世界の街角

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在日本・平戸鄭成功雑的思緒

2016-04-24 06:46:31 | 日記
鄭成功には、何がしかの思い入れがある。それが何なののか、言葉に現わすことが難しい。
平戸・川内の丸山公園内・鄭成功廟、鄭成功記念館、それらに隣接する千里が浜の鄭成功立像を訪れての雑感である。
鄭成功廟は丸山公園と呼ばれる小高い丘の頂に在った。朱塗りの建物ではあるが、鄭成功坐像が鎮座する御堂であった。中の坐像は下の写真である。
明末の着衣であるが、これも官服であろうか?龍頭が正面を向き、五爪である。五爪は皇帝しか許されないが、ご愛敬である。この鄭成功像は、どこかで見た覚えがある。記憶をたどると台南の延平郡王祠で見た坐像と同じように見える。
写真を比較すると、全く同じではないが似ている。台南の座像を参考に、平戸の座像は建立されたのであろうか?
南京侵攻に失敗し、いよいよ福建の根拠が危くなり、1661年台湾に侵攻し台南のゼーランディア城を陥落させた。そのゼーランディア城の絵図を復元・オランダ商館で見た。
絵図の城を苦労して陥落させたのである。
平戸・川内に数年前にできた、鄭成功記念館を訪れた。車が1台止められる駐車場に駐車し、階段をあがったところに在った。
建物の雰囲気は浙江で見る江南の風情である。福建は知らないのでどうであろうか?
鄭成功記念館の内部の扁額も、延平郡王とある。台湾・台南の延平郡王祠と同じである。明末崇禎帝が自害し明朝は崩壊するが、広西にいた万暦帝の孫・朱由榔が永暦帝と名のっていた。鄭成功はこれを明の正統として奉じたが、この永暦帝より延平郡王として藩王に封じられたことによる。
鄭成功記念館落成を記念した賛が掲げられていた。みるとマレーシア・ペナンの鄭成功廟から贈られた賛である。ペナンは三度訪れたが、不覚にもペナン・鄭成功廟の存在をしらない。ペナンは福建や潮州の移民が多い。とすれば、それらの人々の間で鄭成功は、絶大な人気があることになる。

鄭成功の7種の印璽が展示されている。上の3種が公式な印璽で、下の4種が個人的なものであろう。レプリカとの表示がないので実物か?そうであれば、よく収集したものだ。
父・鄭芝竜が使ったであろう、帆船模型も展示されていた。よくもこんな船で東シナ海を渡海したと感心する。
千里が浜に建つ立像である。南面、つまり福建の方角を見つめている。厦門は行ったことがないし、今後も行く予定はないが、そこのコロンスに建つ立像を写したものであろうか?
この鄭成功は、平戸にとっては魅力的な観光資源であろう。民間を有効活用し、当時の平戸を再現してはどうか?ペナン、厦門、台南、平戸の4者の国際友好都市提携を。中国人にわんさか訪れられても困るのだが・・・と、俗人は考えるが、それをださないのが、平戸の奥ゆかしさか。