どうでも良いことが気になる。訪問頂いた各位にも、どうでも良いことのように思われ誠に恐縮である。
日本で幟状の旗指物をタイではトゥン(ธง)と呼ぶ。今回はこのトゥンが何物か、種々調べてみた。しかしながらおぼろげには分かったものの、確かな学術論文に辿り着けない。多分タイ語の論文は存在するとは思うものの、それに辿り着いてもタイ語の羅列ではどうにもならない。トゥンとは幟ではあるが、それが何の目的や役割で存在するのか、朧気で明確ではない。ご存知の方がいらっしゃるなら、是非ご教示願いたいものである。
日本の幟も何なのか? 鎮守の神様の春祭りや秋祭りの幟は何なのか? 単に祭りがありますよ・・・との印なのか?・・・これには、深い理由がありそうだ。先ず、トゥンについて、現在までにおぼろげながら分かっていることを記してみたい。
以下は、ローイクラトン(ローイカトン)前のガティン祭り(収穫儀礼祭)のトゥンが下の写真である。
トゥンには、ムカデの絵が描かれている。これは、これで意味があるのだが、今回のテーマと関係ないので、ここでは触れずにおく。他にワニが描かれたトゥンなども存在する。このムカデのトゥンは布地の前がありそうだ。
岩田慶治氏は、昭和40-50年代に北タイやラオス、カンボジアで少数民族の民俗調査をされていた。その時の記録が残っている。タイ族の収穫儀礼の場面である。そこの挿絵をスケッチしたので掲げておく。
収穫を終えた田んぼの一画にケーン・ピーを立てて、稲の精霊に感謝する儀礼を行っていたという。竹の枌(へぎ)で編んだものが、布製のトゥン登場以前のトゥンと呼ぶべきものであろう。これが今日のチェンマイのガティン祭りに繋がっている。
チェンマイで一般的にみるトゥンは、タイ正月(ソンクラーン)の時に寺院で見る機会が多い。砂を用いて作る須弥山を意味する、砂の段や砂の山に刺した紙製のトゥンである。
(写真の須弥山にトゥンはソンクラーンではなく、ターぺー門での儀式の際のもの)
あるいは、祭礼の際のトゥンである。下の写真は、サオ・インターキン(チェンマイ市街の安泰を祈念する祭礼)の時のものである。
見てもわかるように、幟には寺院とか仏塔が織り込まれているが、今回のテーマは、上述のようなトゥンを紹介するブログではなく、トゥンとは何ぞや・・・これが主題である。
紹介したように、祭礼・儀礼に用いられるトゥン。特に寺院に掲げられるトゥンは、干支が描かれている。それには、『先祖供養』の意味合いが込められ、まだ昇天できない迷い霊を改めて空へ送るという役割があると云う。
また、死者を弔ったり、寺院の祭礼の時に掲げられる。寺、仏塔、木(菩提樹か?)、供花、ナーガ、象、馬、鳥などの動物、人が載った船などの模様が描かれるとのことである・・・これについて、寺院や仏塔、干支の動物や象、ナーガなどは見た経験があるが、鳥や人が載った船は、当該ブロガーが実見しておらず、真偽のほどがハッキリしないが、実際にこれらを見た人の記述である①。
・・・以上である。北タイでみるトゥンには、おぼろげながら上述の役割がありそうである。引き続き学術的な見解を調べてみたい。・・・では、日本の旗や幟にはどのような意味があるのか。別途検討してみたい。
<了>