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三ツ城(みつじょう)古墳

2021-12-26 10:25:56 | 古代日本

過日、所用にて広島へ行った。その時に三ツ城古墳を訪ねた。広島県南部は比較的古代遺跡が少ない。三ッ城古墳は、東広島市西条中央にある古墳3基の総称で、1号墳は広島県では最大規模の古墳で、5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造と推定されている。

(出典・Google earth)

全体的な俯瞰図はグーグルの方が良く分かるので、借用して掲げておく。

(上の2葉の写真は、1号墳で訪問当日撮影したもの)

 以下、東広島市教育委員会発行のガイダンスから1号墳の概要を転載する。

『第1号古墳は、鍵穴の形をした前方後円墳で、全長約92メール、後円部の直径約62メートル、高さ約13メートル、前方部先端の幅約66メートルの大きさです。これは広島県内で、最大の古墳です。
 墳丘は三段に築かれていて、それぞれの段の上には、円筒埴輪や朝顔型埴輪が並べられています。
 円筒埴輪や朝顔形埴輪のほかに、前方部に鶏や馬、盾、靱(ゆき:矢を入れる筒のこと)、冑、短甲などの形象埴輪が立てられ、後円部には、家形埴輪が置かれています。このほか蓋形埴輪も各所に立てられ、古墳全体では約1800本余りの埴輪が使われています。古墳の斜面は、石(葺石)で覆われ、埴輪とともに古墳を飾っています。古墳の左右のくびれ部には、祭壇と考えられる四角いかたちの造出がそれぞれあります。また、古墳を取り巻くように、深さ約1メートル前後の周溝(空濠)がめぐっています。この古墳は、古代の安芸の国の大豪族の墓と考えられ、5世紀の前半頃に築造されたようです。』

以上であるが、当該古墳は5世紀前半の築造とのこと。この時から騎馬民族の持ち物としての埴輪が出土している。この傾向は全国的で、広島もそうであったことになる。この東広島の5世紀前半の豪族と云えば、どのような氏族であったろうか。その筋では研究が進んでいるであろう。

墳頂には、1号から3号までの埋葬施設として石棺が覗けるように、アクリルかと思えるものでカバーされているが、写真のように曇ってサッパリである。

そこで、ガイダンス記載の石棺を下に掲げておく。

最後になったが、所在地は下のMAPをご覧願いたい。尚、古墳の脇には中央図書館があり、そこにガイダンスコーナーが存在する。次回は、そのガイダンスコーナーの展示物を紹介する。

付近は公園になっている。行楽日和に散策するには良い処である。

<了>



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