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『ハニワ展』を見て考えた・前編

2022-08-21 07:33:34 | 古代日本

過日、島根県立古代出雲歴史博物館開催の『ハニワの世界ようこそ』展を見に行った。

出雲では、古墳時代前期末に埴輪が出現し、ヤマト王権中枢から出土する埴輪と似ていると、トピック01は記している。

”トピック02:野見宿禰とハニワの起源”に記されていることを下に記す。

”出雲国出身の野見宿禰は、相撲の始祖として知られていますが、日本書紀垂仁32年7月巳卯条には野見宿禰と埴輪にまつわる別の話しがあります。悲惨な殉死をやめ、代わりに出雲国の土部(はじべ)100人を招集して、人や馬などの土物(はにもの)をつくらせて墓に並べるよう進言したというのです。

この説話は、野見宿禰が土師臣(はじのおみ)に改姓されたことを語るためのもので、考古学的事実と異なりますが、出雲の人々と埴輪の間に深い縁を感じずにはいられません。”

野見宿禰は天穂日命の13世孫とされ、現出雲国造家の祖先にあたる。出雲大社境内に野見宿禰神社が、鎮座する由縁がお分かりいただけるものと考える。

その野見宿禰は、當麻蹴速(たいまのけはや)を投げ飛ばしたとの伝承が残る。その浮世絵も展示されている。

合わせて、江戸期の日本書紀写本から該当部分も展示されていた。右4行目から始まる”三十二年秋七月・・・皇后・・日葉酢媛命・・・”である。

”トピック02”パネル記載の事柄、すなわち日本書紀垂仁天皇32年7月巳卯条は、下世話に云えば”ウソ”を語ったのであろうか。確かに殉死・殉葬の事例は、考古学的には証明できないようではあるが、”ウソ”を語っているとも思えない、そこで種々考えてみた。その結果は次回記してみたい。

<続く>



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