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島根の東は荒神、西は大元神(5・最終回)

2020-12-27 08:22:25 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

ここでGoogle Earthにプロットした大元神社の配置を御覧いただきたい。見事に旧石見国に集中し、旧出雲国には見当たらない。神格がやや曖昧ながらも、どちらも藁蛇が登場し、神木や石塔に捲かれる姿は同じである。出雲は荒神、石見は大元神と明確に区別できる。このコントラストは何なのか。出雲の人間は石見人を、石見の人間は出雲人に対し、それぞれ対抗心をもってきた。名称ひとつでも対抗して、同じものにしなかったのであろうか。このようにみるのは邪推であろうが、それにしてもこのコントラストは何なのか。

しようもない噺はおわりにして、出雲の荒神も石見の大元神も平野部に集中しているようにみえる。あわせて盆地状の地形や谷間にみえる。やはり山ノ神=田ノ神的性格が強いようである。

以下、余談である。九州南部の天草から甑島にかけての山ノ神祭祀である。旧暦十一月に行われる農耕伸としての山ノ神祭祀では、天草・長島・甑島が一つの分布領域と云う。それらの地域では田ノ神は存在せず、山上の山ノ神が山裾の水田のほとりまで下ってきて、山の神のままで作物の神、水田の神になっているとのことである。

鹿児島県のこれらの地域では、旧暦八月十五日に十五夜綱引きなる伝統行事が存在する。その十五夜の綱は、龍や蛇を表現しているであろう。龍や蛇は水神としての性格を持つ。水は稲作に不可欠であり、結局この十五夜綱引きは、豊作祈願の祭事にほかならない。形はやや異なるが、山ノ神は春になると麓に降りて田ノ神となり、秋の収穫を終えると山に戻って山ノ神になるという民間信仰にほかならない。

このような山ノ神信仰というか龍蛇信仰は、日本全国各地に原形として存在していたかに思われる。それが後世、地域により荒神や大元神、あるいは十五夜綱引きに変形進化したものと思われる。

<了>

 

 


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