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サンカンペーン窯と焼成陶磁(5)

2018-02-12 07:43:54 | サンカンペーン陶磁

<続き>

すべてのサンカンペーン陶磁の中で、最も興味深いのは盤である。これらはしばしば、素晴らしい装飾がなされている。盤と皿は、常に底と底、口縁と口縁を重ね、焼台は平らな粘土スラブ上に置かれたので、めったに傷跡を残さなかった。砂粒は外側面に付着することがあるが、高台にはみられない。外側面は刷毛により釉薬がコートされたが、それらは非常に薄いものであった。胎土は壺・瓶の類と似ている。化粧土が使用され、それは時たま口縁や高台廻りで見ることができる。

装飾としては、傘のスポークのように放射状に放射された線で、いわゆる鎬文を目にすることができる。

(出典:清邁堂コレクション)

装飾された印花文盤は、青磁と云うより褐色釉で、外側面は釉薬が掛かっていても貧弱である。褐色釉の中には黒色に近いものもあるが、総じて印花文のパターンが不明瞭な場合が多々発生している。印花文の文様は双魚文、幾何学文をみる。

鉄絵によって装飾された盤も多々存在する。これらは双魚、花卉、幾何学、聖獣文等々で、印花文の装飾文様より多様である。Jam Pa Born窯からは、美しいオリーブ色に発色した青磁の盤が出土している。

特徴的なことは、胎土の土練不足で胎土内に気泡が存在し、盤成形後に内泡して、それを焼成すると、膨れ上がることである。その膨れ上がった盤を時々目にすることができる。日本人の感覚で云えば、物原に打ち捨てられる類であるが、北タイでは流通したのである。

サンカンペーンの盤には刻花文も存在したようである。Shaw氏は、その著書で?つきながら存在の可能性を記している。

それは、赤枠で囲った陶片である。その拡大写真を下に示しておく。

この陶片を明らかにサンカンペーンであるとするのが、チェンマイ大学陶磁資料室である。その陶片の写真を下に示す。

過去2度チェンマイ大学陶磁資料室を訪ねたが、その間一度も教授に面会できず、いずれも研究室生であった。その生徒が引っ張り出した陶片リストにはサンカンペーンと記されているという。窯群の具体的窯名については分らない。当該ブロガーは、この陶片を未だサンカンペーンと断言できないでいる。これがサンカンペーンとすると、ラオス帰りの一群の大壺類との印花文、刻花文との共通性が伺われ、その生産地論争に大きな影響を与えるからである。

最も一般的な形の皿は、粗い平らな畳付きをもつオイル・ランプである。外側面に、ほとんど釉薬は掛からず、内部に釉溜まりを見る。釉色は緑、オリーブグリーン、黄、茶または黒である。これと類似しているが、高い高台付きのオイル・ランプもある。鉢の高台は、無釉のものも存在する。陶片としては、高台が非常に高いものがあり、これらの幾つかは、白い化粧土が塗られている。皿の幾つかは、盤と同じ方法で焼成された。青磁とやや薄い灰釉を施した『犬の餌鉢』と呼ばれる皿(盤)が、焼成されており、産品の幅広い範囲を示している。

建材

質の良くない無釉の屋根瓦の破片が、Jam Pa Born窯の周辺に散らばっており、窯を覆う屋根に使われていた可能性がある。これとは別に円筒状の青磁があり棟瓦として使われていたものと思われる。

ミニチュア・肖形物

これは驚くほど少ない。牛・象が蓋の上に座っている容器もある。多くのジャーは茶系統の色調である。小物では、機織り用の滑車、茶漉し、魚網の錘や象の頸に巻き付けた鈴などもある。

窯道具・匣

窯道具は使用されたが、他の窯場より使用頻度は低かったと思われる。それらは焼成室の床上に立てられていた。ニンマナハエミンダ氏は匣を発見したと報告したが、その後の調査では、匣となる可能性のある出土物は発見されなかった。

 

                          <了>

 


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