どうでもよいような話しである。草薙剣(くさなぎのつるぎ)は何故、熱田神宮に祀られているのか・・・と云うより、尾張氏(熱田神宮)に留まったままなのか。
天照大御神が天孫降臨の神勅を下すにあたって、この神剣(草薙剣・別名・天叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)に霊魂を込め、神鏡(八咫鏡)・神璽(八尺瓊勾玉)と共に邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けて以来、天皇家はこれを三種の神器として宮中に祀ってきた。それが何故尾張氏のもとに留まったままなのか。
(出雲市駅通りの八岐大蛇退治青銅像)
『日本書紀』によれば、尾張氏の祖は火明命(ほあかりのみこと)と云われている。日本書紀の一書(あるふみ)第六には、天火明命(あめのほあかりのみこと)とあり、その息子の天香山命(あめのかぐやまのみこと)が尾張氏の祖であると記す。しかし尾張氏が何時、東海の有力豪族になったのか不詳である。
12代・景行天皇の時代、ヤマトタケルは東国征討に際し、尾張氏のもとを訪ね、尾張氏の宮簀媛(みやずひめ)を娶ったと記されている。そのヤマトタケルは東国に向かう。帰途、ヤマトタケルは尾張氏に立ち寄り、草薙剣を尾張氏の宮簀媛に預けて、伊吹山に向かった。
尾張氏に預けた草薙剣は、天皇家に戻ることはなく、尾張氏の手元に残ったまま今日に至っている。何故、天皇家に祀るべき三種の神器の草薙剣が、尾張氏の手元に残っているのか、やや謎めいている。この尾張氏の本貫がハッキリしないが、史書類を総合すると大和と考えられる。
草薙剣は、八岐大蛇退治後スサノオより天照大御神に献上された。天照大御神は孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎいのみこと)に授け、尊が天孫降臨の際、地上界にもたらされた。それが倭姫命からヤマトタケルに渡り、更に尾張氏の宮簀媛へと伝わったものである。
そこで謎解きになるが、草薙剣には古代出雲の怨念が渦巻いていたであろう。ヤマトによる出雲簒奪の怨念である。更にヤマトタケルは、クマソタケル征伐後、出雲に寄ってイズモタケルを騙し討ちにする。その怨念も草薙剣にのり移ったであろう。そのヤマトタケルは草薙剣を尾張氏の宮簀媛に預けた後、伊吹山の神の毒気にあたり落命した。草薙剣の祟りであろう・・・これが、天皇家に戻らなかった、最大の理由と考えられる。草薙剣は天皇家に祟ったのである。
では、なぜ尾張氏のもとに留まったのか。これには深い意味はなく、宮簀媛に預けられたのだから、親元の尾張氏のもとに留まり続けたと云われても、ああそうですか・・・これが自然の姿とも考えられる。
果たして、そのような単純な理由であろうか。裏がありそうだ。尾張氏の本貫は、大和と考えられると先に記した。
『出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこかむよごと)』には、上図の位置に出雲族神4神が配置され、天孫族神を守護したという。不等辺四角形の中の天孫族神を守護したのだ。その枠内には古代天皇家の本貫の地『磐余(いわれ)』が存在する。天皇家は出雲族神に囲まれていた。当然ながら尾張氏も、その中にいたのであろう。結論は、奇想天外ではあるが、尾張氏は出雲族の一員で、出雲族が尾張氏を介して草薙の剣を取り戻したのである。
この種の空想は、素人の特権である。これで飯を食っている訳でもないので、世の中の物書きのように、周囲を憚る必要もない。とんでもない結論を記したが、信憑性のない噺であったことをお断りしておく。
<了>