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ブログ掲載1000回記念:サンカンペーン古窯址(1)

2018-02-13 07:10:40 | サンカンペーン陶磁

Wat Chiangsean窯址は、友人でタイ人のP氏と訪れた。これで3回目の訪窯址となった。そこは、多くの陶磁片が散乱しており、高台形状の残る破片を収拾した。

Wat Chiangsean窯址と表採陶片)

その帰途、J・C・Shaw氏書籍のP62の地図にある、Jan Pa Born窯址の所在を確認すべく、数箇所でその所在を確認するも詳細不明で、Ban Phuilarngの村長宅の所在を確認し、そこで尋ねることにした。村長には会えなかったが、家人によると、現在は跡地に家が建っており、見ることはできないという。ことの真相を知るすべがないので(J・C・Shaw氏によると20基以上の窯址とあるので、その20基以上全てに家が建っているとも思えなかったが・・・)、言葉通りに見ることをあきらめ、Shaw氏の地図にあるTon Joke窯址に向った。Ton Joke窯は2010年の訪チェンマイ時に、Shaw氏にお会いして、その所在を確認したさい、40-50年前で覚えていないと聞かされ、多少ともショックであった、そこへ向おうとしている。

話が飛び恐縮であるが、この古窯址探しに毎回苦労する。素人が参考にできるのは先達の報告書と、それに付随する地図であるが、この地図が今ひとつ正鵠を得ていない。これは当然のことで、今から40-50年前には、正確な地図さえ存在していないから、どうしてもスケッチのような、尺度度外視の地図にならざるを得ない。これが後学の徒を毎回悩ませることになる。また地名があてにならない。言葉の問題もあるが、Jam Pa Born窯とかTon Joke窯と言っても通じない。従って今回訪れた窯址はグーグルアースを借用して、その場所を示し道順については、目印になるような構築物を写真で示すことにした。また窯址の地名が村人に全く通じないので、学者の命名によらず、村人が日常呼んでいる地名を記述することにしたものの、その相互関係が今ひとつはっきりしないことを断っておく。

 

Ton Joke窯址については、Wat Patungの僧侶のアドバイスに従い、村長にその所在を聞くことにした。村長とはBan Pongの村長である。村長の家は道に面しており、その表示もあったのですぐに見つかった。幸い村長は在宅で、詳細に道順を説明してもらい、もしもの場合自分の携帯に電話せよと、その電話番号まで教示して頂いた。その説明によると、ダム湖の東の道をみちなりに、約4km進むと十字路にでる。そこを左折して100mとのことであった。

 

(サンカンペーン温泉街道を右折し、ワット・パトゥンの手前で、右側に写真のHUAI LAN・・・なる看板があるのでそこを右折。すぐに写真のBan Pongの入り口ゲートが在るのでそこを直進)

説明通りに車を進めると、十字路に出た。そこを左折して100m進み、車を降りると長細い広場に出た。

(写真の十字路にでる。そこを左折して100m進むと、下写真の細長い広場にでる)

(広場の左横にはゲートがあり、その先まで道がある。今考えるとこの先にも窯址が存在していそうである)

この細長い広場のどこに窯址があるのであろうか?暫く左右を探すと、奥に向って右側にブルーシートで雨よけされている場所があった。そこへ行くと比較的程度のよい窯址があり、何か最近調査をしたような痕跡がある。

その窯址はWat Chiangsean窯より僅かに小型で、煙道を含めても2m程と思われるが、寸法調査していないので、その詳細は報告できない。窯はほぼ南北方向に横たわっており、焚口は北側である。ここで不思議なのは窯の方向配置である。窯の場所は細長い広場から1-2m下がったクリークの斜面であるが、その斜面を有効利用するのではなく、その斜面に平行に配置されている。この理由が何なのか良く理解できない。この窯址以外にも、あと2箇所の窯址と思われる箇所を確認したが、それらは斜面を有効利用し、焚口を斜面の下側にしていたであろうと思われるのと対照的であった。

周囲には多くの焼成物の破片が転がっている。見ると貫入のある青磁釉の破片である。見込みの鉄絵のある破片は見つからなかったが、口縁に鉄絵圏線のある破片を目にしたので、鉄絵文様の盤を焼成していたことが伺われる。

(表採陶片)

近くの斜面にも窯址があると思い、上流方向にむかって探査すると、近くで2箇所その痕跡が見つかった。2箇所目は多くの破片が散乱していたが、3箇所目は僅か1ケの破片を探し出したにすぎない。それらの破片はいずれも、最初の窯址同様に貫入のある青磁釉で、澱がなく透明度の高い釉薬に覆われていた。周辺にまだ多くの窯址があるとは思うが、藪が深くそう簡単に調べることはできないため、今回はこれまでにした。

これらの窯址はShaw氏の図面では、Ton Joke窯址と記されている場所であるが、先の村長はHuay Lanと呼んでおり、Ban Pong村入口のゲートにもHuay Lanとの表示がある。Huayとは小さな川(クリーク)をLanとは広場を表す。ここは彼らの呼称とおりHuay Lan古窯址と呼ぶ(筆者注記:右手のダム湖をHuay Lan Reservoirと呼び、そのダム湖からはメーラーン川:Mea Lanが流れだしている)ことにする。

このTon Joke古窯址は50基近くが存在すると、Shaw氏は述べておられる。このTon Joke古窯と今回目にしたHuay Lan古窯を同一と断言することはできないが、これらはその一部と思われる。

                        <続く>

 


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