世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

北タイのトライプーム(Traiphum)世界

2015-08-02 11:19:44 | 古代と中世

 字面の多い話で恐縮である。トライプームとは三界経で、三界とは仏教で云う欲界、色界、無色界である。以下、山野正彦氏の論文「タイの仏教寺院壁画における景観とコスモロジー表現」をところどころに引用して説明する。
 三界経は「悪いことをすると地獄に墜ちる」という因果応報の観念を説き、地獄の様子を体系化して描き、民衆にも生々しく且つ分かりやすい形で、上座部仏教を説明した。三界経はインドに始まり、スリランカやビルマ、タイなどパーリ語によって記された上座部仏教の教理書である。タイでは「トライプーム・プラルアン」がスコータイ朝の5代リタイ王(在位1354-1376)によって1345年あるいは1359年に、約30種の経典類を資料に編纂された。仏教的宇宙観に従って国王=須弥山というイメージを使用し、タイ国民の支配と統合のイデオロギーとして用いた。タイの寺院に行くと、年代は新しいものの先述の事柄をベースとした壁画を見ることができる。
 バンコクのマハナーク運河とオンアーン運河が交差する辺りにワット・サケット(別名:プー・カオ・トーン)がある。一度訪れているのでプー・カオ・トーンには登らなかった。目的はワット・サケット布薩堂の壁画をみるためである。壁画は、詳細を事前調査していないので、製作年代が分からないが、比較的新しく見える。壁画を見ていただくと、須弥山は七つの山脈に囲まれ、その間は大海であり、セオリー通りの須弥山図である。須弥山の頂上には善見城が見へ、各山脈の頂に三十三天が描かれている。釈迦は母が死後住まう須弥山に降下し、説法を説いたという。



 タイ国政府観光庁のHPによると、アユタヤ王朝(1351-1767年)から存在する古い寺院で、旧名はワット・サケー。バンコク王朝創設の1782年にワット・サケットと改名したとある。

 この壁画は、上座部仏教の宇宙観トライプームの描写、とくに須弥山頂上(写真上方向で途切れている)に棲む、インドラ神をはじめとする神々の住まいが、描かれている。

 須弥山の麓に位置するヒマパンの森、アノータタ(現:マナサルワール)湖とそこから流れ出る河川(必ず4方向)。須弥山を取り巻く海や4大陸、地底の地獄や餓鬼世界が描かれている。
 以上はスコータイからラタナコーシン朝下の事柄である。では北タイではどうであろうか。残念ながらチェンマイで上述の壁画を見た経験がない。以下は、先日ワット・プラシンで目にしたことからの、中世のランナーでのトライプーム世界の推測である。

 写真はチェンマイ国立博物館所蔵の1726年製の漆塗り・仏足跡で、ワット・プラシンから寄贈されたものという。中央は法輪、踵に位置する部分は須弥山であるが、写真でははっきりしない。
 その複製の漆塗り・仏足跡がライカム礼拝堂内に設置されていた。それが下の写真で、更にかかと部分のアップ写真も掲載しておく。



 これを見ると、中央に須弥山(黒漆)左右に七つの山脈(鉛筆のような螺鈿で表現)そして両サイドに鉄囲山(てっちせん)を見る。

 写真は黄金のプラシン仏と前面の蝋燭台、後面の壁画である。壁画部分をもう少し拡大すると、下の写真となる。

 プラシン仏の背後にはチェディーが描かれている。このチェディーは須弥山を表現している。さらに燭台を拡大すると、次の写真となる。

 この燭台はSattaphanと呼び、ナーガと須弥山を模したランナータイ独特のものである。ここにも須弥山が描かれている。当該ブログ訪問の方々には、長文にお疲れかと思うが、中世のランナー世界の民衆は、これらのトライプーム世界観でランナー王に飼いならされ、それが日常生活の中に溶け込んだのであろう。そのことがランナーの工芸品に影響を与えないはずはなかったのであると思っている。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿