「ネギのお茶会2」で用意された3つの議題に対して一つずつ考察してみます。
まずは「終わり目はどこか?」ということ。
(エスカレーター式ではあるのだが)
まず物語内時間については、やはり「卒業式」にまとまった模様。
分かり易い区切りであることはもとより、この先にクラスが保てる保証はない。
エヴァやさよのような「卒業できるかどうか」の生徒や飛び級のありうる生徒、
なによりも「担任」のネギが「高校教師」に上がれるかどうかも危惧される。
仮に高校にまで上がれたとして、次の卒業式までは
連載が保ちそうにない事も大きいかもしれない。
(主に年齢・体力的に。月産14ページとかの作業量では・・・)
(短かった麻帆良祭後)
ただし問題となるのは夏休みが終わると今度は冬休みまで、
長期間麻帆良学園を離れることが、出来ない或いは非常に難しいこと。
実際展開としてバトルに引っ張られて、派手とはいえない
日常のラブコメを長く続けることが難しくなりつつある様子。
濃厚な心理描写やそれ等による心理戦・情報戦が
魔法のパワーバトルと釣り合うようにはなかなか作れない、というよりは、
やろうとすると相当な負担増になり躊躇せざるを得ないようである。
そのため少年漫画的なラブコメとバトルの間でどう間を持たせるのか、
(萌えvs燃えのときの論争とも関連して)
そこに頭を悩ませているようではある。
そして実際問題、「非日常」の尺の方が長くなる傾向が強まっている。
しかしそれは「クラス」の一時的な解体ではある。
(謎が次々に明かされる展開としての魔法世界編)
さすがに読者の側としては、大きな謎や複線が未消化のまま終わることは
許容は出来ないであろうが、それは魔法世界編でかなりの部分が
片付きそうではある。残りは案外、「片付け方」を決めてあるのかも。
ただしクラスメイトのストーリーの方はまた話が違う。
特に魔法バレ組・非バレ組に分断されたクラスにおいて、
いいんちょが置いてきぼりのままでは「3-A」のストーリーには
未完のままという感覚が残ってしまう。双子にしてもそれは同じ。
このあたりが魔法世界編に対する不安の元になっているようである。
ネギの強さのことにでも、「置いてきぼり」という言葉がよく使われる。
つまり終わりどころとしては「ネギのストーリー」にクラスの皆が参加し、
それが収束したところ、という辺りが理想になるのではないかと。
問題はそれに対する「クラスメイト」の人数が前例がないほど多いこと。
そのために「そこまでどう進めれば可能なのか」とかに
皆で頭を悩ませることになるのではないかと。
まずは「終わり目はどこか?」ということ。
(エスカレーター式ではあるのだが)
まず物語内時間については、やはり「卒業式」にまとまった模様。
分かり易い区切りであることはもとより、この先にクラスが保てる保証はない。
エヴァやさよのような「卒業できるかどうか」の生徒や飛び級のありうる生徒、
なによりも「担任」のネギが「高校教師」に上がれるかどうかも危惧される。
仮に高校にまで上がれたとして、次の卒業式までは
連載が保ちそうにない事も大きいかもしれない。
(主に年齢・体力的に。月産14ページとかの作業量では・・・)
(短かった麻帆良祭後)
ただし問題となるのは夏休みが終わると今度は冬休みまで、
長期間麻帆良学園を離れることが、出来ない或いは非常に難しいこと。
実際展開としてバトルに引っ張られて、派手とはいえない
日常のラブコメを長く続けることが難しくなりつつある様子。
濃厚な心理描写やそれ等による心理戦・情報戦が
魔法のパワーバトルと釣り合うようにはなかなか作れない、というよりは、
やろうとすると相当な負担増になり躊躇せざるを得ないようである。
そのため少年漫画的なラブコメとバトルの間でどう間を持たせるのか、
(萌えvs燃えのときの論争とも関連して)
そこに頭を悩ませているようではある。
そして実際問題、「非日常」の尺の方が長くなる傾向が強まっている。
しかしそれは「クラス」の一時的な解体ではある。
(謎が次々に明かされる展開としての魔法世界編)
さすがに読者の側としては、大きな謎や複線が未消化のまま終わることは
許容は出来ないであろうが、それは魔法世界編でかなりの部分が
片付きそうではある。残りは案外、「片付け方」を決めてあるのかも。
ただしクラスメイトのストーリーの方はまた話が違う。
特に魔法バレ組・非バレ組に分断されたクラスにおいて、
いいんちょが置いてきぼりのままでは「3-A」のストーリーには
未完のままという感覚が残ってしまう。双子にしてもそれは同じ。
このあたりが魔法世界編に対する不安の元になっているようである。
ネギの強さのことにでも、「置いてきぼり」という言葉がよく使われる。
つまり終わりどころとしては「ネギのストーリー」にクラスの皆が参加し、
それが収束したところ、という辺りが理想になるのではないかと。
問題はそれに対する「クラスメイト」の人数が前例がないほど多いこと。
そのために「そこまでどう進めれば可能なのか」とかに
皆で頭を悩ませることになるのではないかと。