東北地方での旧石器時代前期・中期の旧石器捏造事件は、記憶に新しい。10万年や20万年前の石器発見など、そうざらにあるわけでもない。
ところが、我が出雲に旧石器時代中期の砂原遺跡が存在する。何と12万年前というから驚きだ。発見された石器は、当初自然石であろうとも云われていたが、それにしては加工痕らしきものがあり専門家の分析の結果、人工的に加工されたものであることが判明したという。砂原遺跡の場所は、多伎の海岸近くで崖下は国道9号で、下にGoogle Mapを貼り付けておく。
その砂原遺跡からは、加工石器が30点出土し、石材は多様で珪化流紋岩を主体に玉随、石英であったという。専門家である上峯篤史氏が開発された斑晶観察法という手法により、人為的な加工パターンが見いだされたという。それらの加工石器は、12万年前の地層であることがFT法(どのような分析手法かわからないが)にて、年代を直接測定することができたとのことである。
『広報いずも』掲載の石器が出土したとのことである。Paが出土層のようである。現在は埋め戻され、写真のような平地になっている。
そこからは、国道9号を隔て道の駅キララ多伎の駐車場の先が日本海である。
砂原遺跡が営まれていた12万年前は寒冷期で、海岸線は遥か沖合で、当時は海を臨むことはできなかった。
どのような旧石器時代人がせいかつしていたであろうか、直良信夫氏は昭和6年に明石市西八木海岸で旧石器時代人の人骨を発見したとされるが、昭和20年の空襲で人骨は焼失したとのことで、その真偽がはっきりしない。
過去、沖縄県立博物館にて港川人(1万8200年前)の想定復元フィギアをみた。1万8200年前とは云え、裸であったかどうか?
砂原遺跡と港川人の時代は、一桁ほど砂原遺跡が古い。どのような原人であったであろうか。思うに、大国主命やスサノオ云々は、ついこの前の時代であり、何が何だか時代観が錯綜した思いを抱いたひと時であった。
<了>