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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

出雲・都牟自神社の荒神さん(その2)

2021-01-05 06:52:31 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

前回、本殿を紹介していなかったのでそれから。

拝殿に向かって左側方に大歳神社、右側方に大船神社がそれぞれ鎮座している。

(大歳神社)

(大船神社)

その手前には、稲荷神社が鎮座している。

いよいよ荒神や水神等の神木類を紹介する。まずは参道脇(拝殿に向かって左側の参道脇)の神木であるが、標識も何も無いので当てずっぽうであるが、荒神さんであろう。それは藁束と御幣が三つずつ縄で捲かれていた。

その奥となりは、御神木にリアルな藁蛇が捲かれている。荒神さんである。

写真は、静和養気霊神之碑とあるが、御神徳がよくわからない。下は、出雲狛犬に守護された神籬と云おうか、荒神・水神である。

右側の参道脇には、写真の社日塔と『塞神之社』が並んでいる。出雲地方には社日は数多いが、少ないのが塞ノ神(才ノ神)である。その少ない塞ノ神をみると何故か心が和む。

気分を新たにした都牟自神社の参拝であった。

<了>


出雲・都牟自神社の荒神さん(その1)

2021-01-04 08:31:23 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

過日、斐川町の都牟自神社の荒神さんに参拝した。出雲に荒神は多々鎮座している。その一つである。

由緒碑によると主祭神は、薦枕志都沼値命(こもまくらしつぬちのみこと)である。”この郷は出雲国風土記に見える漆治郷にして御祭神はその御名よりして漆治の神霊の意でありこのい郷の開拓の祖神である。”と記されている。

合殿として八幡宮と稚日女神社が祀られ、境内社として大年神社、大船神社、稲荷神社が鎮座していると由緒碑に記されているが、他に塞神之社、荒神水神、静和養気霊神之碑がそれぞれ鎮座している。

拝殿に向かって左右の随神社には彩色された狛犬が随神と共に鎮座している。

都牟自神社と聞けば、都牟刈太刀(草薙剣)が頭に浮かぶ、”つむ”とは擬音語であると云うが、都牟自神社に関係があるのかないのか?

<続く>

 

 

 

 


出雲・都我利神社の荒神さん(その2)

2021-01-02 07:41:15 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

荒神さんや道祖神は本殿後方の境内に祀られていた。先ず本殿に向かい左側の後方である。

2本の神木が荒神さんのようである。みると藁蛇が捲きつけられている。その左手前が相当古そうな双体道祖神である。

(双体道祖神)

(牛頭天王)

牛頭天王の右にも祠がある。これも崩れてはいるが双体道祖神のように見える。

本殿の右後方にも神木の荒神さんがあった。これも2本の神木に藁蛇が捲きつけられている。してみると左右二つづつの荒神さんである。そのことに意味があるのか、ないのかよく分からない。

神木に捲きつけられた藁蛇、その頭部は蛇を思わせるリアリティーをもっている。荒神さんが4神、双体道祖神が2祠に牛頭天王が1祠、何かご利益云々よりも幸せな気分になった。主祭神の味耜高彦根命と共に倉稲魂命が配祀されているのは、眼下に斐川平野を望む農耕神に相応しく、荒神も同様である。当該ブログを御覧の方々もお参りを。

<了>


出雲・都我利神社の荒神さん(その1)

2020-12-31 07:41:33 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

過日、出雲市東林木町の都我利(つがり)神社の荒神さんを訪ねて参拝した。出雲で才ノ神(塞ノ神)は、あまり見かけないが、荒神と社日は多々見かける。その荒神の一つである。

社殿の前は崖で急勾配である。石段を数えると150段以上あった。その石段を4分の3程上がったところに随神門がある。下写真は左右の随神である。

その随神門の前は奈落の底のような崖である。どうもこの随神門の旧地は別の場所にあったようだ。その手前には伊勢神宮遥拝所の石碑がたつ。

石段を登り切った境内から随神門を下に見たのが、下の写真で斐川平野が遠望できる。

拝殿には向かって左より『稲荷神社』『熊野神社』『式内都我利神社』『伊佐波神社』『天満宮』の御神額がかかる。なんとも賑やかなことである。それもあってか主祭祀神・味耜高彦根命と共に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ほか六柱の神々を祀っている。倉稲魂命は農耕神である。出雲(斐川)平野を望む当地に祀られるのも当然か。

(本殿)

拝殿に向かって右に武頭天神社が鎮座し、左には稲荷神社が鎮座している(下写真)。

今回はここまで。荒神さんについては次回紹介する。

<続く>

 


島根の東は荒神、西は大元神(5・最終回)

2020-12-27 08:22:25 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

ここでGoogle Earthにプロットした大元神社の配置を御覧いただきたい。見事に旧石見国に集中し、旧出雲国には見当たらない。神格がやや曖昧ながらも、どちらも藁蛇が登場し、神木や石塔に捲かれる姿は同じである。出雲は荒神、石見は大元神と明確に区別できる。このコントラストは何なのか。出雲の人間は石見人を、石見の人間は出雲人に対し、それぞれ対抗心をもってきた。名称ひとつでも対抗して、同じものにしなかったのであろうか。このようにみるのは邪推であろうが、それにしてもこのコントラストは何なのか。

しようもない噺はおわりにして、出雲の荒神も石見の大元神も平野部に集中しているようにみえる。あわせて盆地状の地形や谷間にみえる。やはり山ノ神=田ノ神的性格が強いようである。

以下、余談である。九州南部の天草から甑島にかけての山ノ神祭祀である。旧暦十一月に行われる農耕伸としての山ノ神祭祀では、天草・長島・甑島が一つの分布領域と云う。それらの地域では田ノ神は存在せず、山上の山ノ神が山裾の水田のほとりまで下ってきて、山の神のままで作物の神、水田の神になっているとのことである。

鹿児島県のこれらの地域では、旧暦八月十五日に十五夜綱引きなる伝統行事が存在する。その十五夜の綱は、龍や蛇を表現しているであろう。龍や蛇は水神としての性格を持つ。水は稲作に不可欠であり、結局この十五夜綱引きは、豊作祈願の祭事にほかならない。形はやや異なるが、山ノ神は春になると麓に降りて田ノ神となり、秋の収穫を終えると山に戻って山ノ神になるという民間信仰にほかならない。

このような山ノ神信仰というか龍蛇信仰は、日本全国各地に原形として存在していたかに思われる。それが後世、地域により荒神や大元神、あるいは十五夜綱引きに変形進化したものと思われる。

<了>