遥か沖合で、当時は海を臨むことはできなかった。

どのような旧石器時代人がせいかつしていたであろうか、直良信夫氏は昭和6年に明石市西八木海岸で旧石器時代人の人骨を発見したとされるが、昭和20年の空襲で人骨は焼失したとのことで、その真偽がはっきりしない。

過去、沖縄県立博物館にて港川人(1万8200年前)の想定復元フィギアをみた。1万8200年前とは云え、裸であったかどうか?

砂原遺跡と港川人の時代は、一桁ほど砂原遺跡が古い。どのような原人であったであろうか。思うに、大国主命やスサノオ云々は、ついこの前の時代であり、何が何だか時代観が錯綜した思いを抱いたひと時であった。

<了>


チェンマイ県メーアイ郡のワット・ソムスク古代遺跡

2022-03-25 07:58:29 | 古代の北タイ

過日、ChiangmaiNewsをみていると、チェンマイ県最東北部のメーアイ郡にスコータイ文化の影響を受けた、ワット・ソムスクなる古代遺跡(実際は中世の遺跡)が紹介されていた。ソースはタイ芸術局第7支所である。以下、記事の抜粋である。

プラテップ・ペンタコ氏は、チェンマイ芸術局第7支所が発掘調査の結果を報告したことを明らかにした。ワット・ソムスクの古代遺跡、それはチェンマイ県メーアイ郡マリカ地区でその平野で最大の古代遺跡と見なされている。スコータイ文化の影響は600年以上前に古代ランナーの土地に広がったが、その証拠がみつかった。2021年度のワット・ソムスクの古代遺跡を発掘するプロジェクトは、2015年の第1段階から継続している。(タイ文字の黄色ピンがその位置である。)

メインのチェディはベル型で、ベースを象が囲んでいる。大きな寺院と他の約10の大小の建物の改修の痕跡を3回見つけることができた。

カオカムスクリプトの碑文は、アンスリウムレンガのスラブにも記されていた。長方形のレンガ1〜2文字とテキストの両方で刻まれている。ワット・ソムスクはタイで最も碑文が刻まれた寺院であると言うことができる。当初、考古学者は、見つかったレンガの碑文を2つのグループに分類した。ほとんどは人の名前を示しており、おそらくレンガの提供者を指している。 1〜2文字で書かれたグループで、主にアンスリウムのレンガに見られ、建物の柱を構成している。

すべての碑文はまだ古代言語の専門家によって研究されており、公式の研究報告は後で最終決定され予定である。2021会計年度に、タイ芸術局は考古学的発掘と研究を完了するために110万バーツの追加予算を承認した。より完全な歴史的および考古学的研究の結果を拡大するこれにより、将来的には地元コミュニティの文化観光の観点から、メーアイ郡の人々のさらなる経済的価値の創造につながることが期待される。

古代ランナーの地域は、ランナー様式の文化一色ではなく、スコータイ文化の影響を受けていた証拠が発掘されたことになる。とすれば、スコータイにランナー文化の影響が及んでいたであろうか。

メーアイ郡は、スコータイからの直線距離で350kmほどである。中世の人々は、今日のような交通機関はなかったものの、交易や往来が存在していた。話しは飛ぶが義経を匿った奥州藤原氏は、結果として滅亡したが、その奥州に京文化が移植された。双方には直線距離で700kmの開きがある。古代や中世の人々にとって、距離はものとしなかったのである。

<了>

 


好敵手TDK

2022-03-24 09:00:54 | 村田製作所とTDK

過日、TDKが記者発表。某紙によれば『TDK、東北で2000人雇用へ』(ココ参照)とのタイトルで記事を掲載している。新規雇用の2000人は、4月に設立する新会社「TDKエレクトロニクスファクトリーズ」(秋田県由利本荘市)に配属されるとのこと。

合わせて、にかほ市に新工場「稲倉工場西サイト」を建設すると発表。スマホなどに搭載するワイヤレス型の給電・通信機能に使う基幹部品「コイル」を製造するとのこと。

(出典:TDK HP)

3月16日、東北地方を襲った震度6強の東北地震。何でも(株)登米村田製作所で火災発生とのニュース。幸い間もなく消火したとのことであるが、コイル生産が完全復旧するのは何時であろうか気になる。かたやTDKは上述の如くコイル増産の新工場の建設。置いていかれるな村田製作所。重要商品の生産は2拠点生産が鉄則だ。村田はリスクマネージメントの再検討を。

それにしても、今や日本で世界に冠たるは、電子部品産業と精密機械・半導体製造装置等々数業界に過ぎない。自動車も激動の時代に入った。後10年でトヨタが先頭に居続けることができるのか、できないのか。

そのような中、電子部品産業は台湾・韓国・中国に追い上げられる中で、世界TOPを維持しているのは。互いに好敵手をもち切磋琢磨しているからに外ならない。この業界は設備投資額や研究開発費は売り上げの10%以上に及び、緩める姿勢はうかがえない。

日本の産業界が、申し合わせたように下り坂を転がっているが、何故なのか。日本の労働賃金が上昇するなか、大手・中小問わず中国や東南アジアに逃避し、日本国内で生産性向上の設備投資を怠ったからである。

昨今、失われた30年を取り戻す、日本産業界復活のチャンスが巡ってきた。慢性的な円安、海外諸国のGDP成長による労務単価の向上。日本政府は思い切った投資減税と補助金等の投資優遇策を実行し、各企業に国内回帰を呼び掛けてほしい。中国に過度に頼るリスク、東欧の現下のリスク。日本国内が一番安全だ。但し自然災害対策は必要だが。

いずれにしても電子部品業界は、各社が現在のように積極的姿勢を放棄しない限り、世界TOPを独走できる。思うに好敵手揃いの業界である。

ここで蛇足を一つ。TDKは東国の会社だが、電子部品業界は何故か田舎者の京都企業である。村田製作所、京セラ、日本電産、ローム、オムロン、毛色はやや異なるがニンテンドー。一部上場企業の経営者諸氏は偉大なる田舎企業の経営マインドを見習うべきであろう。

<了>

 


五十猛(イタケル)と伊太氐(イタテ)は同一人物か

2022-03-23 07:50:15 | 古代出雲

またまた橿原考古学研究所付属博物館シリーズを中断して記す。旧・出雲国と旧・石見国その国境の旧・安濃郡五十猛村に五十猛命(いそたけるのみこと:地元ではイタケルではなく、イソタケと呼ぶ)を祀る、五十猛神社が鎮座する。

父神であるスサノオと共に、新羅から埴船に乗って、五十猛の浜に渡り来たとの伝承に基づくものであろう。

(五十猛神社)

五十猛神社の祭神は、五十猛命となぜか応神天皇であるが、祭神の応神天皇は、ここではPendingにしておく。

今回は『五十猛(イタケル)と伊太氐(イタテ)は同一人物か』とのテーマで記そうとしている。

『日本書紀・神代上』の一書(あるふみ)第四に曰く、「須佐之男命、その子(みこ)五十猛(いたける)神を率いて新羅の国にあまくだりまして曾尸(そし)茂(も)梨(り)のところに居(ま)します。すなわち興言(ことあげ)して曰(い)はく。この国は吾(あれ)居(を)らまく欲(ほり)せじと曰ひて、ついに埴(はに)をもって船につくりて、乗りて東の方に渡りて、出雲の簸の川上にある鳥上の峯に到る(或いは五十猛浜に上陸するとの伝承)」と記され、続いて「初め五十猛神、天降ります時に、多(さは)に樹種(こだね)を持ちて下る。然かれども、韓国に殖(う)えずして盡(ことごとくに)に持ち帰る。遂に筑紫より始めて、凡て大八(おおや)洲(しま)国(くに)の内に播殖(まきおほ)して、青山に成さずといふことなし。所以に、五十猛命を称(なづ)けて有功(いさをし)の神となす。即ち紀伊国に所(まし)坐(ま)す大神是なり」とある。このことから、五十猛命は植林・林業の神とされている。

ところで、出雲は玉造に玉作湯神社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社が鎮座する。祭神は五十猛命であることから、イタケルとイタテ、これはおそらく同一神であろう。韓国とあり新羅とは記されていないが、共に朝鮮(韓)半島から来たものであり、同一神と考えられる。

(玉作湯神社坐韓国韓国伊太氐神社)

この韓国伊太氐(からくにいたて)神社は、旧・出雲国の各地に鎮座している。その理由は、五十猛命の神格とされる植林と、出雲に多い砂鉄からなる精錬の神との認識によるものと思われる。

さて、熊本・江田船山古墳から出土した、台天下獲■■■鹵大王世・・・で始まる、75文字の象嵌銘入り鉄剣に「作刀者名伊太■、書者張安也」とある。

(出典:Wikipedia)

張安との中国人風の名前と共に、鉄剣を作ったのはイタ何某である。これは伊太氐(イタテ)に結びつくと思われる、とすれば五十猛神は製鐵、鍛冶から転じて武器に関する神格をもつ、多元的な神格をもっていることになる。つまり新羅渡来の技術者集団を示しているものと思われる。

尚、弊blog『出雲と古代朝鮮(弐)・須佐之男命考其之弐』を参照頂ければ、幸いである。

<了>