世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

チェンライに日本茶の大農園

2022-02-22 12:47:22 | タイ王国

本日のYahooニュースを見ていると、静岡の茶問屋がシンハー・グループと合弁で、チェンライのシンハー・パーク近くの農園で、日本茶を大規模栽培しているとのニュースである。最近は年間100トン生産しているとのこと。動画が貼り付けてあったのでご覧いただきたい。

タイの山岳地帯になぜ?日本茶の“大茶園” 国内がダメなら海外があるさ - YouTube

数十年前から日本の某メーカーが、ペット・ボトル入りの無糖・日本茶を販売しており重宝していた。タイ地場メーカーも砂糖入りの日本茶や無糖・日本茶のペット・ボトルを販売していた。また最近では日本茶の喫茶店も見かけるようになった。これらの現象から、日本茶の生産も時間の問題と考えていたが、静岡の茶問屋がシンハーと組んで数年前から手掛けていたようだ。

タイ北部の山岳地帯では、ドイ・メーサロンやドイ・アンカーンなどで過去から、茶葉が栽培され烏龍茶などに加工されていたが、これに日本茶の加工が加わることになったようだ。希望を云えば、この茶問屋は山岳部の茶葉栽培も指導して、山岳民族の収入源の増加にも寄与して欲しい。

ということで、チェンライのシンハー・パーク近くの茶葉農園をGoogle Earthで調べているとあった、あった。

右下がシンハー・パークで、周囲に茶畑が散在しているが、あと5年もすれば、周囲は茶畑で囲まれるであろう。フロンティア精神旺盛な若者が海外に活路を求める姿は、素晴らしいと思うと共に、当該ブロガーも若ければと思ったりもする。順調な業容拡大と、山岳民族の支援をお願いしたい。

<了>


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#37

2022-02-22 07:34:55 | 北タイ陶磁

最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁から、カロン窯の鉄絵盤2点を紹介する。いずれも本歌(本物)である。落札価格が幾らであったかまでは確認していない。

典型的なカロンの鉄絵文様で碗と記されている。法螺貝はヒンズー神であるビシュヌの持ち物で、法螺を吹くというのは悪魔を治める意味と、ヒンズー教や仏教の法話をするという意味である。北タイの古代は中国文化のみならず、西方インド文化の影響も受けていた。その関係で法螺貝の文様はそれなりにポピュラーである。

釉薬がややカセているように見えるが、写真の程度では問題なかろう。1万円程度の落札であれば、買い物である。

器面全体に渡る絵付けは、繁辱以外のなにものでもないが、この繁辱な絵付けこそカロンの最大特徴である。この唐草文もカロンでは好んで用いられた。

轆轤の回転方向、やや白い胎土で砂噛みし、キメが粗いのもカロンの特徴である。器面にところどころみる釉薬の剥離が、やや残念である。これも本物で、箱もしつらえられ大切にされていたであろう。偽物でないのが清々しい。

<了>

 


草薙剣は何故、熱田神宮に祀られているのか?

2022-02-20 07:30:24 | 古代日本

どうでもよいような話しである。草薙剣(くさなぎのつるぎ)は何故、熱田神宮に祀られているのか・・・と云うより、尾張氏(熱田神宮)に留まったままなのか。

天照大御神が天孫降臨の神勅を下すにあたって、この神剣(草薙剣・別名・天叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)に霊魂を込め、神鏡(八咫鏡)・神璽(八尺瓊勾玉)と共に邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けて以来、天皇家はこれを三種の神器として宮中に祀ってきた。それが何故尾張氏のもとに留まったままなのか。

(出雲市駅通りの八岐大蛇退治青銅像)

『日本書紀』によれば、尾張氏の祖は火明命(ほあかりのみこと)と云われている。日本書紀の一書(あるふみ)第六には、天火明命(あめのほあかりのみこと)とあり、その息子の天香山命(あめのかぐやまのみこと)が尾張氏の祖であると記す。しかし尾張氏が何時、東海の有力豪族になったのか不詳である。

12代・景行天皇の時代、ヤマトタケルは東国征討に際し、尾張氏のもとを訪ね、尾張氏の宮簀媛(みやずひめ)を娶ったと記されている。そのヤマトタケルは東国に向かう。帰途、ヤマトタケルは尾張氏に立ち寄り、草薙剣を尾張氏の宮簀媛に預けて、伊吹山に向かった。

尾張氏に預けた草薙剣は、天皇家に戻ることはなく、尾張氏の手元に残ったまま今日に至っている。何故、天皇家に祀るべき三種の神器の草薙剣が、尾張氏の手元に残っているのか、やや謎めいている。この尾張氏の本貫がハッキリしないが、史書類を総合すると大和と考えられる。

草薙剣は、八岐大蛇退治後スサノオより天照大御神に献上された。天照大御神は孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎいのみこと)に授け、尊が天孫降臨の際、地上界にもたらされた。それが倭姫命からヤマトタケルに渡り、更に尾張氏の宮簀媛へと伝わったものである。

そこで謎解きになるが、草薙剣には古代出雲の怨念が渦巻いていたであろう。ヤマトによる出雲簒奪の怨念である。更にヤマトタケルは、クマソタケル征伐後、出雲に寄ってイズモタケルを騙し討ちにする。その怨念も草薙剣にのり移ったであろう。そのヤマトタケルは草薙剣を尾張氏の宮簀媛に預けた後、伊吹山の神の毒気にあたり落命した。草薙剣の祟りであろう・・・これが、天皇家に戻らなかった、最大の理由と考えられる。草薙剣は天皇家に祟ったのである。

では、なぜ尾張氏のもとに留まったのか。これには深い意味はなく、宮簀媛に預けられたのだから、親元の尾張氏のもとに留まり続けたと云われても、ああそうですか・・・これが自然の姿とも考えられる。

果たして、そのような単純な理由であろうか。裏がありそうだ。尾張氏の本貫は、大和と考えられると先に記した。

『出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこかむよごと)』には、上図の位置に出雲族神4神が配置され、天孫族神を守護したという。不等辺四角形の中の天孫族神を守護したのだ。その枠内には古代天皇家の本貫の地『磐余(いわれ)』が存在する。天皇家は出雲族神に囲まれていた。当然ながら尾張氏も、その中にいたのであろう。結論は、奇想天外ではあるが、尾張氏は出雲族の一員で、出雲族が尾張氏を介して草薙の剣を取り戻したのである。

この種の空想は、素人の特権である。これで飯を食っている訳でもないので、世の中の物書きのように、周囲を憚る必要もない。とんでもない結論を記したが、信憑性のない噺であったことをお断りしておく。

<了>


『カチン族の首かご』

2022-02-18 08:04:21 | 東南アジア少数民族

過日、チェンマイ県チェンダオ郡最北端にある、カチン族集落のマナウ柱(ココ参照)について記事にした。

カチン族について、どのような民族であるか種々調べていると、妹尾孝彦氏なる方が著述された、『カチン族の首かご』なる著書が存在するとのこと。題名からして興味をひいた。地元の図書館には無く、島根県立図書館に存在していた。早速借用し7時間ほど要したが、一気に読了した。

(初版:昭和32年1月20日:60年前の出版であり、紙焼けしている)

妹尾氏は第55師団歩兵第112連隊第3大隊の第2中隊所属の陸軍1等兵で、『カチン族の首かご』は、所属部隊のカチン高原掃討作戦を記録した軍記(手記)である。妹尾1等兵は英語ができたことから、所属部隊の斥候兼進軍の行路確保の任務に当たっていた。

現・ミャンマーはカチン州の要衝・ミッチーナに進軍し、そこから北部のカチン高原に向けて、英軍および重慶軍(中華民国蒋介石・国民党軍)の掃討作戦から物語(実話)が始まる。

(牟田口廉也師団長の第18師団はインパールを目指した)

話しは中抜きして要点を記すが、カチン高原の要衝・サンプラバムを確保して間もなく、本隊はミッチーナへの退却命令が下るも、妹尾1等兵は諜報の為1人現地に留まった。そこで現地のカチン族5部族の推戴によりコーカム(国王)に就くことになった。約1か月後、妹尾1等兵にミッチーナへの退却命令が下だり退却することになるが、それまでの1か月間、カチン族との交渉や現地を見聞して知り得たことどもが記されている。素人目にも民族学的に貴重な資料と思われる。そのせいであろう、かの梅棹忠夫氏が”あとがき”を寄稿しておられる。

今回は、物語の中からカチン族の風俗・慣習から3点の事柄を紹介し、残りは後日にしたい。

先ず、図書名の『カチン族の首かご』である。妹尾1等兵が進軍した当時の昭和16年に、首狩りの習慣が残っていたとのことである。上図のような竹で編んだ籠に入れたと云う。この首狩りの習慣は、第2次大戦の当時残存していたようで、カチン族のみならず、佤(ワ)族(ラワ族も同族で別呼称)もそのようであったと聞いている。

次に紹介するのが、カチン族酋長の家である。何本もの掘立柱を持つ高床式住居である。ここで注目して欲しいのは、建物中央(下図で云えば上側)の”乙女の部屋”である。当該高床式建物は、家族や客人が出入りする出入口の他に、乙女の部屋にも出入口が存在する。これは夜間に”夜這い”する若き男性のためのものである。黒潮洗う南海の土佐のかつての夜這いを想起させる。

3点目は、カチン族女性の『腰環』である。妹尾氏のデッサンを御覧頂きたい。

上掲デッサン中央の女性。腹部というか腰に巻いているのが腰環である。籐や真鍮でできているそうだ。なぜこのような腰環を付けるのか、その理由や目的には言及されていない・・・残念。

(いずれもチェンマイ郊外のパロン族女性の腰環である)

これと同じように腰環をつけつ人々が北タイにも存在する。それはパロン族(パラウン族ともいう)の女性である。カチン族の習慣がパロン族に伝播したのか、あるいは逆なのか。いずれにしても居住地は隣接しており、風俗や習慣は相互に影響を与え合っているであろう。

いずれにしても『カチン族の首かご』は、読むのにひきつけられた良書である。折々に内容を紹介したいと考えている。

<了>


2月17日・雪の朝

2022-02-17 08:36:12 | 日記

昨夜はやけに冷え込んだ。今朝起きてみると今冬3度目の積雪である。山陰でも鳥取とは違い、積雪量は少ない部類である。

雪国とは違い、雪掻きなどする必要はなく、雪景色を眺める程度だが、雪国の人には申し訳ない気持ちも湧きおこる。雪はこれで最後にして欲しいものだ。

<了>