<続き>
古墳時代前期初頭の纏向遺跡から、やや戻って弥生時代の展示品を紹介する。
先に縄文時代の土器製の匙(スプーン)を紹介したが、弥生時代には木製の匙が登場する。土器で煮炊きした羹(あつもの)や雑炊の類を口に運ぶために用いたと解釈したい。この時代箸が登場した痕跡との見方もあるが、二本の棒状の箸が出土したとの確証は得られておらず、ピンセットのような箸と云えるかどうかとの遺物は出土しているが、もうひとつハッキリしない。現代人のように箸ではなく、スプーンを用い、手掴みと両様の食事風景が想定される。
稲作は弥生時代からとの従来の説は、今日では縄文時代後期に、既に始まっていたと唱えられている。弥生時代に至ると徐々に階層分化が始まり、更なる富を求めて地域間抗争が始まる。やがて倭国大乱の時代が始まることになる。
いずれ改めて考察したいと考えているが、山陰は旧出雲国と旧伯耆国の国境近くの稲吉角田遺跡(弥生期)出土の線刻絵画土器の高殿と、上掲写真の田原本町・法貴寺斉宮前遺跡出土の線刻絵画土器片に刻まれる高殿の様子が奇妙に一致する。これは高殿、つまり宮殿のようなものか、それとも物見櫓なのか興味は尽きないのだが・・・。
<続く>
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