世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

チェンライ・ドイチェディの古代遺跡発掘調査

2021-12-08 08:59:59 | サンカンペーン陶磁

〇チェンラーイ・ドイチェディの古代遺跡発掘調査

前回に続きタイ芸術局第7支所のSNS情報の要約である。

チェンラーイ・ドイチェデイーの発掘場所は、宗教的な場所と居住地である。丘の上のエリアは宗教的な場所である。丘の頂上と丘の真ん中にある神聖な場所であることに加えて、周辺が見える場所でもあった。平坦なエリアは、コミュニティまたは住居である。これは、タイ陸軍第37軍管区キャンプの連隊の建物の前の芝生で、タバコのパイプ土製品などの考古学的証拠を発見した。

(発掘現場はチェンラーイ市街の西郊の第37軍管区連隊キャンプ内)

陶器製のそれらは、ランナーの地場製品と中国の窯の両方からのものである。天然水源に近い地域もある(当該ブロガー注:多分チェンマイ県ファーン郡から流れてくるコック川のこと?)。青磁の容器には、ワンヌア窯の蓋、瓶、ランタン、パーン窯やカロン窯の瓶等も出土した。その地域に住んでいる人が、おそらく地位の高い人や経済的に富のある人であったろう。なぜなら庶民は一般的な土器を使うからである。 第37軍管区内で見つかった遺跡のほとんどは、レンガで造られていた。1つを除いてラテライトが使われていた。調査の結果、バン・パオドンチャイ(当該ブロガーには場所がわからないのだが)でラテライトの切断現場が見つかった。

キャンプ内の調査と発掘で見つかった陶器類とWiang KaLong窯の両方の陶器、ドイチェディの古代遺跡で発見されたと言われる仏像の年代は、仏暦20世紀後半から仏暦21世紀の仏教時代の芸術形態を比較することで判断できる。これには、ドイチェディ遺跡の発掘によるレンガの科学的時代も含まれる。熱蛍光(TL)法によると、年代の値は仏暦21世紀であった。

得られた情報によれば、第37軍管区のキャンプエリアだけでなく、現在のチェンラーイ市エリアが少なくともメンライ王朝以来建てられたチェンラーイの古代都市の一部である。

仏暦20ー21世紀とあるので、西暦15-16世紀の遺跡と思われる。ドイ・チェディーとあるからにはチェンディーが建立されていたであろう。

(発掘前)

(発掘中)

(現れた仏塔(チェディー)基壇)

(出土したタイ北部窯陶片)

第7支所の積極的な情報発信で、数々の考古学的知見が増えて来た。チェンラーイの情報も其れなりになってきた。次回訪泰時にはチェンラーイにも足を伸ばす必要がありそうだ。

<了>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿